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体外受精で残った「余剰胚」をどう扱うべきか?

2025年01月28日 11時44分更新

文● Jessica Hamzelou

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Stephanie Arnett/MIT Technology Review | Adobe Stock

画像クレジット:Stephanie Arnett/MIT Technology Review | Adobe Stock

IVF(体外受精)が上手くいって、妊娠したときに、胚が余ることがある。この余った胚(余剰胚)をどうするか、IVF利用者の間でも選択が分かれる。決断を先送りにしたままの利用者も少なくない。

この記事は米国版ニュースレターを一部再編集したものです。

ここ数カ月、私はIVF(体外受精)胚に関する記事の準備に追われていた。体外受精の目標は、研究室内でのちょっとした作業で赤ちゃんを誕生させることだ。たくさんの卵子を放出させ、研究室で精子と引き合わせて胚を作り、その胚の1つをヒトの子宮に移植して健康な妊娠を祈る。ときには上手くいかないこともあるが、たいていは上手くいく。この記事で私は、残された健康な胚がどうなるのかを探った。

今回私は、5年ほど前に英国でIVF治療を受けたリサ・ホリガンに話を聞いた。ホリガンは、「遺伝的に異常な」胚を科学研究のために寄付した。しかし彼女はまだ、1つの健康な胚を凍結保存している。ホリガンはその胚をどうするべきか、決められないでいる。

決断に悩んでいるのはホリガンだけではない。「残された」胚は保管タンクの中で凍結保存されている。肉眼では見えないほどの大きさの胚は細いストローの中に入っており、仮死状態で成長が止まっている。その胚がどうなるかは、個人の選択次第だ。しかし、その選択は、複雑に絡み合う法律や倫理的・社会的要因によって制限されることがある。

最近では、責任感のあるIVFクリニックは、治療を始める前に必ず、胚が余る可能性について患者と話をする。IVFを希望する親は、それらの胚をどうしたいか示す書類に署名することになる。一般的には、最終的に使用しなかった胚を廃棄するか、あるいは他の妊娠を希望する誰かや研究のために寄付するか、どちらかを早い段階で決めることになる。

しかし、まだ治療が始まってもいないのにこのような決断をするのは、かなり難しいということがある。不妊治療を受けようとしている人は大抵、妊娠するために長い時間を費やしてきている。もちろん健康な胚を望んでいるが、いくつかの胚が残ってしまうことや、残った胚について自分がどう感じるかということを想像できない人もいる。

多くの人々にとって、胚は単なる球状の細胞ではない。何と言っても、胚は生命の可能性を秘めている。胚を、生まれてくるのを待っている子どもと見なす人たちもいる。中には、自分の胚に名前をつけたり、「冷凍赤ちゃん」と呼ぶ人さえいる。また、長くて疲れ果てる、そしてかなり高くつくIVFの旅の成果と見なす人もいる。

ホリガンは当初、自分の胚を他の人に寄付することを検討したが、夫は反対したと話す。夫は胚を自分たちの子どもと考え、他の家族に譲るのは気が進まないと言っていた。「私は、大きくなった子どもが私のところへやってきて、ひどい人生を送ってきたと言われ、『どうして私を産んでくれなかったの?』と聞かれるのではないかと考えるようになりました」と、ホリガンは私に話した。

ホリガンが暮らす英国では、胚を最長55年間保存できる。 廃棄や寄付もできる。しかし、他の国ではそうはいかない。例えばイタリアでは、胚を廃棄したり寄付することはできない。凍結された胚は、いつか法制度が変わらない限り、永久にそのまま眠り続けることになる。

米国では、州によって規制が異なる。法制度がバラバラであるため、ある州は胚に法的地位を授け、子どもと同じ権利を与えることができるが、別の州ではまったく法制度が整備されていないこともあるのだ。

保管タンクで凍結されている胚の総数は誰もはっきりとは知らないが、米国だけで100万から1000万個と考えられている。それらの胚の中には、何年も、または何十年も保管されているものもある。中には、IVFを希望した親が、年間数百ドルの手数料を支払って意図的に凍結保管し続けることを選ぶこともある。

しかし、クリニックが両親と連絡を取れなくなった場合もある。そのような両親の多くは、胚の保管料を支払わなくなっているが、最新の同意書がないと、クリニックは進んで胚を廃棄しようとしないことがある。もしその人が戻ってきて、やはり残った胚を使いたいと言ってきたらどうするのか?

「ほとんどのクリニックは、少しでもためらいや疑問があれば、念のためそのような胚を廃棄せずに保持します」。シカゴにあるインヴィア不妊治療センターの生殖内分泌学者で、米国生殖医学会(American Society for Reproductive Medicine)の倫理委員会の委員長も務めるシガル・クリプスタイン医師は言う。「廃棄は片道切符のようなものだからです」。

クリプスタイン医師は、胚の一部が 保管されたまま「放置」されてしまう理由の1つを、その胚を作った人たちが廃棄する気になれないからだと考えている。「家族を持つことを非常に強く願ってきた人にとって、廃棄は感情的にとても難しいことです」と、クリプスタイン医師は言う。

クリプスタイン医師は、残った胚をどうするかということについて、定期的に患者と話をしているという。自信を持って決断した人であっても、気が変わることがあるという。「胚を廃棄した後、6カ月や1年経った後に戻ってきて、『ああ、あの胚があればよかったのに』と言う患者を、私たち全員が担当したことがあります。」と、クリプスタイン医師は話してくれた。「その胚が、妊娠するための絶好のチャンスだったかもしれないのです」。

胚を廃棄したい人には選択肢がある。多くの場合、胚は単純に空気にさらさて廃棄される。しかし、クリニックの中には、妊娠の可能性が極めて低い時期や部位にそれらの胚を移植してくれるところもある。この、「思いやりのある移植」として知られている方法は、胚を廃棄するより「自然な」方法と言えるかもしれない。

だが、誰にでも使える方法ではない。ホリガンは何度も流産を経験しており、思いやりのある移植を受けたら、流産と同じような感覚になるのではないかと考えている。「(自分の)身体と心に不必要なストレスをかける」だけの結果になるのではないかと思えてしまうのだ。

結局のところ、ホリガンや他の多くの同じような立場の人々にとって、この選択が難しいものであることに変わりない。「それらの胚は(中略)とても望まれていた胚です」と、クリプスタイン医師は言う。「IVF治療を受ける目的は、赤ちゃんを作るために、胚を作り出すことです。そして、胚を手に入れた人々は、家族計画を完成させたとき、想像していなかった立場に置かれるかもしれないのです」。

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出生率は世界中で、安定した人口を維持するのに必要な水準を下回っている。しかし、IVFでは迫り来る少子化の危機から私たちを救うことはできない。ジェンダー平等と家族に優しい政策の方が、役に立つ可能性がはるかに高い

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