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ゲーマーを長年のノウハウで助けたい、ルフス代表の長縄氏

eSportsに足りないのは「プレイヤーの技」でも「高額な賞金」でもなかった

2018年05月25日 13時00分更新

文● 清水(MOVIEW) 編集●ASCII

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―― いきなりLANパーティを開催するというのもたいへんだと思うのですが。

長縄 もともと実家が町の電気店でして、その家業を継いだのですが、そういう環境があったことが、LANパーティを開催するにも役に立ちました。2代目ということで親のすねをかじっているだけと見られるのが嫌だったので、お客様に認められるために電材や建材などの分厚いカタログを並べてずっと見て勉強していました。結果的に父親よりも多くの顧客を獲得できましたが、そのときの接客などのノウハウがルフスでも活きています。(自分で電気工事などもできるため)ルフスの設計自体も携わりましたし。

── LANパーティは海外が発祥で、多くのイベントが開催されています。こういった流れをご存じだったのですか?

長縄 いえ。僕自身はLANパーティという言葉自体を知らなかったのです。

 知り合いに「おまえがやっているのはLANパーティだ」って言われたのがきっかけで、調べてみたら、海外では膨大な数のLANパーティが実施されていることを知り、驚きました。海外には当時からLANパーティを管理するポータルサイトなどがあり、どこでどんなLANパーティが開催されているのかを一覧できました。そういう事実を突きつけられて「機会が頻繁にあるのがうらやましい」と感じた記憶がありますね。

―― BIGLANはSocket 2以降、AMDなどの協賛を受けて拡大していきましたが、規模はどのように変化していきましたか?

長縄 2005年10月から3~4ヵ月に1回のペースで開催し、回を重ねるごとに参加者が増えていきました。最終的には120人程度の規模になったと思います。第2回(Socket 2)では40人程度の参加者が集まったのですが、イベントを開催するにあたっては、会場を借りたり、機材を手配したりする必要があります。ポケットマネーでは限界がありますから、資金を集める必要が出てきました。Socket 1の参加者のひとりが広告代理店に勤めていて「協賛を募ってはどうか」というアイデアをもらったのですね。

 となるとB2Bの契約なども発生し、個人レベルでは限界が出てきます。どうしても会社を興す必要がある。そんなことも理由のひとつで、約11年前にeSportsイベントを運営する会社として「株式会社 成(なり)」を設立しました。実はルフスを運営するE5 esports Worksは、成のイベント事業を継承した会社なのです。

―― BIGLANは2007年12月の第6回(Socket 6)が最後となりました。その後、長縄さんの活動はゲーム大会の運営が主となるわけですね。

長縄 BIGLAN Socket 6を開催するにあたって、あるパブリッシャーからゲーム大会とLANパーティを共存するようなイベントにできないかという声が掛かりました。サドンアタック(Sudden Attack)というゲームでした。Socket 6の併設イベントとして、サドンアタックの全国大会を開催したのですが、これを境にゲーム大会の運営にかかわる業務量が増えていったことがきっかけです。

 僕としては、ゲームのすそ野を広げるのであれば、LANパーティよりも、多くの人が参加できるゲーム大会のほうが効果的とも感じていたので、自然な流れだったと思います。その後、サドンアタックの大会は全部手がけましたし、最大で1024チームの運営管理もしました。5人で1チームなので、合計5000人強が参加したイベントになりますね。ほかにはハースストーン(Herthstone)の大会なども手掛けています。

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