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これはオヤジほいほい、ドスパラ中古PC担当者と語る、懐かしのパーツ座談会

2017年11月06日 18時00分更新

文● 聞き手●きゅう 編集●ASCII

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オーバークロックで、CPUが飛ぶように売れたころ

── ということは、Celeron 300Aとか知らないのか~。

Celeron 300A

まっちゃん 聞いたことある。いまでもたまに話題に出てきますね。

フジヤン オーバークロックがあれで一般的になりましたよね。安いパーツで高価な製品に匹敵する性能を引き出すという。

── 昔は大変でしたからね。抵抗やらなんやらの部品をハンダで溶かして乗せ換えたりとか。

まっちゃん ん?オーバークロックってBIOSひらいて、逓倍とFSBを……みたいなのじゃないの?

クマさん それができるようになったのはクロックジェネレーターっていう素晴らしい仕組みが出てきてからですね。マザーボード上にそういう部品が乗り始めてからのできごと。

すーさん ハンダなんて中学の技術家庭の授業以来だな(笑)。

── 何週の何番ありますかみたいな問い合わせが多くて、当時のショップは大変だったのでは?

フジヤン そうそう。ロット確認したいので、とりあえず全部出してもらえますかっていうお客さんが多かったんですよね。刻印のありなしとか観ながら、う~んと悩み始める。

まっちゃん ああ、でもそれはいまも変わらないんじゃない? Core 2を自分で売っているときもS-Specとか、産地とか年代を指定してくるお客さんがいたから。

初めてパーツを買うときのドキドキ感

── しょっぱなから話が終りそうな気配がないので、ちょっとお題を絞り込みましょうか。まだパソコンとの出会いぐらいしか語られていないので終わりそうな気配がないです(編注:原稿では省略しているが、すでに40分ぐらい経過している)。

すーさん われわれとしては、ある意味平常運転でやってます(笑)。

フジヤン お題、なんだろうな~。一番思い出ぶかいのは、パソコンを組み立てようと思ったとき、調べた媒体が紙だったことかな。インターネットもないし、そもそもパソコンを持ってないしでさ。2000円ぐらいのムックを見ながら、組み方とかパーツのカタログとかみながら。「なるほどね~」みたいにつぶやいていた。作るにしても知識がないから、学ぶために雑誌を見て、十分に調査したうえで秋葉原に行く。懐かしいですね。

すーさん 私も雑誌は何冊も買っていたな。

── パーツは安いものではないし、初めて買うときは緊張しますよね。相性がどうとか脅かされたりするし。

フジヤン といいつつ、私が初めて自作PCを組んだ時は、キットになっていたので、気が楽でした。これとこれを組み合わせれば動くよというのがパッケージ化されていて、OSとかメモリーなどを選択する程度で済んだ気がします。いまでいうBTOに近い感覚ですね。でかける途中でパーツショップによって買ってみたんですけど、ケースとか箱が大きくて、「う~ん、重い」と出かけられなくなったのもいい思い出ですね。「こんなにかさばるのか」と。

すーさん あるある話(笑)。

── 秋葉原の電車でよく見かけましたね。いまは通販なんかも発展していますが、ダイレクトPCの走りかもしれません。

すーさん そのころクマさんは日本にはいなかった?

クマさん 2000年ごろ? いないな……。海外にいて、パソコンを持っていくことができないので、むこうで部品を集めて作っていたな。中国にいたときに、これとこれと、このパーツちょうだいって買って、その場で組み立てて持って帰ったら、ショップと仲良くなって、いつのまにそこを手伝うようになっていた(笑)。

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