PC-8001の誕生秘話も語られた
また、PC-8001に関わったゲストスピーチも行なわれた。最初に登壇したのは元NEC支配人でパソコン事業立ち上げの責任者であった渡辺和也氏。
渡辺氏によると、1976~1980年は産業界でマイコン知識、応用知識の習得がブームとなり、教育教材として「TK-80」(1960年)を発売。それが数万キット売れ、NECマイコンサービスルーム「ビットイン」を開設。
その後、市場の強い要望をできる限り応えるパソコンといえる製品として「PC-8000」を発売するうえで、ソフトは出来るだけ多くの人に使ってもらい、ユーザーフレンドリーで、使用実績があり、バグ取りが進んだモノとして、マイクロソフト社を選択したという。
次に登壇したのは、その渡辺氏の下、TK-80やPC-8001の開発リーダーを務めた元NEC、東京大学工学系研究科 IoTメディアラボラトリー スペシャリストの後藤富雄氏。
後藤氏曰く、当時のNECでは若い技術者が大切にされ、渡辺氏の下、自由に仕事と勉強をするチャンスをもらっていたという。コントローラーがミニコンPDP8だったLSIテスタにて、コンピューターのハード、ソフトを独習。その後マイクロプロセッサーが誕生し、九州日本電気に出向し、マイコン応用の実験に没頭したという。
その後、マイコンチップを売るためにマイコンのトレーニングキット「TK-80」を開発。宣伝、啓もう、拠点としてビットインを開設。
その後、一般人にも使える言語が欲しいとの声を受け、マイクロソフトのビルゲイツ氏、この後登壇する西和彦氏の協力を得て、Microsoft Basic言語に対応した「PC-8001」の開発につながっていく。
PC-8001の開発戦略は、日本語の仮名が使え、カラー表示。高機能BASICをROMで搭載。FDD装置、カラーCRTディスプレー、プリンターといった実用になる周辺装置の同時発売を目指したという。