スキルと行動力でキャリアを構築。40代で実現した海外での自由な働き方と幸せな日々

文●杉山幸恵

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 チェンマイで韓国語コーチ・学習コンサルタント、WEBライターなどをしながら、毎日の暮らしぶりをブログで発信しているかなぴーさん。高校生のころに抱いた「海外に行ってみたい」という夢は、いつしか「海外で暮らしたい、働きたい」と変化。「安定よりスキルを」と派遣社員として働きながら、独学やワーキングホリデーなどで学びを深め、英語・韓国語という武器を手に入れた。そんな彼女がいかにして40歳を目前にしてセブで海外就職を果たしたのか。そしてなぜ今、チェンマイでフリーランスとして働き、日々幸せを感じているのか。決して順風満帆ではないながらも、行動力や努力でつかみとった現在地。そのライフシフトのストーリーを追う。

1976年、新潟県生まれのかなぴーさん。チェンマイでの生活を発信するブログは毎日更新している

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安定よりもスキルを活かしたい。憧れから始めた語学習得が広げた仕事の選択肢

 高校時代に見た海外ドラマを見て憧れを抱き、アメリカへの留学を夢見るようになったかなぴーさん。残念ながら高校在学中に留学はかなわなかったが、専攻が被服科だったにもかかわらず英語を猛勉強し、短大の英文科に進学した。

 しかし、短大卒業後に就職した金融機関では、英語を活かす機会はほとんどなく、海外への想いを募らせるばかりだった。

 「海外生活や海外就職をしてみたいと思い始め、関連する雑誌や書籍を読み漁っていました。とはいえ、その当時の自分には、キャリアや経験がまったくなく、海外就職は夢のまた夢でした」

 それでも将来的に海外に住みたい、働きたいと考えていたかなぴーさんは思い切って、2年間勤務した金融機関を退職。ワーキングホリデーでオーストラリアに行くという選択をする。ゴールドコーストでは語学学校で英語を学んだ後、和食レストランで働くこととなった彼女。そこで韓国語という、その後のキャリアに活かされることになる新たな出会いも経験した。

 「学校で韓国人の友人ができ、彼の日本語の勉強をみてあげていたのがきっかけです。私もハングルの仕組みに興味を持ち、彼に教えてもらっているうちに、思いのほか日本語との共通点が多いことに気付いて。これは習得可能だと感じて、独学で学びを深めていきました」

 オーストラリアでのワーキングホリデーと、帰国後の再就職を経て、かなぴーさんは「自分のスキルを活かして働くこと」こそが重要だと気付く。最初の就職で適性に合わず、強みも活かせなかった経験、そしてワーキングホリデーで英語力が必要とされる仕事に即日採用された経験が、彼女の仕事観を大きく変えた。

 「新卒での就職は縁故で簡単に入社しました。当時は、自分が何をやりたいか、どんな仕事に向いているか、ということは全く考えることなく、仕事はお金を得る手段であり、何をやっても大差ないと思っていたんです。でも、オーストラリアで得た経験により、目的が定まったというか、英語を活かした仕事をしたいと改めて思えるようになりました」

 しかしながら地元では正社員として、英語を活かせる仕事を見つけるのは困難を極めた。彼女は思い悩んだすえ、決意を固める。安定性や待遇よりも、スキルを活かして働くことを優先し、派遣社員という道を選んだのだ。

 英語をビジネスレベルで使えるようになったことで、仕事の選択肢が広がっていたかなぴーさん。英文事務、通訳・翻訳、貿易事務、塾講師など、語学力が必要とされる仕事に就くことが可能になった。5年ほど、バイトや派遣でさまざまな職種を経験したのち、次は韓国語のスキルをより高めるため、ワーキングホリデーで韓国へと飛ぶことに。

 「約1年間、ソウルで生活しました。ほぼ独学で習得していた韓国語を活かし、3社で勤務。ポータルサイトの韓国語記事の翻訳、取材のアポ取り、セールス、マーケティング、顧客のアテンドなどを担当しました」

 33歳で韓国から帰国したかなぴーさんは再び、派遣社員として貿易事務や生産管理事務に携わるも、母親に乳がんが見つかってしまう。入退院しながらも自宅療養をする母を支え、家事全般を担うため、いったん彼女は仕事から離れることに。

 「このころから、将来は自分ひとりでできる仕事をしたいなと思うようになりました。そして、35歳の時に母が他界したことがきっかけで、『もう一度、自分のキャリアをちゃんとスタートさせよう』と思ったんです。

