ミスターBIG PAD シャープ中村さんが語る「なぜ会議室で支持されるのか?」
働き方改革の切り札! BIG PADはオフィスの「センターハブ」になる
2018年03月05日 15時00分更新
営業からモノづくりへ転身
初代機はBIG PADではなかった!?
── まず、BIG PADを開発するきっかけを教えていただけますか?
中村 1993年に入社し、当初は家電製品のルート営業担当として勤務していたのですが、ふと、せっかく“モノづくり”をしている企業にいるのだから自分も何かを手がけてみたい……と考えるようになりました。
そして2005年頃、社内公募制度で業務用ディスプレイの商品企画担当者の募集があったので、迷うことなく手を挙げました。
── そこですぐにBIG PADの商品企画に携わったのですか?
中村 そうなんです。ただ、BIG PADという名称はまだ存在しておらず、「インタラクティブプレゼンシステム」という商品名でした。その企画が動き始めた初期から参画しました。
以来12年間、タッチパネル/BIG PADを担当し続けています。商品企画部では上司も同僚も入れ替わり、気がつけば私一人がずっと関わっています。いつしか「ミスターBIG PAD」などと呼ばれるようになってしまいました(笑)
── インタラクティブプレゼンシステムが事実上の初代機なのですね。これはどのような製品だったのでしょうか?
中村 65V型のインフォメーションディスプレイとタッチパネル、そして専用スタンドという3つの製品から成るセット商品でした。
ディスプレイにカバーを掛けるようにタッチパネル部分を装着するのですが、当時の65V型ディスプレイはとても重いものでした。あまりにディスプレイのある上半分が重くなるので、スタンドには転倒防止のために重心を下げるため、底部に重りが仕込まれていたほどです(笑)
── 初代機は一体型ではなかったのですね。それにしても、そもそもこうした製品を作るきっかけは何だったのでしょう?
中村 異動した部署は元々、デジタルサイネージ用のディスプレイを開発していたのですが、あるとき「オフィスで少し変わった使い方のできるディスプレイを提案してみよう」という話が持ち上がり、1つの案としてタッチパネルディスプレイが挙がっていたのです。
当時は「インタラクティブ」という単語すら耳慣れない時代ですから、画面に触れてWindowsを操作できるというだけで新鮮でした。まだスマートフォンも登場していませんでしたし、タッチパネルも一般的ではありませんでした。
ですから、デモ用にGoogle Earthをインストールしておき、宇宙に浮かぶ地球をピンチアップすると、そのままズームし続けてデモをしている場所が表示される……なんてことをするだけでも非常にウケがよかったです。
── 名称もまだBIG PADではなかったのですね。
中村 シリーズ名称のようなものはまだありませんでした。一方で、このインタラクティブプレゼンシステムには「納入・組立・セッティングが面倒」というご意見が寄せられたため、次は一体型の製品にすべく開発が進められました。
BIG PAD夜明け前
地デジ化に伴って学校に電子黒板導入の機運が!
中村 開発が進むなか、2009年に文部科学省がいわゆる「スクール・ニューディール政策」を提唱します。ちょうど地デジ化移行の時期で、小中学校の各教室に設置されていたテレビもブラウン管から液晶などに置き換わるタイミングでした。そこに、地デジ対応テレビに電子黒板機能をつけたものを導入するという動きが出てきたのです。50V型以上の電子黒板を教室に置いて、ICT教育に活用するという話でした。
そこで取り急ぎ開発したのが「電子黒板システム」です。この製品も一体型ではなく、ディスプレイとタッチパネル、スタンドのセット商品でした。