5月31日~6月1日にかけて、富士スピードウェイで開催された「スーパー耐久シリーズ 第3戦 富士24時間レース」に自動車ジャーナリストの筆者が参戦してきました。モータースポーツ活動を初めて3年目ですが、「参加型レースの最高峰」と言われているスーパー耐久、そして国内唯一の24時間レースへの参戦は1つの多くの目標でした。
果たして初のS耐チャレンジの行方は? 無事に完走できるのか!?
初のS耐&24時間レース
耐久の洗礼を受けたレースウィーク
今回ドライブさせていただいたのは、ST-5Rクラスに参戦しているチーム「OVER DRIVE」の65号車「odula TONE 制動屋ROADSTER」。昨年の24時間でもクラス2位を獲得していて、実績のあるチームからエントリーさせてもらえたのは本当に心強かったです。「自分がミスをしなければ表彰台は狙えるハズ」そう思って挑みました。しかし、念願だった初のスーパー耐久24時間のレースウィークは、耐久レースの洗礼を受けたと感じた時間でした。
まずレース全体が天候に翻弄されたのが1つ目の洗礼でした。富士は筆者のホームコースでもあるため、天気が崩れやすいのは理解していますが、雷雨によるスタート1時間遅れ(これにより23時間レースに)や霧による合計4時間近くの赤旗中断などがあり、当初の予定通りスティントが消化できない状況となりました。
いよいよ自身のスティント! のはずが…
16時のスタートから約3時間半が経過した19時30分。いよいよ筆者のスティントがやってきました。ドライバー交代をしてマシンに乗り込み、エアジャッキが降ろされ、いざコースイン! と思ったのですが、無線からは「ダメです! デフオイルが漏れてます!」との声が、そこからマシンはガレージに入れられ、トラブルリペアのため3時間のストップとなりました。
筆者の直前のスティントを担当していた外園選手はチームの皆さんに申し訳ないと謝っていました。外園選手曰く、速い上位クラスからの強引な追い抜きを避けた際に、グラベルと縁石に乗り上げたため、デフオイルクーラーをヒットしてしまい、オイルラインが外れてデフオイル漏れになってしまい、デフブローという結果を招いたとのことでした。速度差があるマシンが走るS耐だからこその難しさと言えます。
でも、外園選手の対応は最適解の1つであったとチームの皆が思っていました。もしも、グラベルまでラインを譲ることがなかったら、接触していたかもしれません。それだとそこで65号車の24時間レースが、約3時間で終わってしまっていたでしょう。24時間のサバイバルレースは完走してこそ価値があるのです。大きなクラッシュより、トラブルを修理できる程度のダメージの方がまだチャンスがあると言えます。
そして、デフトラブルに対応できるチームOVER DRIVEもさすがだなと改めて思いました。こんな事態を見越して予備のデフを持ってきていたのです。デフを載せ替えて再びマシンをコースに送り出せるのは、昨年24時間レースでクラス2位を獲得した強豪チームだからこその対応力と言えます。
