西新宿の天神さま成子天神社
新宿駅の大ガードから青梅街道を西に向かうと、5分ほどで緩やかに下る坂道になります。神田川に架かる淀橋に向かって下る成子坂(なるこざか)です。この坂の中腹に成子天神社があります。
成子天神社は、社伝によると延喜3(903)年の創建と伝えられ、祭神は天神さま、菅原道真(すがわらのみちざね)です。道真が太宰府(だざいふ)で亡くなった際、東国でそのことを知った家臣の佐伯氏と斎宮氏(さいぐうし)が、平安京より道真の木像を持ち帰り、この地に祀ったといわれています。
江戸時代には三代将軍徳川家光から柏木(現在の北新宿)の地に屋敷を賜った春日局(かすがのつぼね)が京都の北野天満宮を遷して祀ったとされ、寛文年間(1861~73)には現在地に鎮座しました。明治27(1894)年に成子神社、昭和3(1928)年に成子天神社と改称し、現在にいたっています。
前回はこちらをご紹介しました。
※過去の連載記事はこちら:西新宿の今昔物語~新都心歴史さんぽ~
成子の地名
社号は、この一帯の古い字名(あざめい)である成子に因むものです。その由来は、この地にあった源左衛門という者が営む酒屋の店先に来客をしらせる鳴子(なるこ)が下がっていたからという説や、このあたりの水田では鳥獣を追い払うため寝小屋(監視のための小屋)を設け、鳴子を鳴らして追い払っていたからという説があり、いずれも鳴子が成子に転じたと伝えられています。
境内は七福神巡りや富士詣でができるパワースポット
成子天神社は、平成26(2014)年に大規模な境内整備を行ない、明るく広々とした境内が西新宿を象徴する高層ビル群の景観と見事に調和しています。
境内には、江戸時代から明治・大正時代に造られた灯籠や狛犬、記念碑など、貴重な石造品が数多く残され、一新された境内に歴史の重みを物語っています。
社殿左後方に高くそびえ立つ山は富士塚です。富士塚は、江戸時代に大いに流行った富士信仰に基づき造られた人工のミニチュア富士山です。日本には霊山として信仰される山が数多くありますが、富士山もそのひとつで、信仰する人々は富士講を組織し、近隣の神社などに富士塚をつくりました。
参道から境内にかけて七福神の石像が点在しています。七福神は福をもたらす神として室町時代(1336~1573)から信仰されてきました。現在では正月に七福神を巡拝すると一年を幸福に過ごせるとして、全国に数多くの七福神巡りがあります。成子天神社の七福神は境内で巡拝できる手軽な七福神巡りです。
このほか境内には、大鳥神社、浅間神社、大神宮、鳴子稲荷神社、水神宮といった小さな社(摂社)などがあり、これら20のスポットを巡る「めぐり天神」ができます。
新型コロナウイルスの感染拡大で外出もしにくい今日この頃ですが、散歩や買い物のついでに、職場の昼休みに、西新宿のパワースポット・成子天神社の「めぐり天神」で、福を招いてはいかがでしょうか。
◆神社の公式ホームページ上でも「めぐり天神」で参詣ができます。
http://www.naruko-t.org/index.html
成子天神社の文化財
「力石(ちからいし)」(新宿区指定有形民俗文化財)
祭礼などで余興として行なわれた力くらべに使われました。7個残っており、社殿の前に並んでいます。銘文が刻まれており、重さや持ち上げた人の名がわかります。その重さは四十貫(約150㎏)から五十八貫(約218㎏)。力くらべの際には、縄をかけて持ち上げたと考えられます。
「富士塚」(新宿区登録史跡)
成子天神社の富士塚は「成子富士」と呼ばれ、大正9(1920)年に新宿区内で最後に造られた富士塚です。高さは約12m、東日本大震災では山頂付近が一部崩れましたが修復が成り、背景の高層ビルとのコントラストが見事です。かなり険しいので、登頂の際は十分気をつけて下さい(高齢者や子供の登頂はご遠慮いただいています)。
「水準点Ⅱ号」(新宿区地域文化財)
明治24(1891)年に日本水準原点が現在の千代田区永田町1丁目に設置された時、この水準原点(すいじゅんげんてん)の変動監視のために設置された5ヵ所の一等水準点のひとつです。当時の標高は36.2248m(明治25年測量)でした。この水準点は、国土地理院により既に廃止となっていますが、現在も測量は毎年実施しているそうです。
協力・写真提供/新宿区文化観光産業部文化観光課