戦国LOVE Walkerは、筆者も理事を務める「メタ観光」(同じ位置情報に様々な観光が重なっているという考え方)を基に、戦国時代をメインにして、歴史というレイヤーであたらしい観光を考える「戦国メタ散歩」を提唱している。この連載は、戦国にまつわる古戦場やお城、事件の現場は勿論、展覧会や博物館、美術館を訪ね、食や名物など歴史以外の様々な観光のレイヤー(層)も取り込んで、幅広く戦国を楽しむ連載である。
第2回は、2023年5月10日夜に放送をしたエリアLOVE WalkerのYouTube番組「【激論】黒幕は誰だ!?”金ヶ崎の退き口”【戦国LOVEWalker #02】」の戦国メタ散歩・パートで、福井県・敦賀市の金ヶ崎に取材に行ってきた筆者の現地リポートです。
金ヶ崎城~佐田の浜~国吉城を激走する織田軍の退却戦を実装しながらご当地グルメも食べまくり
前回のYouTube「【激論】三方ヶ原の戦い…家康はどうする“べき”だった!?【戦国LOVEWalker #01】」では徳川家康最大の危機を激論したが、今回は織田信長最大の危機。しかも、裏で糸を引いていた黒幕を語りまくった。ゲストには、信長最大の危機...やばい状況...ギリギリ...アップアップ...そうだ!アップアップガールズさんだ!ということで、関根梓さん (アップアップガールズ(仮))に参加していただき、MC中西と戦国LOVE Walker編集長のアツシ・ヤマモト、総編集長の玉置の激論(妄論)をジャッジしてもらった。
金ヶ崎の退き口とは、1570年・元亀元年、越前国の金ヶ崎、現在の福井県敦賀市金ヶ崎町で、織田信長が率いる「織田軍」と朝倉義景が率いる「朝倉軍」との戦いに、織田と同盟を組んでいた浅井長政が裏切り、三方を山に囲まれ、もう一方は海と言う袋小路に追い詰められた織田信長が死にものぐるいの退却を余儀なくされた戦い。殿を木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が務め、追い詰められた藤吉郎を退却中の徳川家康が救ったという話も伝わる(諸説あり)。明智光秀も殿にいたという話もあり、戦国の重要人物が勢ぞろいで危機を迎えた退き口(退却戦)だった。
■戦国メタ散歩
筆者は決断の地である山城、金ヶ崎城跡を訪れ、麓にある金崎宮の田村典男宮司にご案内を頂いて、かつて本丸があった月見御殿跡や木戸や掘割を巡り、守るに不利と判断した木下藤吉郎が、脱出先として向かった10数キロほど若狭の国に入った要害堅固な国吉城と、その手前で、追いついた朝倉軍と激戦があったと伝わる佐田の浜を回った。
そして、メタ散歩の楽しみ、敦賀市のご当地グルメや、戦国以後、明治以降も含め、名所や来年開通の北陸新幹線延伸最後の駅、敦賀駅まで、歩いてきた。
敦賀市は福井県の南西部に位置し、旧小浜藩の領内にあたる嶺南エリアにある。越前の国の西端になり、信長が東側の越前の朝倉領に侵攻しようとしていた入り口にあたる木ノ芽峠からは嶺北エリアになる。古くは角鹿(つぬが)と呼ばれた。琵琶湖の湖北からは20キロぐらいと近く、北近江の浅井氏が攻めあがるには直近の場所だった。
若狭湾沿岸の中でも、敦賀港は安土桃山時代以降、北前船などの拠点港として栄え、明治以降は開港場として外国に開かれ、旧ロシア帝国のウラジオストクとの間に定期船が開設され第一種重要港湾に指定された。
有名な話としては、リトアニア領事代理の杉原千畝が発給した「命のビザ」で、外務省の指示に反して杉原は、ビザ2139通を発給し、1940年(昭和15年)から1941年(昭和16年)にかけて、およそ6千人のユダヤ人難民が、シベリア鉄道を使って、ウラジオストク経由で敦賀へ上陸した。敦賀港は「人道の港」と呼ばれる。
●金ヶ崎城・金崎宮(かねがさきぐう)
金ヶ崎城は、敦賀港に突き出した海抜86mの小高い丘(金ヶ崎山)に築かれた山城。 治承・寿永の乱(平安時代末期。治承4年(1180年)から元暦2年(1185年)にかけての源平合戦)の時、平通盛が木曾義仲との戦いのためにここに城を築いたのが最初と伝えられる。現在でも月見御殿(本丸)跡、木戸跡、曲輪、堀切などが残り、1934年には国の史跡に指定されている。
戦国時代に入り、朝倉氏が越前を掌握した後は朝倉氏一族の敦賀郡司がここを守護していた。 1570年(元亀元年4月26日)、織田信長に攻め立てられ、郡司の朝倉景恒は開城する。しかし、浅井長政が離反し挟撃戦になったため、信長は木下藤吉郎(豊臣秀吉)らに殿を任せ、近江朽木越えで京に撤退した。
