■民主主義がオワコンになった
── 新反動主義はどこから生まれたものなんですか?
もとはカーティス・ヤーヴィンというシリコンバレーのスタートアップ起業家が作った思想です。カーティス・ヤーヴィンはトロンというソフトウェア会社でユービットというソフトを作り、既存のクライアントサーバモデルによらないP2Pベースのインターネットプロトコルを開発していました。そこに出資していたのがピーター・ティールです。
ピーター・ティールは2009年、シンクタンク機関誌「カトーアンバウンド」に自身のリバタリアニズム観について書いていて、そこで「自由と民主主義が共存できるとはもはや信じていない」と言っている※1。同時期にカーティス・ヤーヴィンもブログで言論活動をしていて、彼が唱えていたアンチ民主主義の思想が新反動主義と呼ばれるようになる。
そして、彼らの思想を発展継承させたのが、ニック・ランドというイギリスの哲学者。彼が2012年にオンライン上で発表した文章が「暗黒啓蒙」です。
※1 「リバタリアンの教育」(シンクタンク機関誌「カトーアンバウンド」2009年4月)
── 暗黒啓蒙はどんな内容なんでしょう。
第一章では、ピーター・ティールの「自由と民主主義は両立しない」というテーマから出発して「腐敗した民主主義からイグジット(脱出)する」というリバタリアンのプロジェクトとカーティス・ヤーヴィンの政治思想を紹介しています。海上に自治国家を作るプロジェクトにピーター・ティールも出資していますが、それらには明確な政治システムのビジョンがあるわけではなかった。そこで、イグジットした先のビジョンを見通していたのがカーティス・ヤーヴィンだというんですね。
ヤーヴィンがどういうことを言っているかというと、要するに「民主主義はすべてやめて国家は企業のように運営されるべきだ」というんです。君主のような人間がトップについて全部を切り盛りする。そういう都市国家を乱立させて別の都市国家に自由に移れるようにする。すると都市国家どうしが競争原理で発展するから、資本主義の原理で国家を運営すればいいんじゃないかと。
第二章以降では、カテドラル(大聖堂)という造語を導入してリベラル民主主義批判を始めます。民主主義はポピュリズムにまみれていて規制も激しく、リバタリアンからすればディストピアのようだ、今のような状況になったのはフランス革命の啓蒙思想に端を発していて、平和、平等、博愛といった伝統がピューリタンの思想に結びついて、いまなお教育機関や主流メディアにはびこっているというんですね。そういったエスタブリッシュメントが奉じるリベラル思想のネットワークを、カテドラルと名づけて批判しています。
── 「民主主義がオワコンになった」という雰囲気でしょうか。ダークウェブと新反動主義はどうつながっていると思いますか。
ニーチェの超人思想があるのかなと。ダークウェブはサイファーパンク運動の暗号化技術から始まっているんですが、サイファーパンクの中心人物であるティモシー・メイはサイファーノミコンという長大な文章の中で民主主義を批判していて、飼い猫に「ニーチェ」という名前をつけるほどのニーチェ愛読者なんです。
一方、新反動主義のゴッドファーザーともいえるピーター・ティールは、愛読書としてアイン・ランドの『肩をすくめるアトラス』を挙げています。その中に「エリートのリバタリアンたちが民主主義で腐敗したアメリカに見切りをつけてどこかの山中にひきこもって新しい国を作る」というくだりが出てくるんです。アトラスというのはギリシア神話に出てくる天球を支える巨人で、彼が「肩をすくめたら」どうなるのか、と。要はアトラスと自分たちリバタリアンを同一視している、非常にエリート主義的な観点に立っているんです。
もう1冊ピーター・ティールが愛読しているのが1997年に出版された「ソヴリン・インディヴィデュアル(The Sovereign Individual)」という未邦訳の本。サイバースペースとか暗号化技術とか電子マネーが出てくることで国民国家の力が弱まって消滅するだろうという予言的な本です。たとえば電子マネーが流通したら中央銀行は貨幣発行益を失い、税金がとれなくなり、福祉のシステムもなくなって、国家は没落するだろうと。言ってみればリバタリアン的なビジョンというか。
そうして国家が滅亡したあとのマッドマックスみたいな世界では、暗号化技術のようなテクノロジーを手にした「主権ある個人」というエリートが新世界を支配するだろうと。一種の超人思想なんです。ピーター・ティールはこの本に影響される形でPayPalをつくった節もあると思っていて。このあたりは、サイファーパンク周辺の謎の人物サトシ・ナカモトが開発したビットコインともあわせて考えると面白いと思いますが。
それからピーター・ティールは「ゼロ・トゥ・ワン」という本を書いているんですが、起業というのは進化論ではなく創造論、インテリジェントデザインじゃないとダメだと書いていて。ゼロからワンへ、言い換えれば無から有を生みだすには神の視点に立たないとダメだみたいな。だから競争じゃなくて独占だ、犀の角のようにただ独り歩んで(ニーチェが仏教聖典「スッタニパータ」から引用した言葉)新天地を開拓して、新しい領域を作ろうという考えをしているんですよ。