【Key Person】「IntelligentPadの流通、課金の仕組み『Piazza』を幕張で初披露」--北海道大学の田中譲教授
1998年11月24日 00時00分更新
IntelligentPad(インテリジェントパッド)という概念がある。オブジェクト指向プログラミングの考え方に則って、ソフトウェアの部品をそれぞれオブジェクトとして作り、部品をプールしておく。エンドユーザーは、プールから選んだ部品を自由に組み合わせ、自分に合ったソフトウェアを作ることができる。新しく作った部品やソフトウェアはプールに返し、自分や他人がそのまま再利用、あるいは、分解し再構成して再利用するというものである。
25日から27日まで、千葉・幕張の展示会“ContentCreation + NICOGRAPH '98”に、IntelligentPadに焦点を当てた展示とセッションのコーナーが設けられる。IntelligentPadの提唱者である北海道大学工学部、知識メディア・ラボラトリー長の田中譲教授に、その現状と未来について伺った。
北海道大学工学部の田中譲教授 |
テレビ番組を見ているのか、テレビ受像機を見ているのか?
----IntelligentPadの概念は、確かに独創的ですが、一方で、過去のいろいろな概念と関連しています。系譜をたどるとどうなりますか。「'80年代前半に、OODB(オブジェクト指向データベース)およびそのデータベースプログラミング言語の研究をしていました。オブジェクト指向プログラミングとデータベースとを結び付ける際、クラス(オブジェクト指向における概念)と関係(リレーショナルデータベースにおける概念)とを強引に結び付け、メッセージ(オブジェクト指向における概念)と属性(データベースにおける概念)とを強引に結び付けるのが一般的でした。そこに違和感を感じていました。
オブジェクト指向のアプローチには、一方で、GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)が典型的に示すような、オブジェクトを直接画面上で操作するという領域があります。'85年に、smalltalk専用マシンであるSIP1100を導入して、その世界を知りました。ここには、ナンセンスプログラムと呼ばれる遊びプログラムがたくさん入っていました。マリリン・モンローのピンナップ画像をクリックすると動いて声を出すとか、カーソルが何十秒か勝手に画面の中を走り回るとか、そういったものです。
これをきっかけに、言語でプログラミングするのではない、メディアのアーキテクチャーを研究したいと思いました。ワープロソフトでドキュメントを表示しているときに、初心者は、“ワープロというツールの枠組みに、文章のコンテンツが流し込まれている”とは感じないと思います。表示されているそのものをドキュメントとして認識するでしょう。動画になれば、動画表示ソフトを意識することはさらに少ない。ツールのメディア化と呼べますね」
----マルチメディアという点だけにIntelligentPadの新規性があるのですか。
「いろいろなメディアを含んだドキュメントを扱うという特徴だけに注目するなら、ゼロックスのStarワークステーション用の『ANALYST』といった、統合情報システムなどと呼ばれるソフトがありました。ところがこれはクローズしたシステムで、異機種との連携ができません。機能を変更したい、追加したい、気に入った機能を取り出して他のコンピューターに持っていきたいといった要望には答えられません。
ここから、ドキュメントとツールとが一体になった部品を、1枚の紙に貼っていくような感覚で、組み合わせることを思い付きました。北海道大学からIBMワトソン研究所に、'86年10月までの1年間行って、その考えがまとまって来ました。
'87年1月に、IntelligentPadを発表しました。メディアを部品化してエンドユーザーがその組み合わせを変えられる、出来上がったものを分解して、それを流通、再利用できるという意味で世界初のものです。それまでのGUI開発ツールキットは開発者だけのものでしたし、HyperCardの発表は'87年7月でした」
機械部品は進化しないがPadは進化する文化遺伝子
----コンポーネントソフトウェアの考え方にも似ています。「OpenDocのジェッド・ハリソン氏とは、相互対等のパートナーシップを結ぶところまでいったのですが、OpenDoc構想自体が行き詰まってしまいました。ただ、コンポーネントソフトの宿命は、開発者のためのコンポという側面が強すぎたことでしょう。サンプルとして示されたコンポを分解できませんでした。