金崎宮は、明治23年(1890年)、尊良親王(高吉親王)を祀り、金ヶ崎城址に創立された。建武中興(1333年〜1336年)に尽力した南朝側の皇族・武将などを主祭神とする15の神社「建武中興十五社」の一社。明治25年(1892年)には恒良親王(つねよししんのう)が合祀され、明治26年(1893年)、現在地に社殿が竣工して遷座した。恒良親王と尊良親王は、足利尊氏の入京により北陸に落ちのびた新田義貞と氣比神宮の大宮司に奉じられて金ヶ崎城に入ったが、延元2年/建武4年(1337年)、足利勢との戦いにより敗死した。
また、尊良親王とその妻の恋愛伝説や、明治40年代(1900年代〜1910年代ごろ)に始まった花換祭の風習により、「恋の宮」の別名でも知られている。さらには、金ヶ崎の退き口で、信長が最大の危機から、辛くも逃げ延びることができたことから「難関突破」のご利益があるとも言われていて、人気と崇敬を集めている。
住所:福井県敦賀市金ヶ崎町1-4
公式サイト:http://kanegasakigu.jp/
動画:https://www.youtube.com/watch?v=P9SHt-UDS4I&t=3056s
●佐田の浜
徳川家康の事績をまとめた「東遷基業」などによると、逃げ込むにはうってつけの堅固な城、国吉城に退却戦を続けていた木下藤吉郎が、城まで数キロの佐田の海岸(福井県三方郡美浜町)で、金ヶ崎からいったん、丹生に逃げ、再び国吉城に向っていた木下藤吉郎が朝倉軍に追いつかれ激戦をしたといい、それを、近くを退却していた徳川家康が助けたと言う。当時は黒浜と呼ばれた(佐田の海岸の砂が黒かったことによる)。
住所:福井県三方郡美浜町
公式サイト:徳川家康ゆかりの地 美浜~どうした家康 ⁉ なぜ美浜に来た!~
https://www.town.fukui-mihama.lg.jp/soshiki/30/9020.html
●国吉城
国吉城は、現在の福井県美浜町佐柿にあった山城。若狭国の守護大名、武田氏重臣であった粟屋勝久が弘治2年(1556)に築いた、と言われ、若狭国と越前国の境を守備する「境目の城」だった。永禄6年(1563)には、越前国の朝倉氏が侵攻したが、勝久は、周辺の地侍や民衆と共に城に籠ってこれを撃退し、以降、朝倉氏が滅亡する天正元年(1573)まで、ほぼ毎年攻めかかる朝倉勢を撃退し続け、「難攻不落」を誇った。
朝倉氏との激しい戦いの様子は、江戸時代に記された軍記「若州三方郡国吉城籠城記」によって知ることが出来る。織田信長が越前攻めで国吉城に駐軍した際、長年にわたる勝久の戦いぶりを賞賛したと伝わる。金ヶ崎城を出た殿の木下藤吉郎にすれば、この城まで逃げ込めば、朝倉軍の追撃を防げるわけで、必死の退却戦を戦ったわけだ。
平成29年には、公益財団法人日本城郭協会が選定した『続日本100名城』にも選ばれている(No.139 佐柿国吉城)。
住所:福井県三方郡美浜町佐柿
公式サイト:https://www.town.fukui-mihama.lg.jp/soshiki/30/493.html
●敦賀ヨーロッパ軒本店 「カツ丼」
創業者は赤坂耕二さん。赤坂さんの義父で師の高畠増太郎さんがドイツ・ベルリンの日本人クラブで6年間の料理研究を終え、明治45年に帰国し、ドイツ仕込みのウスターソースを日本人の味覚に合うように研究を重ね考案したのが、大正2年に東京の料理発表会で披露したのがソースカツ丼だった。
スライスした上等のロース肉を、特製パン粉にまぶし、ラードでからりと揚げたカツを、熱々のうちにウスターをベースに各種の香辛料を加えた秘伝のタレにつけ、熱いご飯にタレをまぶした上にのせる。カツがいっぱいいっぱい乗っているので、横に置いたフタにカツを乗せつつご飯を食べるのがおすすめ。
敦賀市内には5軒あり、中でも本店はお城のような外観でも有名。福井県民にとっては、ソースカツ丼はソウルフードともいえるご飯。筆者が訪問した際も大行列だった。
住所:福井県敦賀市相生町2‐7
電話:0770-22-1468
営業時間:11時~14時、16時半~20時(ラストオーダー19時40分ごろ)
定休日:月曜日、火曜日、臨時
※営業時間・定休日は変更となる場合があるので、来店前に店舗に要確認
料金:カツ丼 990円
紹介ページ:つるが旨いもんマップ。
動画:https://youtu.be/P9SHt-UDS4I?t=3588
●Kitchen LAB 「角鹿の塩ラーメン」
古くは角鹿と呼ばれた敦賀。そのころから、海塩で知られていた。海辺で塩を焼く煙が上るなど製塩業が盛んだった福井県敦賀の歴史を知ってもらおうと、Kitchen LABを運営する障害者福祉サービスの「LABwel(ラボウェル)」(敦賀市公文名)が、手作りの「角鹿の塩」の生産を始めた。敦賀湾阿曽の海水を使った天然塩で、ミネラル豊富なまろやかな味わいが特長。
