2023年度のリニューアルオープンに向けた大規模改修工事のため、長期休館中の横浜美術館。美術館のスタッフはお休みのあいだも忙しく働いているようですが、彼らはいったい何をしているの? そもそも美術館のスタッフってどんな人?
そんな素朴なギモンにお答えするシリーズ第12弾は、いよいよ館長が登場。2020年4月に就任し、まさに新生・横浜美術館の舵取役として奮闘中です。リニューアルで何が変わるのか、変わらないのか。そして横浜美術館はどこへ向かおうとしているのか。今お話しできる最新情報をお伝えします!
前回の記事はこちら 横浜美術館おしごと図鑑――vol.11 ミュージアムショップ&カフェ担当 普川由貴子
※過去の記事掲載はこちら アートで暮らしに彩りを。ヨコハマ・アート・ダイアリー
より明るく快適に生まれ変わる横浜美術館で、心地良い時間をお過ごしいただきたい。30年の蓄積を活かしつつ、次の時代に向けてアップデート中
――美術館の館長って、何をしているの?
蔵屋:ひと言でいうと「館の方向性をディレクションする人」です。展覧会や教育普及プログラムといった事業はもちろん、庶務的な管理業務、経営、建物のしつらえなど、美術館にまつわるあらゆるコト・モノをみることが求められます。これらのすべてをもって、美術館としての個性を際立たせ、進むべき方向を表現する、という感じでしょうか。とても幅広いので、一緒に働いている職員でも想像しにくいでしょうし、私自身、実際にやってみてはじめて「こういうことか」と思いました(笑)。
――休館中は何をしているの?
蔵屋:長期休館は新しい時代に向けた「変化」のために良い機会です。30年にわたる蓄積を活かしながら、それらをアップデートする仕事に取り組んでいます。 たとえば「多様性」について。横浜美術館では、これまでもさまざまな方に来ていただけるよう努力してきましたが、この3年の間にも社会の多様性に対する意識は大きく変化しています。これに対応するために、館内表示のような身近なモノからもっと大きなコトまで、何が必要かを考えています。
――なんだか難しそうですね。
蔵屋:確かに、言うは易しですが、実行は簡単ではありません。美術館で働く人は、学芸員も、教育普及担当も、司書も、事務職も、誰もがお客様をみながら物事を考えるタイプが多いんです。お客様が喜んでくださった。お客様が困っておられる。その反応をみながら軌道修正したり、何が必要なのかを考える習性が身についているので、お客様がいない空間で、観念的な部分だけを考えて3年間を過ごすというのは未知の世界です。精神的にもタフなことで、昨年は煮詰まった顔をしている職員も多かった気がします。ようやくリニューアルオープンに向けた現実的な作業が始まったので、明確な目標に向かって仕事が流れだした感じですね。
いろんな人と関わり、応援してもらう
――館長の仕事は面白い?
蔵屋:館長に就任して驚いたのは、仕事の大半が「人と関わること」だということです。 私は学芸員としてキャリアを積んできましたが、学芸員の仕事は作品をお客様に伝えることなので、常にお客様のことを第一に考えます。それに対して館長は、みんながやりたい仕事をできているか、提案しやすく一方的に否定されない環境が整っているのか、といった職員の労働環境も考えなくてはいけません。対外的には、横浜市や市会の方々、企業の方々、近隣アート施設の方々など、いろんな人たちとコミュニケーションをはかり、応援してもらえる空気をつくることも大切です。
――「人」が好きなんですね。
蔵屋:いえ、私はもともと人と一緒にいることがそんなに得意なタイプではなく、独りでいる方が落ち着きます。けれど「アートが好き」という共通項さえあれば、肩書きに関係なく話ができるのはアートの良いところ。はじめは大変だと思いましたが、今は人と関わる仕事も自分なりに楽しんでいます。
――学芸員とは仕事の方向性が違うんですね。
蔵屋:そうですね。学芸員の仕事には、ひとつの物事を深く知り、自分が大好きなことだから皆さんの役にも立つに違いない!と突き進む信念が必要で、私自身、そんな「オタク気質」が7割くらいを占めている気がします。その一方で、キャリアを重ねる中で、皆さんの役に立つには自分の世界に浸っているだけではダメ、周囲にきちんとメッセージを伝え、応援してもらうことが必要だということも学びました。だから「横浜美術館の館長に」というお話をいただいたときは、経営的な観点まで含めてトータルでチャレンジできるのだと考え、身が引き締まる思いでした。
横浜美術館はお客様の「顔」がみえる
――もともと美術が好きだった?
蔵屋:母は趣味で絵を描く人で美術館が好き、歴史オタクの父は博物館好きでした。生後3カ月の頃に東京国立博物館で撮った写真があるくらいですから、私がこの道に進むことは運命づけられていた気がします(笑)。実際、幼い頃から絵が好きで「絵の上手な子」として育ち、美大で油画を専攻しました。ところが、大学に入ったことで満足してしまったのか、その先何をしていいのか解らなくなってしまいまして…。卒業後は一般企業に就職し、パッケージデザインの仕事をしていましたが、それも違う気がして、しばらくフリーターもやりました。その後、大学院で芸術学を学び直したことで「自分は絵を描くより、人がつくった作品を言葉で研究したり説明したりすることが得意なんだ」ということが解ったんです。得意なことを活かしたいと思っていたところ、修士課程修了後、幸いにも東京国立近代美術館に学芸員として就職することができました。そして2020年、お声がけいただいた横浜美術館の館長に就任しました。
――横浜美術館と前職美術館との違いは?