IntelligentPadの特徴は、作品が分解可能な形で提供され、部品の使い方を教える情報が、それに付随して流通する点です。
'90年には、Padの部品が150ほど溜まってきました。学生たちは私たちの予想しなかった面白いものを作るようになりました。プログラミング言語を使う際の暗黙の目的だった、生産性を上げることとは、違う使い方をしています。また、相互に部品を融通し合うことで、新しい発展が見られるようになります。意識の進化だと気付きました。ドーキング氏のミーム(社会の中で複製されて広がり、生き続け、変異していく文化の遺伝子)がまさに体現されています。Padは、ミームになり始めていたのです。
各人がパーソナルな環境のために始めたことが社会的メディアになりました。Padは再編集、再流通可能なので、マーケットに乗せれば育っていきます。この事実にも、実は早い段階で気付いてはいました」
----社会の中に遺伝子のように増殖して広がっていくには、マルチプラットフォームである必要があります。また、コンテストなどのイベンドで情報流通を促進する手もありそうな気がしますが。
「IntelligentPadの技術と目的に共鳴した人々が、'93年7月に“IntelligentPad Consotium(IPC)”を結成しました。現在、法人会員が36社です。
'97年から“パッドコンテスト”を開始し、これまで5回開催しました。また、'98年10月には、“Multimedia Modeling '98”という国際会議でも重要な役割を果たしました」
※大手コンピューターメーカーである法人会員として、日立製作所、富士通、富士ゼロックス、キヤノン、日本電気、日本IBMなどがあげられる。日立と富士通では、グループ会社がそれぞれ数社参加している。
『Piazza』で課金と流通・配信と知的所有権管理の確立を果たす
----WWW(ワールドワイドウェブ)と相性がよさそうですね。「インターネットにはもちろん注目していました。ただ、初期のWWWは、完全にテキストだけのためのものでした。'93年にMOSAICの拡張機能としてパブリッシュの機能を開発、'94年にウェブページを媒介としてPadのパブリッシュだけはできるようになりました。'95年にHTML Viewer Padを開発しました。ウェブページに直接Padが埋め込めるようになりました。
これにより、ウェブページに埋め込まれたPadを入手するのに、ページからドラッグアウトするだけでよくなりました。ただし、ウェブページにPadを埋め込む際には、HTMLでタグ付けしないといけないのです。
そこで、“マーケットプレースPad”を開発しました。店のページの構成や考え方によりますが、基本的にはサーバーのウェブページにユーザーがPadを自由にドラッグインして、それを使いたい人が手元にドラッグアウトするわけです。通常のバーチャルモールだと、モールの大家(おおや)はアーケードをビジュアルに築き、店子は出店のテナント契約を結びます。マーケットプレースPadの基本は、のみの市のようなものです。
マルチメディアダンジョンのネットワークゲームのような参加型になり、しかも日々発展していきます。道の周りにギャラリーのような店ができていきます。Padに値段を付けてもいいし、無料で配ってもいいのです。
もちろん、マーケットの大家は、自由にデザインできます。構造化してもいいし、会員制にしてもいいかもしれません」
----おっしゃるとおり、まったくのボランティアベースでのPad提供だと限界が来ると思います。Padに値段を付けてもいいということになると、課金の仕組みが問題になりますが。
「実は、課金については'92年から考えてきました。IntelligentPad以前のパソコンの大きな問題点は、問題点の解決が、孤立して置かれたユーザー自身に委ねられていた点です。IntelligentPadとマーケットプレースPadにより、材料をシェアする広場が設けられます。ミームプールができたのです。しかし、これだけではビジネスできません。知的財産が流通するには、課金とライセンスの市場が必要です。'97年からこの課題に関する開発を始めました。
その答えの1つが、11月25日から千葉・幕張で始まる“ContentCreation + NICOGRAPH '98”で披露する『Piazza』です。仲間うちでは5月に試験的に見せていたのですが、オープンな場でお見せするのははじめてです。
興味のある方は、“ContentCreation + NICOGRAPH '98”の展示ブースと、主催者(マルチメディアコンテンツ振興協会)コーナーである“Media-Wharf”で25日から27日まで繰り広げられるセッションに来ていただきたいと思います」