「re:invent 2014」内のセッションで流暢な英語のピッチをこなし、観衆から大きな喝采を浴びたクラウド界の新星、本田技研工業の多田歩美さん。長らく情シスの役割と存在意義に悩み続けてきた多田さんがクラウドとコミュニティで得たものとはなんだったのか?
本連載は、日本のITを変えようとしているAWSのユーザーコミュニティ「JAWS-UG」のメンバーやAWS関係者に、自身の経験やクラウドビジネスへの目覚めを聞き、新しいエンジニア像を描いていきます。連載内では、AWSの普及に尽力した個人に送られる「AWS SAMURAI」という認定制度にちなみ、基本侍の衣装に身を包み、取材に望んでもらっています。過去の記事目次はこちらになります。
「配属初日、ITなんてやりたくないと課長に食ってかかった」
多田さんは早稲田大学の理工学部出身。「ドラえもんのようなロボットを作りたいと思い、AO入試で入れてもらった。メカニックなところより、笑ったり、怒ったりする感情のような部分に興味があった」と振り返る多田さんは、より実践的なものがやりたいと、2006年に新卒で本田技研工業(以下、HONDA)に入社した。HONDAといえば、バイク、自動車、汎用製品航空機(Honda Jet)はもちろん、2足歩行ロボットのASIMOでも有名。「今は夢みたいなことでも、この会社なら実現できる、プロダクトとして提供できる可能性があると思った」(多田さん)とのことで、基礎技術研究センターの配属を目指した。
技術系という大きな枠で採用された多田さんだが、配属発表当日に実家に不幸があり、しかも人事部から配属先を間違えられるという前代未聞の出来事に遭遇する。結局、CISと呼ばれるHONDAの研究所のIT部門に配属されることになるのだが、根っからのIT嫌い。そして実家の不幸で精神的なバランスを崩していたこともあり、初日から大荒れだった。「課長に『ITなんてやりたくない。ITやるくらいなら、工場で実習させてください』って食ってかかった。実際、ITが好きじゃなかったし、パソコンにずっと向かって仕事しているなんて耐えられないと思っていた」(多田さん)。
「コンピューターのサポートやサーバーのお守りなんて裏方の仕事で、HONDAでなくてもできる仕事。なぜこんな自分にとってメリットのない仕事をやらなければならないのか」と考えた多田さん。しばらく落ち込み、とにかくIT部門を抜け出すことだけ考えていたという。「CISは基礎技術研究センターもサポートしていたので、もしかしたらそっちに移れるかもしれないというほんの一握りの希望を抱いて、3年でIT部門を絶対に抜けてやると思ってました」(多田さん)。
「ちゃんとITを使えてから嫌いと言え」
結局、多田さんはインフラの道を選択し、コンピューターやITの基礎を教えてもらうことになるが、ITをやりたくないという点は変わらない。こんな“厄介な”多田さんの教育担当として付いた先輩はある日、決定的な一言を投げかける。
「その方は、ゲームパッケージを作ったり、自宅サーバーまで立てちゃうくらいの超IT好きでした。配属後もITやりたくないとごねていた私に、その先輩は『お前はITに使われる人間になりたいのか? ITを使う人間になりたいのか、どっちなんだ』と聞いてきたんです。『そんなの使う人間に決まってるじゃないですか!コンピューターに使われてたまりますか』と答えたら、『使われないようにするには、ITを理解するしかない。IT嫌いというなら、ちゃんと使えてから嫌いと言え』と言われたんです」と多田さんは振り返る。
自ら「とにかく勝ち気なので、使われるのというのが、なんだか気にくわなかった」と語る多田さん。ちゃんと理解してから、IT部門から去ってやると決意した多田さんは、それを機にITに対して真剣に向き合い始めた。
しかし、ITを勉強し、IT部門で仕事を続けた多田さんは、自分の中にいくつかの変化を感じたという。「IT部門の役割みたいなのを理解し始めた。表舞台の花形部門より、裏方の方が楽しいかもと感じ始めたのもその時期。IT部門にいると、いろんな部署の人たちとやりとりするので、会社が広く見渡せるんです」(多田さん)とのことで、IT部門から組織や会社の方向性などが見えるようになった。