蔵屋:美術館にはそれぞれ個性があります。立地、所蔵作品や企画、学芸員もそれぞれなので、独自のルールや傾向があるのは当然です。とはいえ、作品の管理方法や展示の基本は同じなので、実務で戸惑うことはあまりありません。
ひとつ驚いたのは、横浜市が求める横浜美術館のスタンスです。国立の美術館は「国民の皆様」に対して事業を行うので、お客様の顔がみえづらいところがありました。横浜美術館の場合、まず考えるべきお客様は、ごく身近にいらっしゃる横浜市民の皆さんです。つまり、顔や特性がよくみえる。中には遠くて来館できない人、病気で入院しているお子さん、貧困などの困りごとを抱えている方もいらっしゃるので、そうしたお客様のニーズに応えるためには、無償で提供する市民サービスも重視されます。とかく経営的な収支に目がいきがちな時代にあって、着任時に「社会的な意義とのバランスを考えて運営してください」と言われたことが新鮮で、美術館の存在意義を市の皆さんと共有できているのだと思いました。
――リニューアルオープンで楽しみなことは?
蔵屋:まず、予想外にクリーンで快適な空間になりそうなことです。 当初、今回のリニューアルは空調設備の更新が主なので、建物の見た目はあまり変わらないと言われていました。けれど、30年間の汚れがキレイに洗い落とされた建物は、ツートーンくらいアップしてピッカピカ。工事の職人さん達が、心を込めて作業をし、一つひとつの石の洗浄までしてくださったおかげです。照明もLEDになったので、より明るい空間になったと思います。
そして一番楽しみなのは、そんなピッカピカの空間に新しい什器が入り、作品が展示され、それをご覧になっているお客様の姿をみることです。展示の前で「いいねぇ」と話し、「いい一日だったな」とつぶやいてお帰りになる、そんなお客様の姿を柱の影からそっと見守る。こんなシーンを夢みています。
――蔵屋さんにとって「美術館」とはどんなところ?
蔵屋:「居場所」です。
作品をみるのも好きですが、他のお客様が作品をみて「いいな」と言っているのをみるのも好きだし、ただそこに座ってボーッとしているのも好きだし、トイレで和むのも好き。とにかく居心地が良い場所なんです。生後3カ月の頃から毎週のように連れて行ってもらったし、今も週末はいろんな美術館に行くので、きっと、死んだ後も幽霊になってどこかの美術館にいると思います(笑)。
――根っからの「美術館の人々」なんですね!
蔵屋:もちろん、すべての人に美術館好きになって欲しいわけではありません。サッカーが好きな人はスタジアムへ行くし、海や川の生きものが好きな人は水族館へ行く。それが私にとっては美術館なんです。横浜美術館が、他の誰かにとってそんな居心地の良い場所であったらいいな、と思っています。たとえばグランドギャラリーは、NYのグランドセントラル駅のように広々とした気持ちの良い空間です。そこにただ座って、誰にも邪魔されず、人が行き交うのを眺めているだけでも、幸せな気分になれると思いませんか。
詳細はまだ発表できる段階ではありませんが、より気軽に訪れていただける「開かれた美術館」を目指し、さまざまな検討が進んでいます。その空間を楽しむだけでもいいので、ぜひ足を運んでみてください。リニューアルオープン後の横浜美術館でお待ちしています。
蔵屋 美香(くらや・みか)
美術大学で油画を専攻。その後大学院で美術史・芸術学を学ぶ。「制作の経験があるからこそできる作品分析」が売り。実は美大進学のひそかなねらいは漫画家デビューだった。2021年に「暗☆闇香(くら・やみか)」のペンネームでとうとうデビュー。無事リニューアルオープンして落ち着いたら漫画家活動も再開したいと考えている。趣味は音楽を聴くこととヨガをすること。きらいなものはネギと鳥類。
<わたしの仕事のおとも>
甘いもの
お酒は飲まないので、甘いものが好き。オフィスに常備されていているお菓子BOXは魔物ですね。つい食べてしまうので、アイスは1日1個と決めています。開け口にLINEスタンプみたいな一言があるので、毎日スマホで撮って記録を残しています。
撮影:福田栄美子
<わたしの推し!横浜美術館コレクション>
パブロ・ピカソ《ひじかけ椅子で眠る女》1927年
このイラストは、館長に就任したもののコロナ禍で在宅が続き、ほとんど出勤できず、自宅で所蔵作品について学んでいるときに思いついて描いたものです。私は作品をわりと細部までくっきりビジュアルイメージとして記憶するタイプなので、アマビエをみたときに「ピカソの絵と形態が似ている」と気づいて描いてみました。
天才ピカソと呼ばれますが、実は、構図のつくり方は教科書的な法則に則っていることが多いんです。この作品も制作のプロセスがよく解るので、眺めていると「ここをこうしたのは、こんな理由からだったんだね」などとピカソと話をしている気分になれます。そんな、分析しながらいつまででもみていられる作品が好きです。
※この記事は下記を一部編集のうえ、転載しています。
―note「美術館のひとびと」