コンピュータの現況について
——PC−1はいまどこにあるのでしょうか?
「昔のパラメトロンの資料なんか、もう持ってないよ。PC−1もとうの昔にクズ鉄屋に売り払っちゃったよ」
後藤氏にとって、記念すべきPC−1も役目を果たし終えたら、ただの鉄のかたまりなのだろう。
ワイヤーメモリを作れば、当時のメッキ技術に不満を感じて独自の手法を編み出す。量子コンピュータのために冷蔵庫を研究する。こうした形にとらわれない、オリジナリティあふれる着想と、その実現に向けて果敢にチャレンジしていくパワーは人並みはずれたすごさがある。
——とかく日本人は独創性がないといいますが……。
「オリジナリティには乏しいけど、デベロップメントしてバーッと売るのは得意だろ。いいものを安く売るっていうのは大切だしさ、このメリットをわざわざ改める必要はないね。せっかくうまくいってるのに、角をためて牛を殺すことになる。国民性はそうすぐには変わらないよ。私はたまたま自分で何でもこしらえるのが好きだっただけ」
——最後に、いまのパーソナルコンピュータの状況については、どうお考えですか?
「教育の現場にもコンピュータが活用されているけどさ。1+1が2だって教えるのは、何も速く計算ができるようになるためじゃなくて、論理的思考を養うためなんだな。これをパッとコンピュータで計算してすましていたら、みんな頭を使わなくなるよ。いまは大学の研究なんかでも、他人の作ったデータをコンピュータで検索して調査するなんていうところからはじめるのがあるけど、他人がしたことからはじめちゃオリジナリティーなんて出てこないよ。作家の曽野綾子さんが、自分では原稿を書くのにワープロが必須だけど、小学生の孫には絶対に使わせないって語っているのを聞いたことがある。漢字を覚えなくなるからだね。頭を使うべき時期にそれを省いてしまうようなコンピュータの使い方は危険だと思うな」
インタビューにうかがった後藤氏のご自宅は、夏は海水浴でにぎわう藤沢市の海岸近くにある。同行したカメラマンが「海岸で撮影しませんか」と提案すると、後藤氏は「そうかそうか」と気軽に応じてくれて、海岸までの5分ほどの道のりの間も、ややベランメエ調な語り口でざっくばらんに話を続けてくれた。それは、たとえば25年間住んでいる藤沢市のことであったり、コンピュータの日本語処理についての考えであったりした。いま理研から情報処理学会に論文を出しているというsin、cosなどの初等関数を高速化する技術についての説明は、ほんとうに楽しそうに話してくれた。どのような大仕事も、後藤氏にとっては、パラメトロン素子の開発の出発点になったラジオ製作の延長上にあるのかもしれない。
日本のコンピュータの基礎固めをした男の胸の内には、いまでもラジオの部品を前にして胸をおどらせた少年の気持ちが生き続けている。
-------------------------------------------------『新装版 計算機屋かく戦えり【電子版特別収録付き】』の内容
- 日本最初のコンピュータ……岡崎文次
- 日本独自のコンピュータ素子……後藤英一
- コンピュータの基礎理論……榛澤正男
- コンピュータと日本の未来……喜安善市
- トランジスタの重要性……和田弘
- 国産コンピュータの頂点と池田敏雄……山本卓眞
- 機械式計算機のルーツ……内山昭
- 世界を制覇したヘンミ計算尺……大倉健司
- 日本外務省の超難解暗号機……長田順行
- タイガー計算器……村山武義
- 弾道計算用機械式アナログ計算機……更田正彦
- コンピュータ研究と阪大計算機……牧之内三郎
- 最大規模の国家プロジェクト……村田健郎
- 巨大コンピュータに挑戦した三田繁……八木基
- 2進法と塩川新助……岸本行雄
- 数値計算……宇野利雄
- プログラミング言語とコンピュータ教育……森口繁一
- 国産オペレーティングシステム……高橋延匡
- オンラインシステム……南澤宣郎
- 電子交換機……秋山稔
- 電子立国と若き官僚……平松守彦
- IBM側の証人……安藤馨
- リレー式計算機とカシオミニ……樫尾幸雄
- トランジスタ式から薄型電卓……浅田篤
- 世界初のマイクロプロセッサ……嶋正利
- LSIと液晶……佐々木正
- 特別収録 微分解析機再生プロジェクトをめぐって 和田英一氏に聞く
【筆者近況】遠藤諭(えんどう さとし)
株式会社角川アスキー総合研究所 取締役主席研究員。元『月刊アスキー』編集長。現在は、ネットデジタル時代のライフスタイルやトレンドに関する調査・コンサルティングのほか、テレビ・新聞等で解説・執筆、関連する委員会やイベント等での委員・審査員などを務める。著書に『ソーシャルネイティブの時代』(アスキー新書)など多数。『週刊アスキー』で“神は雲の中にあられる”を連載中。