 そのタイミングでは、そろそろ地元で腰を据えて働きたい気持ちもあって、高校の英語教員を目指すことに。大学3年次に編入して教員免許取得を目指したんですが、教育実習を経験してみて、『学校の教員の働き方は自分には合わない』と感じてしまって。

 そこで大学卒業後は、ちょうど出始めていた〝英語コーチ〟という仕事に進もうと方向転換しました。ただ、しばらく英語から離れていたこともあって、まずは自分の英語力を戻そうと、セブ島に3週間の留学をしたんです」

40歳で海外転職の夢を果たすも心身の不調から退職、フリーランスへとライフシフト

 帰国後、英語コーチの仕事を探したものの、なかなかいい縁に恵まれずに悩んでいた矢先、「フィリピンで英語を使える日本人が求められている」という話を耳にする。

 「日本語を話せるフィリピン人が足りていないから、日本人は就職しやすい、という話をエージェントから聞いて。それなら、思い切って一度海外で働いてみよう、と。〝2年のつもり〟で、フィリピンで働くことを決断しました」

 いくつかの会社の面接を受けたなかから、かなぴーさんはAccenture Philippines(アクセンチュア・フィリピン)に入社することに決める。この時、40歳だった彼女は20年ぶりに正社員としての就職を、しかも海外で果たした。

 Accentureは世界最大級の総合コンサルティングファームで、経営コンサルティングやテクノロジーサービス、オペレーションズなど幅広いサービスを提供している多国籍企業。彼女はそのなかでも、フィリピンのAccentureに現地就職という形で入社する。

フィリピン第2の都市であるセブ。大小150以上の島が集まり、リゾート地としても人気

 「勤務地はセブ島。世界中のIT企業が集まるITパークと呼ばれる経済特区の中にオフィスがありました。セブ島だけでも社員は約5,000人、フィリピン全体では約45,000人規模の、本当に大きな企業です。

 私が担当していたのは、日本企業のIT関連業務。フィリピン人スタッフと、日本のAccentureの社員やクライアントとの間に入り、コミュニケーションや調整など橋渡し役として英語を使う業務を担当していました。

 フィリピンと日本では、職場の雰囲気は本当にまったく違い、驚くことばかり。Accentureは外資系ということもありますが、役職があっても関係性はとてもフラットで、上司のこともニックネームで呼ぶんです。経験や立場に関係なく、仕事の進め方や改善策を対等に話し合ったり、チームビルディングで一緒に食事に行ったりもしていました。

 フィリピン人はラテン気質でとても明るくフレンドリーなので、仕事中に歌を口ずさんでいたり、忙しくない時にはおしゃべりしていたりと、日本と比べるとかなりカジュアルでリラックスした雰囲気。私がいたプロジェクトでは、毎日午後3時にエクササイズタイムがあって、スタッフ全員でダンスをしてリフレッシュする時間もありました」

 ただその反面、フィリピンでは〝家族が最優先〟という意識が強いため、当時の日本の〝まずは仕事が最優先〟という感覚とは大きく異なり、戸惑いを覚えたという。「家族の体調が悪いから今日は休む」というのは当たり前、さらに報連相の文化がないので、時には仕事の効率が落ちる場面も。そうした価値観や考え方の違いから、問題が起こることもあったとか。

 そんな中で、プロジェクトの事情もあり多忙を極める日々が続くことに。過酷なシフトと体力的な負担が限界に達し、かなぴーさんはパニック障害や不安障害を発症してしまう。この経験が、働き方を変える大きなきっかけとなった。

 「この仕事を長くは続けられない。このタイミングで、今後ずっと続けられる働き方に変えなければいけない」と、新たなライフシフトを決意した彼女。当時、韓国語学習者が激増していたことに目を付け、自身の韓国語能力を活かして〝韓国語コーチ〟としての独立を目指すことにする。

 退職後すぐに、韓国の延世大学校韓国語教員養成課程を受講。セブに戻ってからは個人投資家からのアシスタント業務のオファーを受け、フリーランスとしての第一歩を踏み出す。

 「その個人投資家からの依頼は、Accenture在籍中に英日韓の通訳の仕事を受けたことがご縁となりました。セブ島でのアテンド、ミーティングでの通訳、顧客対応、翻訳など、業務は順調ではあったのですが、コロナ禍の煽りを受け、突如契約が解除になってしまったんです…」

コロナ禍でのチェンマイ移住、そしてつかみ取った自由な働き方

 その後も彼女はセブ島に留まり、約1年半の無職期間を過ごすも、オンラインでの韓国語コーチビジネスの準備を着々と進めていた。そんなある日、以前一度コンサルを受けた先生から「よかったら無料で相談に乗るよ」という連絡があったという。

