店舗販売からEC販売へ インターネット時代がもたらした変遷
小林:サードウェーブの事業が拡大していく中で、転機がいくつもあったと思います。その中で一番大きかったものは何ですか?
永井:1つはネット販売、いわゆるEC販売への参入ですね。2000年ごろだったと思います。
小林:1990年代のパソコン雑誌には必ずパソコンショップの広告が載っていて、私も特価情報がないかなど、目を皿のようにして眺めていました。まだ電話やファックスで注文する時代でしたよね。そんな状況が変化したのは、常時接続が当たり前になった2000年代に入ってからだと思います。
永井:実はパーツショップにいると、よくお客様から「売っているパーツを組み合わせてパソコンを作ってほしい」という要望をいただくんですよ。そこで我々も店舗ごとに独自モデルを作って売り始めました。最初は店にあるものを組み合わせて作る程度でしたが、ウェブ上で「○○モデル」という形で出して販売するようになると、ネットを通じた受注がどんどん入ってくるようになりました。
そこで注文リストを各店舗に向けて公開して、「このパソコンを作るのはうちのショップ」という仕組みで、各店舗早いもの勝ちでパソコンを作って出荷するようになりました。でも、注文が増える中、店舗で組み立てるだけでは厳しくなってきました。
そんな中、当時の社長が「うちもパソコンの製造部門を立ち上げよう」と言い始めて、私に白羽の矢が立ちました。当初は東京から遠く離れた某所にある建物を活用してそこを工場にするという話だったのですが、ここだけの話、私は結婚したばかりだし、「東京を離れたくないなぁ」という気持ちが強かったのです(笑)。
そこで思いついたのが、海外から輸入したパーツが集められ、ショップに出荷する前に保管しておく倉庫を「工場に改造したらいいんじゃないか」というアイデアでした。勝どきの倉庫は天井が高く非常に大きなものだったので、「ここの内部にフロアーを足してそこで作業したら効率的なんじゃないか」と社長に提案したところ、「それはいい」ということで、倉庫の中2階がパソコンの組み立て工場になりました。そこでは私も組み立てに参加して、1日20台以上は組み立てていましたね。そこから少しずつ拡大して、工場も移転しながら今の規模になりました。
小林:すごい。ドスパラの社長がプロの自作erだったと聞いたら読者も驚きますよ! ちなみに当時、BTOパソコンを買われる方はどんな方だったのでしょうか? 当時といまで違いはありますか?
永井:皆さんそれぞれに、明確な用途や目的を持って購入されていた印象があります。例えば「ゲームをしたい」とか「自宅にファイルサーバーを構築したい」とか、あるいは「動画編集や音楽制作に使いたい」といった感じで。それぞれのこだわりに応じてカスタマイズしたり、必要に応じて増設したりしていました。お客様の多くは個人でしたが、そのようなパソコンに詳しい方というのは、会社でもパソコンを導入する際の「キーマン」になることが多い。自分のためにパソコンを組むという経験が、職場でパソコンのスペックを選定する際にも活かされていたわけです。
小林:なるほど。実際、大企業でもなければ、専任のIT管理者をおける会社はなかなかなかったですよね。となると、総務部の中でパソコンが好きな社員が担当したり、お前は詳しそうだから意見を聞かせろとかそんなノリでパソコンの購入や調達を担当することになったりする人も多かったのでしょうね。
パーツの調達は生もののようなもの
小林:御社がECに舵を切った2000年代の初頭は、活気のある時代だったのでしょうね。パーツ販売から在庫を活用しながらPC本体を製造し販売する事業へと拡大していく。それが世の中のニーズとも合致して、事業が大きく伸びる。まさに順風満帆に思えますが、苦労はなかったのでしょうか?
永井:もちろん大変なこともありましたよ。例えば在庫を抱えすぎてしまったり、為替が大きく動いて思わぬ損失を被ったりといったことが何度もありました。需要と供給による価格の変動、あるいは為替の動きによって仕入れ価格や在庫の価値が大きく変わる。そこは本当に注意が必要でした。生ものを扱っている感覚に近かったです(笑)。
小林:確かに、自作パーツはメモリーなど為替などの影響で激しく値動きすることがありますよね。逆にこれはすごく売れた、印象に残っているパーツはありますか?
永井:やはりグラフィック関連ですね。昔からうちはグラフィック系に力を入れていましたし、それがコア事業であり続けてきた印象があります。




