◆Hondaの歴史が順を追ってわかる構成
館内は入って上手(右側)が二輪、下手(左側)が四輪と分けられており、2階は量販車、3階はレーシングカーというフロアー構成。そして1階は上手に本田宗一郎さんと共同創業者の藤澤武夫さんの足跡、下手がミュージアムショップとなっています。
まずは1階のHondaが誕生する歴史とその足跡の紹介について。本田宗一郎さんは1906年(明治39年)に浜松市にて鍛冶屋の長男として生を受けます。小学生の頃に自動車や飛行機を目にし、高等小学校(現在でいう中学校)卒業後に、東京のアート商会に入社。6年後、暖簾分けという形でアート商会浜松支店を開業します。
1924年、「第5回自動車競走大会」への参戦車両「カーチス号」(正しくはアート・カーチス号)の制作に携わりました。カーチス号は1936年まで複数回優勝。本田宗一郎さんは制作を契機に「レーサー造りは病みつきになってしまった」と懐古されています。
1928年、のれん分けという形でアート商会浜松支店を開業。自動車修理工場事業は順調に拡大するとともに、生涯の伴侶となる「さち」さんとご結婚(1935年)。本田宗一郎さんは公私にわたって充実した日々を過ごされるようになります。
そして1947年。旧陸軍が所有していた無線機の発電用エンジンと出会った本田宗一郎さんは、買い出しのため遠くへ行く妻を思い、自転車の補助動力にすることを発案。約500基あったエンジンを、自転車用補助エンジンにつくり変えて売り出しました。あっという間に売り切ってしまい、本田宗一郎さんはHonda A型エンジンを開発しました。そして1948年に浜松市内に従業員34人、資本金100万円で本田技研工業株式会社を創立しました。
1948年には、初となる本格二輪車「ドリームD型」を発表。当時のバイクは鋼管フレームが主流でしたが、ドリームD型は量産性の高いプレス鋼板のチャネルフレームを採用。さらにクラッチ操作を必要としない2速トランスミッションを開発。多くの人の注目を集めました。この頃から「夢=ドリーム」の名を使われていたのですね。
1958年にはスーパーカブを発売。自動遠心クラッチなど、誰もが扱いやすいバイクとして大ヒットしました。そして1960年、本田技研工業から独立して、本田技術研究所を設立します。
四輪進出は1962年の事。最初のモデルは軽規格のスポーツカーとしてスポーツ360を発表します。ですが、このモデルは発売されることはなく、排気量を500㏄に拡大するとともにボディーを拡幅したS500が登場しました。ちなみに、この年に鈴鹿サーキットがオープン。本田宗一郎さんはSPORTS360 or スポーツ360に乗ってホームストレートを駆け抜けたのでした。
その後の快進撃は誰もが知るところ。その中で最も大きなできごとは、1963年の四輪進出、そして1972年、当時最も厳しいとされたアメリカの排出ガス規制、大気清浄法(マスキー法)を世界で初めてクリアーしたCVCCエンジンと、それを搭載したCIVICの誕生でしょう。
これは自動車メーカーとしての地位を確固たるものとした技術であると同時に、特にアメリカでは、すでに得ていた"2輪のHonda"としての名声に加えて、4輪でもHondaの知名度を高めることに成功。現在の強力な販売網の基本が、その時にでき上がりました。そして創業25周年を迎え、本田宗一郎さんは退任をされたのでした。
では、2階フロアーに足を進めましょう。
◆スマホでQRコード読み取りで音声ガイドのサービス
2階は入口側を背にして右側が二輪車、左側が四輪車の市販車が展示されています。まず二輪側から見ると数の多さに圧倒! それとて「栄光の一部」なのですから驚かされます。館内に説明員はいないのですが、代わりにスマホでQRコードを読み取ると音声ガイドが現れます。ですので、訪れる方はイヤフォンをお持ちになられることをオススメします。本当はそのすべてをご紹介したいのですが、気になったモデルをピックアップしてご紹介していきましょう。
Hondaの初期のバイクのA型です。試作品では燃料タンクが湯たんぽでしたが、こちらはちゃんとしたガソリンタンクになっていますね。
続いてカブ号F型。エンジンを後輪左側に取り付けることで、服が汚れないよう配慮されています。白いタンクと赤いエンジンというデザインで人気を集めました。
1969年に登場したドリームCB750Four。当時、他社のフラグシップモデルが650㏄の2気筒エンジンであったのに対し、世界初となる750㏄並列4気筒エンジンを搭載! 最高出力67馬力、最高速度200km/hという圧倒的パフォーマンスで注目を集めました。そして大型バイクを象徴する「ナナハン」という流行語まで生み出しました。
団塊ジュニア世代の憧れ、レーサーレプリカのNSR250Rも展示されていました! ワークスレーサーNSR500のレプリカで、市販車のNSRシリーズの中ではフラッグシップモデルになります。展示されているモデルは1986年に登場したMC16と呼ばれる初代モデルで、2ストローク2気筒エンジンからは45馬力を発生しました。その後NSR250Rは1993年の4代目まで続きました。
1992年の登場したNR。1気筒あたり8バルブの楕円ピストンを採用という、型破りのV型4気筒エンジンを搭載。カウルはすべてカーボンファイバー製のハンドメイドで、当時の価格は520万円! 322台が生産されました。