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『新装版 計算機屋かく戦えり』の著者に聞く Part.1

『新装版 計算機屋かく戦えり』の著者に聞く Part.1

2005年11月16日 04時26分更新

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 毎日のようにパソコンのお世話になっている人も、日本最初のコンピューターが、いつ誰によって作られたかを知る人は少ないのではないか? 1996年に刊行された『計算機屋かく戦えり』は、国産コンピューターを作り、育てた当事者たちへの貴重なインタビュー集だ。2006年は、同書にも登場する日本最初のコンピューター『FUJIC(フジック)』が誕生して50周年を迎える。これに合わせて増補・追加された新装版『計算機屋かく戦えり』の著者・遠藤 諭氏に、今回の経緯を聞く。

新装版『計算機屋かく戦えり』

新装版『計算機屋かく戦えり』
新装版『計算機屋かく戦えり』(遠藤諭著、アスキー刊)/価格2310円(税込)/A5変(488ページ)/ISBN 4-7561-4678-3
公式ウェブサイト
(株)アスキー 新刊書籍案内
購入先
Amazon.co.jp、ほか

日本最初のコンピューターは、ほとんど1人の手で作られた
これは、世界的にも珍しい

[――] 日本のコンピューターも半世紀を迎えるんですね。
[遠藤] ちょうど10年前に、米国で『ENIAC(エニヤック)』誕生50周年というのを祝っていましたよね。ENIACというのは、第二次世界大戦中に、米陸軍の要請を受けてペンシルベニア大学で作られた“世界最初のコンピューター”と呼ばれたりするものです。それが、戦後間もない1946年2月に一般公開された。加減算は1/5000秒、掛け算は1/360秒と、とてつもない計算能力と大きな部屋を1つ占有する化け物のような巨大な真空管の固まりで、“コンピューター神話”というものを一気に作り上げてしまった。
[――] 1950年代のSF映画とかに出てくる何でも神がかり的に計算してしまうマザーコンピューターみたいな感じですね。
[遠藤] 本当にそうなのですよ。当時の誌面を米国の図書館から取り寄せてみるとですね、『ニューズウィーク(Newsweek)』の記事が有名で日本の研究者たちもこれに大いに刺激されたわけですが、実は、わずか1ページの記事なんです。それで、“Answer of Eny(エニイの答え)”とか“Fifty-Foot Brain(50フィートの頭脳)”とか、まさにSF映画の主人公のような扱いなのです。同じころに出た『ビジネスウィーク(Business Week)』のほうは、“Robot Calculator(ロボット計算機)”という題名が付けられている。それで、バラ色の未来とでもいうものが語られているのですよ。
[――] しかし、1946年2月といったら日本はまだ終戦の翌年が明けたところですね。
[遠藤] まだ、本当に戦争の傷跡が日本には残っていた、明日のご飯を心配するような時代だったと思います。つまり、日本はコンピューターの開発競争で、最初からハンデを追ってスタートしたわけなんです。それで、10年遅れで最初のコンピューターが動いた。
日本最初のコンピュータ『FUJIC』
『計算機屋かく戦えり』初版の扉写真にある、『FUJIC』本体の写真。現在は、入出力装置などとともに上野の国立科学博物館に常設展示されている
[――] その日本最初のコンピューターの『FUJIC』というのは、どんな機械なのですか?
[遠藤] 富士写真フイルムにいた岡崎文次というエンジニアが、レンズ設計のための計算を効率化できないかと考えるのですね。コンピューター開発のきっかけというのは、世界的に共通していて、“弾道計算”、“国勢調査”、“核開発”、“宇宙開発”、そして“レンズ設計”あたりが、5大テーマというか、お馴染みの顔ぶれなのです。もちろん、ほかの学術的な計算や機械などの設計、シミュレーションにも計算は必要なのですが、お金を掛けられる分野がこのあたりだったのでしょうね。
[――] 大航海時代に天文学が発達して、計算具の歴史もそのあたりから始まるというのも、元をたどると“富”ですね。
[遠藤] 岡崎文次のケースが面白いのは、実際に計算のニーズのあるところで自分でコンピューターを作ってしまったことなんです。米国や英国でもそうだし、日本でもそうなのですが、政府関係の機関や大学で相応の資金を投じて作られたものがほとんどなのです。ところが、FUJICは、富士写真フイルムで自社のレンズを設計するという、最初から商用の目的があって作られた。これは世界的に見ても珍しい例と言えます。
[――] FUJICも、ENIACと同じように真空管式なのですか?
[遠藤] 2極管を約500本、3極管を約1200本使っています。ENIACは、真空管を1万8000万本使っていたと言われますから1桁少ない数ですが、それでも数本しか使わないラジオとかとは比べものにならない複雑な機械ですよ。それを岡崎文次という人は、1人で構想して、論理設計、回路設計をこなして、最後は、若干の助けも借りてではあるけれど、ほんんど1人で組み立ててしまった。
[――] 究極の自作”と言えますね!
[遠藤] 自作なんてもんじゃないですよ。現在、上野の国立科学博物館に常設展示されていますが、巨大な機械です。しかも、“水銀遅延線記憶装置”やらタイプライタを改良した“印刷装置”やら“ディスプレー装置”やら、すべて手作り。“パンチカードの読み取り装置”で、ガラス管を曲げて光を誘導しているあたりは、もう泣けてくるような機械なのです。私は、FUJICの本体を見ると、日本のモノ作りの“魂”とでもいうものが宿っているような気さえするんですよ。残念ながら、岡崎氏は1989年に亡くなられました。本当は、岡崎文次とFUJICだけで1冊の本になっていないとおかしいと思っているのですが……。

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