フジテレビプロデューサー赤池洋文が紡ぐ!読むだけで美味しいラーメン「物語」 第10回
大行列店でありながら、秋葉原への移転を決意した若き天才の真意に迫る 麺処 ほん田(東京・秋葉原)(前編)
2020年04月22日 12時00分更新
私がラーメンを食べる上で「味」よりも大切にしているのが「物語」。「物語」は何にも勝る最高の調味料。お店がこれまで紡いできた「物語」と、私が勝手にお店と紡いでいる偏りまくった「物語」を紹介します。
今回、私が「物語」を紡ぐのは、つい先日の4月15日に、これまで12年間ホームであり続けた東十条から秋葉原に移転したことで話題の「麺処 ほん田」です。
「ほん田」が大きな変革の時を迎えたこのタイミングで、店主である本田裕樹さんに取材することが叶いました。
類まれなるセンスをもって、弱冠21歳で一躍人気ラーメン店の仲間入りを果たし、それ以来ラーメン界の第一線を走り続けている若きカリスマ。そんな本田さんに聞きたいことなんて山のようにあるわけで、取材は白熱。結果興味深い話が出るわ出るわ……で、前後編の2回に分けることになりました(笑)。
「お前のまとめ方がヘタなだけだろ!」というツッコミは甘んじて受け入れますが、本田さんの「天才物語」は読み応え間違いなしです!
というわけで前編ですが、まずは皆さんが今一番興味あるであろう、秋葉原への「移転物語」から始めましょう。
きっかけは昨年8月。JRから「秋葉原に出店しませんか?」という話が来たそうです。場所は秋葉原駅に直結したまさにガード下。元々、東十条という場所で、お客さんに1時間も並んで食べてもらうという現状に心苦しさを感じていた本田さんにとって、都心の駅近い場所で、店舗も広くなるのは魅力的でした。
しかも、だいたい駅に付随した商業施設に入る場合、営業日や時間などはその施設に準じないといけないことが多い中、今回は路面店と同じで自由に自分で決めていいという条件だったのも大きかったそうです。さらに、東十条からも電車1本で20分という環境も、これまでのお客さんのことを考えると悪くないなと考えました。
「ここで勝負してみよう」。本田さんは決意しました。
そして、移転を決めたもう一つ決定的な理由がありました。それは本田さんがこれまで12年間で紡いできた「物語」を踏まえた上で語った方がしっかり伝わることなので、後程改めて紡がせて頂きます。
「ただ移転するだけではなく、移転するからにはいくつかの新たな挑戦を試みたい」。そう考えた本田さん。常に自分のラーメンを進化向上させてきた本田さんからすれば、ある意味当然の決断と言えるでしょう。移転に際して、3つの大きな改革を実践しました。
1つ目は、メニューの刷新。
お店の看板メニューであった「手揉み中華蕎麦」、ファンからも大好評だった「濃厚昆布水の淡麗つけ麺」、そしてオープン当初からあり続けた「濃厚豚骨魚介」など。「あの味は東十条の味として完結しました」と、スパッと全てを刷新してしまったのです。
新たなメニューは「醤油」「塩」のラーメンとつけ麺、そして「汁無し担々麺」。
看板メニューである「醤油」。
こちらに関しては、具体的にどのような味に変わったのか、これまでの本田さんのラーメンの変遷を辿ってから語った方が伝わると思いますので、ここで詳しく紡ぐのは避けたいと思います。
ただ、「上品すぎる清湯ではなく、いわゆる『ラーメンらしさ』を意識したい」という本田さんの一貫したマインドは今回のラーメンにも引き継がれていて、「これぞラーメン!」という素晴らしい味に仕上がっています。
そして「汁無し担々麺」。
「担々麺って、食べ物としてよくできてますよね」と担々麺愛を語る本田さんが、その愛情とセンスを惜しみなく注ぎ込んだ逸品。絶妙な辛味と旨味が口の中で爆発します。
ちなみに、「塩」はまだ提供されておらず、4月中にはお目見え予定とのこと。期待に胸が膨らみます!
2つ目は、自家製麺。
東十条では店舗の広さの問題もあり、自家製麺に着手することができませんでした。しかし、今回の移転で、製麺機を置くスペースも作れるようになり、念願だった自家製麺にも挑戦することに。
「初めてのことで戸惑いの連続だった」と振り返りますが、実際提供されているフレッシュで喉ごしのいいストレート麺は、そんな苦労を一切感じさせない見事な仕上がりです。新たな「ほん田」の顔として、十分な存在感を示しています。
というわけで、スープも麺もすでに申し分ない完成度を誇っていますが、本田さんに言わせると「まだまだ。もっと美味しくなります」とのこと。これ以上どこに伸びしろがあるのか、凡人には到底うかがい知れませんが……楽しみでなりません!
