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ベータマックスからPS5まで! ソニー製品栄枯盛衰物語 第4回

ゲーミングブランドを立ち上げたソニーがかつて販売していたゲーミングPC(?)とは

2022年08月01日 12時00分更新

文● 君国泰将 編集● ASCII

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ソニーのパソコンといえばVAIOが思い浮かぶが……

 ソニーのパソコンといえば誰もが思い浮かぶあの名前。2014年にソニーの元を離れるまでは、それは間違いなくソニーの「VAIO」でした。実はそれよりもっと前に、パーソナルコンピュータに携わり、幾度となくPC市場に挑んでいたのです。

 最も古いところでは、電子計算機。電卓が電子計算機とよばれていた時代。1967年に、持ち運べる電子計算機「SOBAX(ICC-500)」を発売。電卓にもかかわらず、当時で26万円という高価格で、重量は6.3kg。電池でも使える「電子ソロバン」という名前で売られていたそうです。これはさすがに古すぎですが、こんなところから始まっていた事に驚きを隠せません。

ソニー製電子計算機「SOBAX(ICC-500)」1966年

 ほかにも、1980年代のOSはマイクロソフトのBASICが標準という時代に、独自のBASICを採用したソニー初のマイクロコンピューター「SMC-70」を発売しています。16ビットマシンへの拡張も可能だったり、テンキーが別となっていたり、フロッピーディスクユニットほか、たくさんのオプションを満載できるとんでもない拡張性をもった機種もありました。

ソニー初のマイクロコンピューター「SMC-70」1982年

 筆者のソニー製パソコンとの出会いは、「MSX(エム・エス・エックス)」です。MSXというネーミングは、1983年にマイクロソフトとアスキーによって提唱された8bitや16bitのパソコンの共通規格のこと。各社がその規格に則ってMSX規格のパソコンを出し、その中にソニーも名を連ねていました。

MSXは今でいうところのゲーミングPCだ!

 ソニー初のゲーミングパソコン(?)とも言うべきMSX規格のパソコンには、「HiTBiT(ヒットビット)」というブランド名を授かり、同時期にワープロ専用機の「HiTBiT Word」もありました。ヒットするようにという願いと、コンピュータの記憶単位“bit”をかけあわせたというのが由来です。当時、テレビCMで松田聖子さんが言っていた「キーをヒットすると、答えがビッと出てくる。ひとびとの、ヒットビット」というキャッチコピーを覚えている人がいるかもしれません。

ソニー製MSX「HiTBiT」

 奇しくもこの頃は第一次パソコンブーム。いわゆる8bit御三家の8bitパソコン、NECの「PC-88」シリーズや富士通の「FM-7」、シャープの「X1C」が主流でした。同時期に発売されたファミコンやカセットビジョンといった家庭用ゲーム機よりも優れた映像や音源をもつパソコンゲームは、もはや憧れの存在。価格についても10万円以上もする高価なもので、おいそれと買ってもらえるようなものではありませんでした。

 この頃で記憶してるのは、ゲームの入っているメディアはカセットテープが主流で、始めるまでにピーヒョロロ~とロード時間がやたら長かったことでしょうか。アドベンチャーゲームはひとつ進んだかと思ったらまた数分ローディング、読み込みエラーがおきてやり直しと、まどろっこしかったのを覚えています。今となっては、それすらもすべてが楽しかった思い出です。

 それに対して、初代MSX「HB-55」の価格は5万円台というリーズナブルさと、家庭用のテレビに接続できる手軽さ。メモリーが16KBと少なく、性能的にも価格的にもMSXの中では入門機という立ち位置です。MSXはカートリッジタイプで素早くゲームプレイできたことは覚えているのですが、なにしろ記憶が曖昧で「けっきょく南極大冒険」をプレイしたことくらいしか記憶に残っていません。

過去に開催されたアスキーフェスで大活躍だったMSX2+はソニーの「HB-F1XV」

 ほかにも、「スケジュール管理」や「住所録」「伝言メモ機能」といった機能もありましたが、そういった目的で使った人はいたのだろうか? と思うほど、MSXはすっかりキーボードを備えたゲーム機状態でした。その後発売された「HB-101」には、ゲームのためのジョイスティックが最初から装備されていましたし。

 しかし、お硬いパソコンのイメージとかけはなれた、曲線を描いたスライリッシュなデザインに、ツヤのある鮮烈なレッドはまるでスポーツカーのボディーのようで、当時の僕たちの心を踊らせました。

PC-98に押され、MSXはフェードアウトしていく

 とはいえ、何でもできそうという期待値を持ちながらも、その性能に限界もあって、実際にはゲームで遊ぶか、がんばってゲームを作ったりすることが精一杯。それ以上の、生活の役に立つスペシャルな存在になることは叶いませんでした。そのあいだに、家庭用ゲーム機は著しい発展とともに爆発的に普及し、パーソナルコンピュータ市場はマニアからビジネスまで受け入れられたNECのPC-98の独壇場に。この狭間にあったソニーのパソコンの存在感は薄くなっていきました。

ミュージックツール、グラフィックツール、ワープロなど、ありとあらゆる機能を詰め込むのは、現在のXperiaシリーズにも脈々と受け継がれている

 転機が訪れるのはそれからまた随分と後のこと。マイクロソフトからWindowsが登場し、ようやくパソコンが満足のいく性能を持ったことで、今まで培ってきたオーディオ・ビジュアルの技術を集結し、1997年にVAIOが誕生することとなります。ついにソニーが目指すところに時代が追いついてきたのです。

 そのVAIO事業も2014年にはソニー自身の苦境により譲渡、PC周辺機器も消えてなくなりました。長い目で俯瞰してみると、ソニーはいつの時代も成功と失敗を繰り返す会社なのだなと改めて思います。

あれから30年以上が経ち
ソニーがゲーミングブランドを立ち上げた!

 そんなところに、なんとまさかの今年7月、ソニーは「INZONE」というブランドネームをもってゲーミングデバイス市場に参入したことは記憶に新しいでしょう。さすがにもうPC業界に復帰はないだろうと思っていただけに驚きです。今までとは少し違ったカタチではあるものの、3度目のチャレンジとかもう、そんなところが大好きです。いや、今度こそ大きく育ってほしい!

 筆者の当面の夢は、INZONEブランドのデスクトップPCやキーボード、マウス、はたまたゲーミングデスクやチェアまで出して、ゲーミング業界に旋風を巻き起こす姿を見ることです。

筆者紹介───君国泰将

ソニー(とガンダム)をこよなく愛し、ソニーに生きる男・君国泰将氏

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