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渡辺由美子の「誰がためにアニメは生まれる」 第44回

【前編】『この世界の片隅に』片渕須直監督インタビュー

片渕監督「この映画は、すずさんが案内人のテーマパーク」

2017年05月27日 18時00分更新

文● 渡辺由美子 編集●村山剛史/ASCII編集部

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断絶し、欠落した時代の穴を埋めていく作業へ

片渕 すずさんが暮らしている時代は、ちょっと断絶しているようだけれども、調べていけばどこかに“架け橋”が残っていて、そこからイメージを膨らませることで、すずさんたちが暮らした時代と新子ちゃんの時代の風景が繋がっていくかもしれない。そう考えたんです。

 いろいろなことを調べたのは、自分たちがそんな中に手ざわり感を得ることで、その断絶しているような時代がもっと手に取るようにわかるんじゃないか、その時代がどういう時代だったのかを自分たちが味わいたいからのめり込んでいったということです。こうの史代さんが描かれた原作の『この世界の片隅に』自体がそういう方法で描かれている。原作も、僕らの映画もまたそのような思いでつくっていったというところです。

白土 断絶している時代の普通の暮らしというのは、まあ、本当に難しいんですね。資料が少ないので。

 たとえば、広島市電のトロリーポール。アニメではあれを俯瞰で見たカットで描いていたりしますよね。資料として、集電装置を上から見た写真はなかなか残っていないと思うのですが、どうされましたか。

片渕 あれは大宮の鉄道博物館に実物にあったので見に行きました。

© こうの史代・双葉社/「この世界の片隅に」製作委員会

―― あの、トロリーポールって何ですか。

白土 線路に沿った架線から、列車に電気を送る装置です。列車の上についているパンタグラフの旧式版ですね。

 路面電車の集電装置って、戦後に切り替えがものすごくあるので、その地域に何があるかを特定するのがちょっと大変なんですよ。車輌1つにしても、型番まで気にしだすとキリがなくて。

片渕 そうなんですよね……じつは、こうの史代さんが面白いものを描いていらっしゃるんです。トロリーポールとビューゲルの両方がある車体を描いている。

白土 あれ? ビューゲルはトロリーポールより後(の時代)だから、戦後ですよね。

片渕 それが、広電ではすでに戦時中にビューゲルに切り替えているんですよ。(パソコンを立ち上げて)ほら、この写真を見ると、こうのさんが描かれているのと同じ。この時期だけのビューゲルのテスト導入車両なんですね、じつは。

白土 ああ、もう広電では戦中に切り替わっているんですか。すばらしい

片渕 こうのさんは、加藤一孝さんという広電にすごく詳しい方に教えを請うているんですけど、僕が加藤さんに「原作でもビューゲルの形で描かれていたから、これは加藤さんから教えられたんですか?」と尋ねたら、そうではないと。「自分が教える前に、こうのさんはご自身で気がついて描いておられた」ということでした。

―― こうの先生は、本当に細かいところまでご自身で調べられたのですね。

片渕 そうなんです。それで、こちらも広電の型番を……。

―― パソコンには路線ごとのフォルダがズラリと……そこからさらに車輌フォルダに分かれていて、画像とエクセルで型番が並んでますね。

白土 すごい。すべての車輌の型番を調査されたんですね。

片淵監督が6年かけて調べあげた膨大なデータを参照しながらのインタビューとなった。(写真右)『ヨルムンガンド』『ジョーカー・ゲーム』『ドリフターズ』などアニメ・ゲーム・マンガ・小説の設定考証を多数手掛ける白土晴一氏

片渕 鉄道で言うと、海軍工廠の中の軍港鉄道。機関車も1台ずつナンバーごとに整理しました。たとえば、この写真の起重機に記してあるET1とかET2といった記号。鉄道ファンの方にはこの「ET」は、機関車の型番だと思われているみたいなんですが、実際には、呉工廠の総務部の財産、国有財産の登録番号なんですね。呉工廠総務部保有の機械ということです。

 こうやって細かいところを調べていくと、当時の国有資産がどの組織にどう管理されていたかというところに入っていく。もっと言うと、社会がどういうふうにできていたかに入っていくわけです。

白土 細かいものは、1つ1つが時代の世界観を背負っていますよね。社会を描くなら細かいところを調べないといけないのは、よくわかります。

片渕 そう。さっきのトロリーポールに関連した話では、呉にも市電があったんですけど(1967年に廃止)、呉の市電は、山を登らなきゃいけないんですよ。峠越えをしないといけない地形なので。でも、戦前には車両によっては、峠を越えられないものもあったわけなんですね。パワーが足りなくて。

白土 確かに、東京や横浜でも、急勾配の場所だと古い車輌は登るのに苦労していたりしますよね。

片渕 それで、電力が足りなくてトロリーポールを増やしたりしている車輌もある。時代に逆行しているんですね。普通は時代が進むとポールが2本から1本になるものなのに。

 山を登れる電車と登れなかった電車がある、みたいなことがわかってくると、呉という地形の独特さもわかってくるんです。

―― 呉の地形はどんなところが独特なんでしょうか?

片渕 平地が非常に狭い。だからといって高地部、山のほうにインフラなどを持っていこうとすると支障が出るんですね。たとえば、すずさんの家は水道が通っていなかったりします。これは浄水場より上に家を建てているからなんですね。つまり、あれは戦前だから井戸に頼っているのではなくて、水道が普及できないエリアだから水が来ていないんですよ。

―― そうだったんですね。戦前は、どこも井戸だと思っていました。

白土 水道自体は戦前からある場所でも、山の上に行けば行くほど普及率は低くなっているんですよ。当時の水道は、基本的には高低差で給水する自然流下方式なので。

片渕 呉は高地が多いから、市の水道局の努力が見える場所なんです。浄水場ひとつとっても、水源は海軍が製鉄で使うために押さえられちゃっているので、民間用には浄水場を別につくったりしなければいけない。

 あと、呉の難しさはね。あそこは明治30年代に定められた古い要塞地帯法の範囲内なんですよ。写真の撮影とか写生に制限があるんです。敵に山の地形から街の位置や施設を特定されてしまうので。カメラで撮影はできるんですけど、たとえば街並みを撮ったとしても、現像して写真にするときには街から見える山の稜線は修正して消さなければいけなかった。

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