そして3つ目。それは価格の改定。基本のラーメンの価格を1100円としました。
これが移転に際しての最大の挑戦だと本田さんは言います。まさに「これで売れなきゃダメなんだ」という本田さんの覚悟の表れ。その真意に迫りたいのですが、これも本田さんの紡いできた「物語」を語った上でお伝えしたいので……。
「なんだよ、もったいぶってばかりだな!」
お叱りはごもっともです……。全ては前後編に分けないと収まらない私が悪いです。
ただ、①「移転の最大の理由」、②「新しいラーメンの味の秘密」、③「値上げに踏み切った本田さんの真意」。この3つを意識しながら、本田さんの「天才物語」を読むのも悪くないと思いませんか?
というわけで、2008年の衝撃的な出会い以来、一方的にリスペクトの念を抱き続けてきた私が、この不世出の若きカリスマが紡いできた「物語」を、できるだけ丁寧に紐解いてみたいと思います!
「麺処 ほん田」の店主、本田裕樹さん。現在33歳。「えっ、まだ33歳なの!?」と驚かれる方も多いことでしょう。それだけラーメン界に多くの功績を残しているという証拠です。
出身は茨城県牛久市。小さい頃から運動大好きで、小学生の時は空手、中学では器械体操に熱中。高校に入り、「卒業までに100万円貯めて、世界中を旅したい」とバイトを始めました。バイト先に選んだのは、ある一軒のラーメン店。特にラーメンに興味があったわけではなく、「髪やピアスなどにうるさくない仕事にしたい」という、実に年頃の高校生らしい理由で、このお店にたどり着きました。
「牛久大勝軒」。こちらがその後の人生に大きく関わることとなるのですが、当時の本田さんは知る由もありません。
「牛久大勝軒」の店主は田代浩二さん。ラーメン好きには説明不要の人物ですが、一応簡単に説明しますと、東池袋大勝軒にて故・山岸一雄さんに弟子入り。その後、茨城県を中心に多店舗経営に成功し、「中華蕎麦 とみ田」「麺屋 一燈」の育ての親としても有名です。
そんな田代さんのお店に、特にラーメンが好きだったわけでもなく、たまたまバイトで入った本田さん。そしてちょうどその頃、「牛久大勝軒」にはあの「中華蕎麦 とみ田」の富田治さんも社員としていたわけですから、まさに神のイタズラとでも言うべきでしょうか。
こうして3年間「牛久大勝軒」でバイトし続けた本田さん。ここでラーメンに開眼!……と思いきや、そうではありませんでした。3年も働いたのでラーメン作りの勝手はある程度分かりましたし、当時の店長がよくラーメンの食べ歩きに連れて行ってくれたこともあり、それなりにラーメンに興味は持ちました。しかし、当時はそこ止まりだったそうです。
目標の100万円を貯めた本田さんは、高校卒業後、海外に行く代わりに東京に出ることを決意。笹塚に住みながら、フリーター生活を2年ほど送りました。その中でも特に思い出深いのが、イタリアンレストランでのバイト。当時未成年だったにも関わらず、お客さんとの会話を弾ませるために必死にワインを勉強。当然飲めるわけでもないのに、知識だけを詰め込んでそれを披露することでお客さんに喜ばれることが楽しかったと言います。
フリーター生活も2年になり、そろそろ自分の将来を真剣に考え始めた本田さん。ラーメン店でのバイト時代から振り返って、自分が「人を喜ばせたい」という気持ちを強く持っていると認識するようになっていました。サラリーマンは性に合ってないし、「自分のペースで働けて、人を喜ばせられる仕事って何だろう?」と模索し始めます。
その頃、田代さんから「これまで茨城・千葉でお店を展開してきて、そろそろ東京にお店を出したいと思っている。お前も今東京にいるんだし、やってみないか?」と声をかけられました。本田さんはその誘いを受けることにしました。ちょうど20歳になるタイミングでした。
その後1年間、田代さんのグループのお店で修業し、開店準備を進めます。21歳の本田さんがそこまでのお金を持っているわけもなく、お店は田代さんが出資しました。お店も東十条の物件を田代さんが見て「ここがいいんじゃないか」と決めたそうです。
こうして2008年、本田さん21歳で「麺処 ほん田」をオープンさせました。最初は「こうじグループ」の1店舗としてのスタートでした。
ただ、ラーメンの味作りについては本田さんに一任されていました。ここで本田さんの才能が爆発します。修行先の大勝軒の流れを汲んだ豚骨魚介はメニューに入れつつ、それとは全く違う清湯のラーメンを作り上げます。「香味鶏だし」。