「この人たちをサポートするためには、この技術がなければいけないんだという考え方に切り替わるタイミングがあった」という経験を経た多田さんはIT部門からの脱出ではなく、ITで現場部門をサポートできる役割にシフトしていきたいと考えるようになる。
「IT部門にいることに疑問を抱かなくなった」
こうした異動希望がかない、入社から4年後の2010年に多田さんはCAE(Computer Aided Engineering)の担当になり、研究開発に使われるシミュレーションシステムを扱うことになった。CAEは、CADで設計したデータに材料特性等の諸条件をはめ込んで、耐久性や挙動等を検証するシミュレーションシステム。「車や航空機のエンジンのようなものを物理的に何度も作るのは費用面でも時間の面でも現実的ではない。そのため、コンピューターの中でものづくりと検証を擬似的に行ない、設計に役立てるのです」(多田さん)とのことで、シミュレーション用のアプリケーションを動かせるよう、スーパーコンピューターをセッティングするのが多田さんの仕事だ。
多田さんは「自分も研究開発部門に行きたかったので自分がITのプロとして、志を持って製品を作ったり研究している人たちを楽にさせたり、いいものを作るお手伝いをすることができれば、それはうれしいことだと思えて、IT部門にいることに疑問を抱かなくなった」と語る。こうして基礎技術研究に固辞しなくなった多田さんは、むしろ現場部門とコミュニケーションをとって、プロジェクトを円滑に進めていく現在のIT部門の方が自分は向いているのではないかとすら思い始めた。「CAEの管理者として、多くの研究・開発者をサポートできる。自分の仕事はこれだと思った」(多田さん)という。
このCAE時代に出会ったのが、いよいよ利用が始まりつつあったクラウドコンピューティングになる。この背景にはCAEシステム自体の独自性がある。「コンピューターシミュレーションって利用変動が激しいんです。いつ使うかわからないし、使う時の使用量が半端ない。稼働率をとって無駄のないようにしてるんですけど、その基礎研究が1年後やっているかも予想できない」という悩みがあった。今までは事業部でお金を出し合って、コンピュータを導入・運用して、共同利用してきたが、シミュレーションのニーズが高まってきて、社内でまかなえない要求も出てきた。「予算はあるし、研究は承認されているのに、やる場所がない。じゃあ、モノ買いますか?というと、現場からは4年も使いませんという答えが返ってくる」とのことで、以前から外部リソースの利用を打診されていたという。
こうした経緯で、クラウドについて多田さんが調べ始めたのが2012年。東京リージョンを開設済みで、HPC(High Performance Computing)向けのサービスを唯一パブリッククラウドで提供していたAWSに必然的に行き着くことになる。「大学や財団法人系のスパコン貸しは実績もあったんですけど、震災以降でニーズが高まっていて、けっこう混んでいたんです。だから、自分たちがやりたいタイミングで、計算ができない可能性があった。一方、AWSは豊富なHPCリソースを持っていそう。ただ、海のものだか、山のものだかわからなかった(笑)」(多田さん)とのことで、スペック表片手に現場のユーザーと相談した結果、クラウドにチャレンジしてみようという話になった。
試行錯誤はあったものの、最初の試みはうまくいった。ユーザーもクラウドは使えるという感触は持った。しかし、AWSでHPCを使っているユーザーが少なかったというのもあり、とにかく情報収集が必要だった。さらに、社内でクラウドを利用する難しさも浮き上がってきた。「ちょうど研究所にいたインフラ部門が本社に移ったタイミングで、こうした組織変更の影響もあって、今までのスピード感で動いてもらうことが難しかった。ネットワークなどクラウドを使う上でのインフラ基盤整備の必要性についてをインフラ部門に働きかけて、クラウドに積極的にならなければいけないということを言うようになった」(多田さん)という。
(次ページ、「パブリッククラウドを使おうなんて言っている人は誰もいなかった」)
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