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20周年のごく私的な思い出:

iMac、母が唯一ほしがったパソコン

2018年05月13日 12時00分更新

文● モーダル小嶋/ASCII

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 5月6日は初代iMacが発表されて20年(発売は1998年8月15日、日本語版は8月29日)。ティム・クックもお祝いのツイートをしていましたね。

 iMacについては、いまさら何をか言わんや、というパソコンの銘機であることは間違いないでしょう。アップルに復帰したスティーブ・ジョブズが発表し、ジョナサン・アイブらがデザインを手がけた……という流れからいっても、いま振り返ればエポックメイキングな機種ですね。

 1998年、自分が12歳の誕生日プレゼントに買ってもらったのが、ボンダイブルーの初代iMacだった……という記事を、かつてASCII.jpに書いたことがあります。

 そのときに、年上の編集部員の皆さんから、「はじめて買ってもらったパソコンがiMac? 若いねえ」と言われたものです。「PC-8801mkIISR」でも「X68000」でもないのが申し訳ないと思いつつ、1986年生まれだから当然でして、そこは許してくださいと苦笑いしました。

 ボンダイブルーと半透明の白のツートーンカラー。五角形の近未来的でキュートな形状。丸いマウス(本当に丸かった)とトランスルーセントのキーボード。しかしながら当時の自分は、iMacがどれほど革新的なのかを知らないなどというレベルではなく、WindowsとMacintoshの違いもよくわかっておらず、スティーブ・ジョブズの名前すら聞いたことがありませんでした。

 マイコン時代からデジタルに詳しい人たちにとっては噴飯物かもしれませんが、昭和61年に生まれた地方育ちの少年にとっては、ムリもないことだと思ってください。経営危機がささやかれていたアップルの復活の象徴、ジョブズの復権をアピールする存在だった……というのは、まだ幼い自分はあとになって理解することになります。

 iMacの特徴として、USBを全面的に採用するのみならず、レガシーデバイスと考えたものをすっぱり廃止したスタイルが挙げられます(RS-422シリアルポート、フロッピーディスク、SCSIなど)。これにより、USBを採用した周辺機器が次々に発売され、USBの普及が進んだ側面もあるでしょう。

 ただ、自分はフロッピーディスクが使えないことも、インターフェースがUSBしか見当たらないことも、「ふーん、そうなんだ」としか思っていませんでした。iMacを購入した頃、父の友人がお古のプリンターを家に持ってきてくれたのですが、接続できなくて驚いていたことを思い出します。

 そうそう、初代iMacは内部に「メザニン(Mezzanine)スロット」なる拡張スロットがありました。サードパーティー製の拡張カードを取り付けることで、SCSIやFireWireポートの拡張ができた……のですが、もちろんそれをあまり理解することもなかったような記憶が……。

画面中央やや左、水色の板のようなところがメザニンスロット

 そのようなiMacの歴史的な意義は多くのメディアが書いているでしょうし、20年前からパソコン業界にいる人のほうが、当時のことを詳しく語れるだろうと思います。だから、iMacがどれだけ革新的だったかをつまびらかに書くには、自分の立場ではちょっとおこがましいというのが正直なところ。

ポップなカラーバリエーションも印象的でした。一時期、周辺機器メーカーがみんな個の色になっていたんですよ、いやほんとうに

 だから、きわめて個人的な思い出を書きます。1998年に我が家にやってきたiMacは、2002年頃にぼくの手を離れました(自分用に「iBook」を買ったのです)。そのまま、両親のネットサーフィンやメール用のマシンになります。iMacのスペックは発売当初からしてけっして高いものではなかったから、徐々に両親が使うにもむずかしいことになっていきました。単純に、動作が重いわけです。フリーズもちょくちょく目立つようになり、いつかは買い換えるだろうな、そのときは自分がアドバイスせにゃならんな、とぼんやり思っていました。

 2004、5年頃だったでしょうか。両親が中古で、いきなりiMac DV系(いわゆる「slot loading」。スロットローディングタイプのドライブが付いていた)を購入しようと思うんだけど……と打ち明けてきたのですね。父も母もパソコンにまったく詳しくなく、突然の話でした。

 どうしてiMacにしたいのか、使い心地が変わるからか、とぼくはたずねました。いや、iMacが“よかったから”、と両親は言ったのです。とくに母がそう主張していました。あれが置いていないと、パソコンがある、ネットを見るよという感じがしないものだから……と言うのですね。

 たしかに思い起こしてみれば、母はiMacを見るたびに「これはかわいい」とよく言っていたのです。無機質な機械ではなくて、なんだかかわいいもの、という認識を持っていたのでしょう。家のインテリアにもそれなりにこだわっていた彼女が、次のパソコンもiMacにしたいと言うのは、ある意味当然だったのかもしれません。ただ、当時はもうすでに「iMac G5」が出ていたはずで、iMac DVは中古にしてもスペックは時代遅れ、それほど軽快な動作をのぞめるものではありませんでした。それでも、「あの形でないと」と強く言われてしまいました。

 単に使い慣れているからとか、使い心地が変わるのが不安だからでもなく(もちろん、そういう側面もあったにしても)、あのiMacの形状は、母に「リビングに置くとしたら、これしかない」と感じさせたわけです。ちなみに色は「indigo」だったはず。ボンダイブルーと似たような色がよかったから、と言っていたように記憶しています。

 母は先日、60になりました。もちろん、これから先、急にパソコンがほしくなるということもありえなくはない。ただ、現時点でいえば、母がデジタル製品に、しかも見た目を含めた雰囲気に愛着が湧いたのは、iMacだけ。31年間生きてきたけれど、母の口から「あれがほしい」と聞いたパソコンは、iMacだけなのです。

 それから10年以上が経ちました。iMacはシルバーの筐体になり、スペースグレイの精悍なカラーリングと圧倒的なパフォーマンスをほこる「iMac Pro」もあります。さすがにいまでは、両親は安価なWindowsマシンを使っているようです。それでも、時々、ぼくはあのボンダイブルーの筐体が懐かしくなります。コンピューターに興味がない母にも、特別な1台になったパソコンでした。


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