市史などによると、古墳時代の製塩遺跡が見つかるほど、敦賀は日本海側有数の産地で、万葉集にも塩作りの様子を詠んだ歌がある。しかし、江戸時代から瀬戸内海沿岸で効率的に大量の塩が作られ始めると次第に衰退し、戦後はほぼ作られなくなったという。そこで、敦賀湾の海水をポリタンクにくんでろ過し、同市和久野の作業場で平釜を使って炊きあげ、天日干しなどで乾燥させた後、異物が混入していないかをチェックして手作りの塩を作り始めた。
この塩は塩としても販売されているが、その旨味を活かして作ったラーメンは、飲み干せる透き通ったスープが鶏むね肉の塩チャーシューと半熟塩煮卵にマッチして、細麵のツルツルになじんだ「塩ラーメン」が完成した。
住所:福井県敦賀市野神2-34-2
電話:0770-23-2093
営業時間:11時~19時半(ラストオーダー19時30分)
定休日:月曜日
※営業時間・定休日は変更となる場合があるので、来店前に店舗に要確認
料金:角鹿の塩ラーメン 700円
紹介ページ:つるが旨いもんマップ。
動画:https://youtu.be/P9SHt-UDS4I?t=3666
●みなとつるが山車会館
みなとつるが山車会館は、氣比神宮例大祭で巡行する勇壮華麗な山車を保管し、展示紹介する施設。つるがの「山車巡行」は、港町敦賀の繁栄を象徴してきた長い歴史をもつ伝統行事で、天正3年(1575年)、織田信長が観覧したという言い伝えもある。室町時代末期ごろには成立していたと考えられる。山車巡行は、太平洋戦争の影響で中断され、1945年(昭和20)の空襲では多くの山車が焼失した。戦後、山車の復活を望む町の人達の努力で、戦火を免れた3基が復活し、1994年には3基が復元され、計6基の山車で戦前の巡行の姿を取り戻した。この文化財的価値の高い山車や装飾品等を安全に収納し、『つるがの山車』の魅力と、保存継承の大切さを伝えるための施設として、みなとつるが山車会館が整備された。
同会館では、敦賀市のキャラクター「よっしー」にもなっている大谷吉継をフィーチャーしている。吉継は天正17年(1589年)、敦賀の領主となり、敦賀を“城のある港湾都市”につくりかえた。敦賀は京都・大坂に物資を供給し、朝鮮出兵など戦争のおりには兵粮、船、操船者を整える拠点としても機能した。江戸時代の敦賀湊繁栄の基礎を吉継が作ったのだ。
住所:福井県敦賀市相生町7-6
電話:0770-21-5570
料金:300円(高校生以下は無料)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館、翌日休)
※年末年始(12月29日から翌年1月3日まで)
※祝日の場合は開館・翌日休館 (ただし、翌日が土日の場合は開館)
※館内メンテナンスのため臨時休館する場合がある
公式サイト:https://tsuruga-yama-museum.jp/
●北陸新幹線・敦賀駅
北陸新幹線は2024年春には、金沢駅から敦賀駅まで延伸開通する。新幹線・敦賀駅は2023年2月、一部足場が解体され、整備新幹線で最大規模となる高さおよそ37メートルの駅舎の外観が姿を現した。これで延伸区間の小松―敦賀6駅全ての駅舎全景が見られるようになった。
新幹線・敦賀駅は、北陸線敦賀駅に隣接する。開業後は在来線特急が乗り入れ、1階が在来線ホーム、2階が乗り換えコンコース、3階が新幹線ホームとなる。屋根は敦賀市の鳥「ユリカモメ」をモチーフにした意匠で、デザインコンセプト「空にうかぶ〜自然に囲まれ、港を望む駅〜」に沿った、敦賀湾の波のきらめきを窓ガラスの配置で表現している。ホームは、床を船の甲板をイメージした木調タイルで仕上げる。待合室も船がモチーフ。2階は広いコンコース空間にふさわしいスケール感となるよう、天井全体を北前船の帆をイメージした浮遊感のあるデザインになっている。
駅西地区では一足早く2022年9月、交流とにぎわい拠点「TSURUGA POLT SQUARE『otta』」がオープンしており、賑わいを見せている。
住所:福井県敦賀市鉄輪町一丁目
敦賀市サイト:「北陸新幹線敦賀開業に向けた敦賀市行動計画」を策定しました
https://www.city.tsuruga.lg.jp/about_city/news_from_division/kankou/s-machi/keikaku_shinkansen.html
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