イギリスの気鋭ライターであるトム・スタンデージの「なぞのチェス指し人形『ターク』」(ハヤカワ文庫NF)は、18世紀のウィーンに現れた自動人形(オートマトン)の数奇な運命を描いたノンフィクションだ。トルコ人を意味する「ターク」は、オーストリアの官僚によって作られた中東風の衣装に身を包み、巧みにチェスを指す。チャンピオンすら負かす腕前を持つ「彼」は、欧米各国で興行を成功させ、時の為政者であるマリア・テレジアやナポレオンのほか、ベンジャミン・フランクリン、エドガー・アラン・ポーなどを驚かせる。
果たして「彼」は純粋な機械なのか、果たしてイリュージョンなのか。あまりにも精巧なタークの正体は開発者以外、誰にもわからない。「発明」「偽物」などさまざまな憶測を呼びつつ、タークは持ち主を変えながら数奇な運命をたどることになる。そして20世紀に持ち越されたチェスとコンピューターの関係は、アラン・チューリングをはじめとする先人たちの試行錯誤を経て、IBMのディープブルーと人間は頂上決戦へ……。数多くの文献とタークマニアの情報、資料から構成された力作で、圧倒的な読み応えがあった。
本文にも引用された「十分に進化したテクノロジーは魔法と見分けがつかなくなる」(アーサー・C・クラーク)の言葉の通り、人間の手作業が次々と機械化されていた産業革命の18世紀、多くの人はタークがテクノロジーか、魔法か、見分けが付かなかった。そして、これは「人間でしかできないと思っていたこと」を次々とやり遂げてしまう生成AIブームにいる今の私たちも同じ。AIと人間との関係はどうあるべきか? 200年以上前の歴史から多くのヒントが得られるはずだ。
文:大谷イビサ
ASCII.jpのクラウド・IT担当で、TECH.ASCII.jpの編集長。「インターネットASCII」や「アスキーNT」「NETWORK magazine」などの編集を担当し、2011年から現職。「ITだってエンタテインメント」をキーワードに、楽しく、ユーザー目線に立った情報発信を心がけている。2017年からは「ASCII TeamLeaders」を立ち上げ、SaaSの活用と働き方の理想像を追い続けている。