 「その方は13か国語を話す大学教授で、以前のコンサルでもとてもいいアドバイスをくださったので、改めて相談してみました。その時に先生から言われたのが、『教材作成をやってごらん。それは誰でもできる仕事じゃないよ。僕も教えるのはプロだけど、教材作成は全然できなくてアシスタントに任せているくらいだから』という一言でした」

 アドバイスをもらったものの、実際どうすればいいのかイメージが湧かなかったというかなぴーさん。偶然にも自身が登録していたメルマガを通じて、〝講座構築コンサルタント〟というポジションの募集を知る。

 「そのメルマガはオンライン講座をビジネスにしたい人に向けたものでした。私ももともと韓国語コーチとしてオンライン講座を作りたいと思っていたので、『これは私にも合うかもしれない』と感じて、とりあえずメルマガに登録してみたんです。

 講座構築コンサルタントの仕事内容は、教材作成はもちろん、講座構築全般をコンサルするというもの。私はその時点で、自分の講座を作っていたので、『これは活かせる!』と。すぐに面接を受けて、無事その仕事を得ることができました」

 講座構築コンサルタントとして業務委託契約を結び、各業界の専門家に対するオンライン講座構築の支援や助言、指導などを担当。仕事は順調だったが、フィリピンの観光ビザ延長期間の満了時期が差し迫り、出国を余儀なくされていた。2022年のことだ。

 「コロナがまだ収束していない状況で、本当に頭を悩ませました。私はワクチン接種をしていなかったので、果たして再び飛行機に乗れるのか、他国へ入国できるか…と。当時、日本はまだ入国条件がかなり厳しかったので、帰国という選択肢も現実的ではありませんでした。

 最終的には、入国条件が比較的緩かったタイに移住することにしました。でも、タイ語が全く分からないのに暮らしていけるのかという不安が大きかったです。英語や韓国語は、日常生活には困らない状態だったので、私にとっては言葉がゼロの状態で海外に住むことは、この時が初めて。それに、一度も訪れたことがない国にいきなり移住するというのは、本当にリスクのある選択だったと思います」

 かなぴーさんが移住先として選んだのはチェンマイ。かつて海外移住の本を読み漁っていたころ、「いつかは住んでみたいと」思っていた地の一つだった。そして、2023年には語学学校に入学し、ED(教育ビザ)を取得する。

 「タイのビザは種類がややこしいのですが、EDビザの場合、学校が必要書類の準備をすべてサポートしてくれます。それを持って隣国のタイ大使館に提出すれば、書類に不備がなければ比較的スムーズに取得ができ、場合によっては、学校に手数料を支払えばタイ国内での取得も可能です。

 ただ、2024年にはリモートワーカーやデジタルノマドに向けたDTV(Destination Thailand Visa)がリリースされているので、こちらを取得するのが安心かと思います」

 現在、かなぴーさんはチェンマイで韓国語講師および学習コンサルタントとウェブライターとして活動し、ネット環境さえあればどこでも働ける自由なスタイルを確立した。

 「韓国語講師、学習コンサルタントとしては、セブにいたころから地道にSNSで無料集客をして、今の生徒さんとの契約につなげています。ウェブライターの仕事はクラウドワークスで専門分野の案件を見つけ、自分からアプローチして契約しました。現在、2社と契約を結び記事を執筆しています。

 韓国語コーチの仕事は生徒さんと決めた時間で固定ですが、ある程度の融通も利きます。プライベートの用事や体調に合わせて仕事を休むこともできますし、休日も自分で決められます。どんな仕事をするか、どの程度の仕事量にするかも自分次第。基本的に一人で進められる仕事なので、煩わしい職場の人間関係からも解放されました。

 今は長くても1日3時間程度しか働きません。多くの自由な時間ができたことで、ゆっくり過ごしたり、自分の好きなことに時間を使えたりすることも、とても幸せに感じています」

韓国語のオンラインレッスンの様子。英会話学校向けのブログ記事執筆、教材作成などにも携わる

フリーの時間は散歩に出かけることも多いとか。写真はタイデザートのカフェでの一枚

〝競争社会〟を降りたことで見つけた、海外で感じる平凡な日常の幸せ

 こうして、日々、幸せを感じて暮らせているのはチェンマイの〝住みやすさ〟もあると語るかなぴーさん。地方出身の彼女にとってバンコクのような大都会ではなく、かといって不便が多い地方都市でもなく、チェンマイという街の規模感がちょうどいいそうだ。

