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これはオヤジほいほい、ドスパラ中古PC担当者と語る、懐かしのパーツ座談会

2017年11月06日 18時00分更新

文● 聞き手●きゅう 編集●ASCII

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AMDで自作の道に入った人多いよね?

── 1980年代のパソコン誌にも自作の記事が載っていましたが、当時の自作って言うと、半田付けしたりとか、ホンモノの自作でしたからね……。ちなみにまっちゃんのイメージするパソコン少年ってどんな感じ?

写真はファミコンミニ(オリジナル機のデザインを踏襲して昨年発売された)

まっちゃん 僕が生まれたのは1984年ですからねぇ。ファミコンは知っていますけど、パソコンでゲームをしていたということ自体がイメージわきませんね。高校の授業で使い始めていろいろできるんだと知ったけど、それまでは完全に仕事で使うものというイメージ。

モデムの例。写真は56kbpsの対応で1999年に出た製品。V.90とK56flexの規格争いなどもあった

すーさん そうなんだ! 自分が本格的にPCを使い始めたのはちょうどインターネットにみんながつなぎ始めたころかな。友人や知人でもインターネットにつないでいる人はいたんですが、プロバイダーに契約する手続きが学生ではなかなかできず、うらやましいなと思っていたんです。そんなある日、偶然モデムを手に入れて、何が起こったのか草の根BBSを始めてしまった。

── それはまた、なんで時代に反する行動を……

すーさん そう、急に時代がさかのぼるんですよ(笑)。掲示板があって、ただでアクセスできた。その掲示板にみんなで書いたり書かれたりするっていうのが、最初のネット体験ですね。大学生のころの話。

フジヤン 当時のパソコンってどのぐらいで買ったの?

すーさん 20万円とかそのぐらいだったと思う。パソコンは何とか買えたんだけど……、モデムまでは手が出なかった。友達が9600bpsのちょっと遅めの製品を貸してくれて。タッチタイプを覚えたのもこのころ。でもそのすぐあとに自作PCを組み立てて、普通にインターネットにつなぐようになるんだけど……。当時パソコン雑誌に草の根BBSの電話番号が書いてあってね……。名古屋に住んでいたんだけど、近いとこ探してアクセスしていました。試行錯誤したし、一番面白かった思い出ですね。

フジヤン 今日は気合入れて北海道にかけてみようとかね……。

まっちゃん ???

すーさん 当時はパソコンから直接電話をかけて、データをやり取りしていたんだよ。電話かけて掲示板の情報を取り込んで、書き込んだら電話を切る。そうすると別の人が電話かけて、別の人が書き込む……っていう感じ。

まっちゃん 電話番号って、そこからどうやってホームページにつなぐの?

すーさん え~と、電話番号がホームページ1個1個のアドレスみたいな感じになっているんだよ。

── URLやIPアドレスの代わりに電話番号を使うイメージですかね。仕組みとしてはファクスに近いかもしれないです。電話かけるとデータを送れる。

クマさん 遠くに掛けるときは料金大丈夫かなってちょっとビビったりしてましたよね。

まっちゃん へぇ~。北海道に掛けたら電話料金も変わるの?

一同 (唖然)

まっちゃん どこ掛けても3分10円じゃないの?

── ここまで世代間ギャップがあるとは……。

ISDN用のTA。128kbpsのデジタル通信ができた

クマさん 市内と市外で料金が違って、あとは距離で変わるんだよ。そして距離の上限は160km。そのときに知った知識(笑)。

フジヤン 電話もデータも電気信号なので原理は一緒。ISDNとかも知らない世代?

まっちゃん ISDNは知っている。姉貴が当時Pentium IIのパソコンを使っていて、かたくなに定額料金が高いから要らないって言っていた。ちなみに物持ちがいい人で、このPentium IIのパソコンつい最近まで使っていたんじゃないかな。ドスパラに入ったあと、自作で作ったマシンを上げるまで。

すーさん 物持ちいいな。

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