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オタクという言葉の持つ意味合いは変化している

“オタク”とは、何者なのか?

2025年02月16日 11時00分更新

文● 貝塚/ASCII

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オタクの意味は変化している

オタク──(多く片仮名で書く)特定の分野・物事に熱中し、深い知識を持つ人。仲間内で相手を「御宅」と呼ぶ傾向に着目しての称。(広辞苑第7版より)

 「オタク」という言葉が、かつて“不名誉なニュアンス”を持っていたと認識している人は少なくないだろう。

 “ダサい”服装に身を包み、世の中の多くの人は関心を示さない(が、ある種類の人々は熱狂的に支持する)特定の分野に熱中し、何やら仲間内で盛り上がっている……これが、昔のオタクのイメージではないだろうか。

 こうした“オタク的なオタク”の認識が存在したのは、1980年代から、2000年代に入る頃までだろうか。

 しかし、今はどうだろう。世の中には、かつてのオタクという言葉が定義する要素を持っている人があふれている。オタク的な趣味は、もはや普遍的な趣味になりつつある。マイノリティーではない。珍しくない。

 オタクと、オタクでない人の境界線も、もはや曖昧だ。アニメを熱中して見る人は、かつては間違いなくオタクだった。いまはオタクというよりも「アニメが好きな人」だ。アイドルのコンサートに通う人も、かつてはオタクだった。いまは「アイドルが好きな人」だ。

 「推し」や「推し活」という言葉も普及している。実在/非実在、フィクション/ノンフィクションを問わず、特定の誰か/何か(推し)を応援する気持ちを持ち、生活スタイルや経済活動において重視し、強い感情を向ける行為が推し活である。

 意味合いから考えると、推し活をする人は、「特定の分野・物事に熱中し、深い知識を持つ人」というオタクの定義に当てはまりそうにも思える。

 では、推しがいる人はオタクか? いや、「推しがいる人」なのだ。

相手を蔑むようなニュアンスは薄れつつある

 オタクという言葉には、相手を蔑むようなニュアンスがあったかもしれない。しかし、今では、そのようなイメージも薄れつつある。「特定のものをめちゃくちゃ好きな人」という意味合いでしか使われないこともしばしばだ。

 もはや、趣味や興味の範囲・傾向だけでは、誰かがオタクであるかどうかを判別することはできない。

 時代は変わった。どこかアンダーグラウンドで、多くの人にとって理解不能な面も多かったオタク的なカルチャーは、いまや大衆に受け入れられている。ポップでメジャーなカルチャーになったのだ。

称号、ラベルとしてのオタク

 役割を失った言葉は次第に使われなくなり、廃れていく。

 例えば「半ドン」という言葉がある。これは、かつては会社や学校などで土曜日が休日でなく半休だったことに由来し、「午前中は仕事/授業で、午後は休みの土曜日」という意味を持っていた(「ドン」の由来については諸説ある)。現在は週休二日制が主流になり、使われなくなった。

 ところがどうだろう。オタクという言葉は消えてはいない。前述のように、オタクという言葉が定義していた範囲が広がりすぎ、またその要素を持つ人が多くいる現代では、言葉が存在する必要性は低下しているように思える。にもかかわらず、なぜ死語化しないのか。

 筆者は、オタクという言葉が持っている称号・ラベルとしての役割は生き残っているからだと考える。

 どういうことか。かつて、オタクは「(悪い意味で)特定の分野・物事に熱中している人たち」というレッテルを貼る側面を強く持つ言葉だった。相手のこともよく知らずに、さえない外見の人・暗い性格の人だと主観的に判断し、「オタクっぽい」と決めつけるような、否定的な意味合いを多分に含む言葉だったともいえる。

 しかし、そのようなネガティブな意味合いでの「オタク」という表現が使われなくなってきた。そうなると、「自分は特定の分野・物事に熱中し、深い知識を持っている人物である」ということを、「オタクである」と一言で他人に伝えられるのは便利だ。つまり、言葉としての存在意義が大きい。

自己アピールにも使える言葉に変化した

 「私、アニメオタクなんですけど」や「自分、オーオタ(オーディオオタク)で」「あの人、ドルオタ(アイドルオタク)なんだけど」という切り出し方で会話が始まるケースは、現代でも少なくない。

 そこには、むしろポジティブなニュアンスが含まれていることすらある。あるいは、「熱中しているけれど、それでいいのかなと自分でも思っているんですよ」という、謙遜のニュアンスを持たせることもある。

 単に「好き」というだけでなく、特定の対象に関して「長年のファンで、プライベートな時間の多くを捧げるほど熱中している」「好きでたまらず、深い造詣を持っていて、存分に楽しんでいる」といった特別な思いを持っていることを他人に伝えたいシーンで、オタクという言葉が使われているように思う。

 言葉から侮蔑めいたニュアンスが少しずつ切り離され、「特定の分野・物事に熱中し、深い知識を持つ」というコアが強調された結果、自己アピールや(決してネガティブでない)ラベリングとしての役割を持った、使いやすく、普遍的な言葉に変化したと言えるのではないか。

