日本のITを変える「AWS侍」に聞く 第22回
2週間に1度のペースで勉強し続けるモチベーションとは?
運用でカバーの波田野さんが現場で得た経験則とCLI支部への思い
2016年07月21日 07時00分更新
2週間に1度のペースで勉強会を開催するJAWS-UG CLI専門支部の波田野裕一さん。過酷な運用現場で獲得してきたいくつもの経験則を惜しみなく勉強会につぎ込む。勉強会の会場で、運用とコミュニティにつづられた波田野さんの半生を振り返る。
本連載は、日本のITを変えようとしているAWSのユーザーコミュニティ「JAWS-UG」のメンバーやAWS関係者に、自身の経験やクラウドビジネスへの目覚めを聞き、新しいエンジニア像を描いていきます。連載内では、AWSの普及に尽力した個人に送られる「AWS SAMURAI」という認定制度にちなみ、基本侍の衣装に身を包み、取材に望んでもらっています。過去の記事目次はこちらになります。
DOSからスタートし、SEDとAWKと出会い、モバイルUNIXに進むまで
長年、運用現場で活躍してきた波田野さんは、昔からコンピューター好き。「最初に買ったパソコンはMSX-2。FM音源が組み込めるヤマハの『YIS-604/128』でDTM(Desktop Music)やゲームばかりやっていて、プログラミングはしていなかった。大学生でPC-98買ったときも、三国志みたいな戦略系のゲームにはまって、プログラミングには興味を持たなかった」とのこと。しかし、当時のWindowsは使い続けるとだんだん不安定になっていったため、月次でクリーンインストールをするハメになり、半自動化して楽するためのバッチスクリプトをDOS上で書くようになった。ここが波田野さんのコマンドライン人生のスタートになる。
大学は意外にも法学部で、卒業時には行政書士の資格までとったという。卒業後は士業を目指して資格勉強すると称し、フリーターの道に進む。だが、実際は外国株式市場や金相場に興味を持ち、証券会社のサイトから株価や金の価格などをアプリケーションにつっこむ作業をやっていた。そんな時期に出会ったのが「テキスト料理学」という本。「DOS版のSEDとAWKを知り衝撃を受けた」という波田野さんは、DOS版のSEDやAWKでHTMLをパースし、CSV化するスクリプト作成に没頭する。
「結局、売買はせずに価格データを収集することが目的になっていた」と語る波田野さんは、バイト先をデータ配信会社に変更。オペレーターとしてFreeBSDやLinuxを使った配信システムに出会い、普段使いできるUNIX環境として「モバイルUNIX環境」の元祖とも言えるPocketBSDに傾倒する。そして、これをきっかけにユーザーコミュニティにも足を踏み入れることになる。また、「NTTドコモのPDA『MobileGear II for Docomo』でグローバルIPアドレスを付けたサーバーを立てたら、アスキーの鈴木嘉平さんに記事書きませんかとお誘いを受け、BSD magazineで執筆を担当しました。あれがなかったら、たぶん今ここに立ってないですね」とのことで、実はアスキーとも浅からぬ縁がある。
30歳までプータローの波田野さんが運用の世界に進むまで
そんなこんなであっと言う間に30歳目前となり、「このままフリーター人生で行くのか行かないのか、決断の締切が見えてきた」と感じた波田野さんは、BSD magazine執筆というささやかな実績を武器に就職活動を開始。当時、NTTに先駆けて国内初の商用ADSLサービスを展開していた東京めたりっく通信に、エンジニア見習いとして転がり込む。当初は開通サポートの支援業務から入ったが、1ヶ月の試用期間終了と共にネットワークエンジニアとして、新規展開局の局内作業や基幹系ネットワーク機器のオペレーションなど複数の業務に携わることになる。
「3ヶ月前までプータローだったのに、今やベンチャー企業の正社員。早朝から2000万円以上の資材を抱えて電話局舎巡りをして、ATMスイッチやDSLAMなどそれまで見たこともない機器に触っていた。夜は会社に戻って基幹ATMスイッチを設定し、そのまま倒れ込むように会社の床で寝るという夢のような日々。夢にしてはリアルだなあ、覚めないで欲しいなあと思いながら当時は作業をしていた」(波田野さん)
その後、ネットワーク運用の業務だけでなく、監視系のネットワークやサーバー、監視ツールの構築や整備、社内ネットワークの運用管理、サポート業務支援ツールや運用ツールの開発、IPv6技術の検証、24時間体制の整備など、声がかかったあらゆる仕事に手を染める。東京めたりっく通信が破綻するまでの1年7ヶ月で、職務経歴書だけで実に4ページいくくらいいろんな経験を積んだ。「得難かった経験は、自分たちの運用現場を失なうという悲哀に直面したこと。そして、自分が自動化した業務を非エンジニアに引き継ぐため、全面的に手動化しなければならない困難に直面したこと」と振り返る。そして、こうした経験は現在の運用改善支援等の活動にも大きく影響している。
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