清湯でありながらも鶏の旨味を強烈に感じられるスープ。今でこそ力強い旨味を誇る清湯は珍しくありませんが、12年前にこの味を生み出したことは驚愕に値します。
また、「大勝軒系のモモ肉のしっかりしたチャーシューとは一線を画すものを作りたい」という思いから、低温調理のしっとり柔らかいレアチャーシューにたどり着きました。これもラーメン界の常識を覆すものでした。
しつこいようですが、こんな世紀の大発明とも言える逸品を、わずか21歳の若者が作ってしまったのですから、これを革命と言わずに何と言いましょうか。当然ながら、メディアにもすぐに取り上げられるようになり、あっという間に人気店となりました。
まさにその頃、私も「麺処 ほん田」に訪れました。当時、とにかく絶賛の嵐だったと記憶しています。私は、「今すぐこのラーメンを食べてみたい」という期待感と、「異業種とは言え、自分よりはるかに若い天才が現れてしまった」という嫉妬心と、複雑に絡み合う焦りを胸に抱えながら、大至急東十条に向かいました。今にして思えば、どこに嫉妬してんだよ、って感じですが、それだけ本田さんの登場はセンセーションだったのです。
そして、待望の「香味鶏だし」とご対麺。美味しくあってほしいような、あってほしくないような……気持ちの整理もつかないまま一口。「うっ、美味い……」。21歳の若者が作るラーメンは、私の想定をはるかに超える美味さでした。「凄すぎる……」。美味さと悔しさで自分の感情がぐちゃぐちゃになって、泣きそうになりました。
ただ、そのラーメンがあまりに美味かったので、食べ終わる頃には私のクダらない嫉妬心はすっかり消えて、「この天才が自分と同じ業種じゃなくてよかった」と安堵に変わっていたのを今でもよく覚えてます(笑)。
それから3年後、24歳の時に、東京駅地下のラーメン店の集合施設「東京ラーメンストリート」から声がかかります。15歳で田代さんを見ていた本田さんにとって、ラーメン店が店舗を拡大していくことはある意味自然なこと。しかも、時代の寵児となった本田さんの下には、従業員希望者が多数集まってきました。本田さんは店舗拡大を図り、20代中盤で5店舗ものラーメン店を持つようになりました。
まさに順風満帆。
「凄いですね……」。取材中、あまりに非の打ちどころがなさ過ぎて、思わずため息が出てしまいました。そんな私の気持ちを本田さんも感じ取ったようで、「大丈夫ですか、記事になりますか?」と逆に気を使われる始末(笑)。 ひとえにインタビュアーとしての私の落ち度ですが、でもこの気持ち分かってもらえますよね?ここまで順風満帆すぎると……そろそろトラブルとか欲しくなっちゃうのが人情ってやつじゃないですか。
ただ、そんな私の気持ちを汲んでくれたかのように、ここから本田さんにピンチが訪れます。このあたりも含めて、さすが天才は違います(笑) 。
それは、本田さんの若さが招いてしまったトラブルでもありました……。
というわけで、前編はこのあたりまでにさせて頂きたいと思います。はたして、順風満帆だった本田さんを襲った危機的状況とは? そして、秋葉原移転に際して、本田さんが試みた様々な挑戦とその真意とは? さらに、本田さんの天才たる所以とその原動力とは? もったいぶりまくって申し訳ありません! 後編で全て回収します! よろしくお願いします!
※新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止策により、各店舗の営業日・営業時間・営業形態などが変更になる場合があります。
赤池洋文 Hirofumi Akaike (フジテレビ社員)
2001年フジテレビ入社。ドラマ「ラーメン大好き小泉さん」、ドキュメンタリー「NONFIX ドッキュ麺」「RAMEN-DO」などラーメンに特化した番組を多数企画。大学時代からの食べ歩き歴は20年を超え、現在も業務の合間を縫って都内中心に精力的に食べ歩く。ラーメン二郎をこよなく愛す。
百麺人(https://ramen.walkerplus.com/hyakumenjin/)
本人Twitter @ekiaka
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