 またこの変化には、外見的な特徴と内面を結びつけて他人を評価することを非礼とする視点も、影響しているのかもしれない。

「陰キャ」という言葉が生まれてはいるが……

 余談ではあるが、かつてのオタクという言葉が内包していた「さえない外見で、社交的ではない人たち」という意味を指す言葉は、現在では「陰キャ」などの言葉に取って代わられたように思う。

 ただ、こういった言葉も、結局はレッテルを貼るために恣意的に使われてしまいがちだ。当たり前のことではあるが、人を外見からの情報のみで判断したり独断的に言葉で定義したりするのは誠実でなく、避けたい行為といえる。

 オタクという言葉の持つ意味が、よいものであっても悪いものであっても、またどのように変化しても、「あの人はオタクだ」と勝手に決めつけるのは失礼なことなのだから。

オタクは、Otakuへ

 日本語が多くの外来語を含んでいるように、英語にも、日本語から吸収された言葉がある。

 「Emoji(絵文字)」や「Karaoke(カラオケ)」はその代表例だ。

 実は「Otaku(オタク)」も、英語圏でよく使われている。何年も前のこと、英語圏で暮らす知り合いが会話の流れで「I'm actually Otaku.(私ってオタクなのよね)」と言ってきたことがあった。

 「Otakuって、英語でも使うんだなー」と思ったので「特に、何に興味があるのか?」とたずねてみたところ、その人は不思議そうな顔をして、「Otakuっていうのは、アニメとかゲームとかが大好きな人って意味でしょ?」と言っていたことを覚えている。

 もちろん、英語圏と言っても広いし、英語の話者は世界中にいるので断定はできない。ただ、筆者の体験の場合、日本語のオタクは「○○+オタク」などと接頭語を使って特定のジャンルへの興味を表すことができるのに対して、英語の「Otaku」は「主にアニメ、ゲーム、マンガを中心としたカルチャーが大好き(な人)」という意味合いで使われたのだと推測できる。

 日本語の「オタク」が「特定の分野・物事に熱中し、深い知識を持つ人」ならば、この場合の「Otaku」は「アニメ、ゲーム、マンガを中心としたカルチャーに熱中し、深い知識を持つ人」といったところか。

 おそらく、日本発のアニメやゲーム、マンガがインターネットに載って世界中に広がったのと同時にオタクという言葉も浸透したものと思われるので、その影響も大きいのかもしれない。もし体験談があれば、SNSなどで寄せてほしい。

 いずれにせよ、日本で生まれた「オタク」という言葉が海外に流れ、日常会話の中で「Otaku」として一般的に使われている。

 もう少し掘り下げると、「Nard」「Geek」という単語もあって、Nardは日本語のオタクの“かつてのニュアンス”に近い、侮蔑的な意味合いを含んでいる。Geekは、どちらかというと特定の分野に熱中して極めているニュアンスを強く持っており、特に、技術、科学、ITなどに対し深い造詣を持つ人物に対してもよく使われているようだ(かつては、やはり侮蔑的なニュアンスも大きかったらしい)。

 これらの単語をベースに考えると、Otakuは、「Geek的であって、かつ興味の範囲はアニメ、ゲーム、マンガを中心としたカルチャーである」とも表現できるかもしれない。

オタクってかっこいいんじゃない?

 何かに熱中するのは、いいことか、悪いことか? この回答は人によって異なる気がする。生産性が重視される世の中だ。「物事に熱中し過ぎることには弊害がある」と考える人もいるだろうし、「莫大なアウトプットやイノベーションにつながる可能性」を尊重する人もいるだろう。

 個人的には熱中できるほど好きなことがあるのって、いいことだと思う。誰かに自慢できるほど好きなものを持っていたり、何かに熱中している人ってかっこいいと思う。

 好きな物事に「自分はオタクである」と言えるほどの強い気持ちを向けられること、同じ趣味を持つもの同士で知識・体験・喜びを共有できること。それは、なんとも素晴らしいことではないか。

ASCII編集部、秋葉原でイベントします!

 ……とまあ、力強く語ってきましたが、日本でも、海外でも、最近ではさまざまなオタク文化が市民権を得ています。「ゲーミングPC」という存在も、その一つではないでしょうか。

 かつてはゲームを楽しむならば、主に「ゲーム機」を利用したものですが、今ではPCでのゲームプレーが当たり前。動画共有サイト上での実況や配信の文化などを考えれば、これからますますゲーミングPCがポピュラーになっていくかもしれません。

 とはいっても、ゲーミングPCって、どう選んだらいいか、悩みますよね〜。BTO(Build To Order。既成のPCより詳細にパーツ構成(CPU、メモリー、SSDなど)をカスタマイズすること)でパソコンを買う手段もあるけれど、どう組み合わせていいか迷う……ということもあるでしょう。

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 もし、PCオタク、あるいはPCに詳しい人としての道を歩み始めたいなら、ASCII編集部は喜んでサポートしますよ!

TOKYO Gaming-PC STREET 3 in LIFORK AKIHABARA II
2025年2月22日(土)13時〜17時30分予定

開場:13時
LIFORK(リフォーク)秋葉原Ⅱ 1階
入場・観覧無料
イベント詳細:https://ascii.jp/elem/000/004/250/4250753/

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