 「私は日本を離れ、セブ島やチェンマイのような異なる環境や文化の中で暮らすうちに、生活スタイルだけでなく、価値観も大きく変わりました。日本にいたころは、常に自分に厳しく、上を目指して頑張らなければならない、もっと稼がなければならない、将来のために我慢しなければならない、平凡な毎日はつまらない…という典型的な〝競争社会〟に生きる考え方でした。

 でも今は、日々平穏に、イライラや嫌な気分なく過ごせることが一番の幸せだと思っています。ごく普通の平凡な毎日こそが幸せで、特別なことや刺激を追い求めることはありません。そして、自分がしたくないことに無理に取り組むこともやめました。

 毎朝訪れるローカルのおばあちゃんのお店や屋台のフルーツ屋さん、おかず屋さん、タイ語学校での地元の人たちとのふれあい、コンドミニアムのオーナーご夫婦とのちょうど良い距離感の関係。こうした日常の小さなことが、私にとっての幸せです。毎日、その幸せを実感しながら過ごしています」

ゆるやかな時間が流れるチェンマイの旧市街

 現在の自由で穏やかな暮らしを手に入れたかなぴーさんにとって、「海外で働くこと」の最大の魅力とはなんだろうか。

 「日本の価値観や常識にとらわれず、もっとリラックスして働けることではないでしょうか。確かに日本の仕事のクオリティは、海外に出てみると他国がお手本にするほど素晴らしい面があると思います。

 ただ、その裏には、長時間労働の常態化や、それをむしろよしとする風潮も。また、日本の文化的な側面も関係しますが、上下関係が厳しく物を言いにくい職場の雰囲気、先に入った人が偉いという暗黙の了解など、働く側からするとストレスに感じることも少なくありません。

 一方、フィリピンのような国では、職場環境はもっとフラットでリラックスしています。日本の会社のように細かい規則に縛られたり、常に張りつめた雰囲気の中で働いたりすることはありませんでした」

 これからも海外に住みながら仕事も続けたいというかなぴーさん。その理由を問うと「単純に日本で暮らすよりも気楽で、自由に感じるからです」との答えが。さらに今後は仕事以外でもやりやいこと、夢があるという。

 「エッセイに挑戦したいんです。今までのライフシフトのこと、日々のブログで書いているチェンマイでの何気ない日常の中にある小さな幸せや心温まるストーリー、そしてコンドミニアムのオーナーさんご夫婦との関わり方など、いくつかテーマを決めて書いていきたなと。

 また、日本の家庭料理をチェンマイの人に知ってもらう活動もやってみたいですね。タイでも日本食は人気で、寿司や天ぷら、カレー、ラーメンのような外食向けの料理は比較的味わえますが、私は家でお母さんが作ってくれるような家庭の味を伝えたいと思っています」

チェンマイでのある日の献立。自炊では和食にすることが多く、その丁寧な暮らしぶりがうかがえる

 そう笑顔で語る彼女に海外で働いてみたいと考える、40代・50代女性に向けてアドバイスをもらった。

 「ミドルエイジになると、日本では転職がかなり難しくなると思います。海外就職でも同様に、その年代になると、それなりの経験やスキル、能力、語学力、専門性がないと簡単ではないのは事実です。

 ただ、私がフィリピンで就職したのは40歳になる年でしたが、エージェントによると、上限はあるものの、スキルや経験が条件に合えば年齢はあまり問われないことが多いとのことでした。実際、面接を受けた会社からは、こちらから辞退した一社を除きすべて内定をいただくなど、日本で就職するよりも、明らかに簡単に就職できたと思います。また、配属されたプロジェクト内にも、私より年上で採用されている人がいました。

 日本ではまず年齢でふるいにかけられる傾向がありますが、海外就職では年齢はそこまで重要視されないケースも。もし日本でなかなか就職できないけれど、経験やスキル、能力、語学力、専門性がある場合は、海外就職を考えてみるのもよいのではないでしょうか。東南アジア諸国では、日本語スピーカーの求人も多く出ています。

 もちろん、海外で働き、暮らすことは大変なこともありますが、日本で働くよりもいい点もたくさんあります。この年代まで日本で着実に働いてきた人にとって、海外で働く決断は簡単ではないはず。でも、実際にやってみると案外どうにかなるもので、思ったほど難しいことではありません。私自身も、当初は2年だけと思っていたのに、快適な海外暮らしが続いてもうすぐ10年目になります(笑)」

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