ドスパラの中古PC担当者が集まって、 “懐かしのパソコンの話題”で盛り上がる連載企画「懐かしのレトロPC 座談会」が、Dospara Expressで連載中だ。
1990年代末から2000年前後。Windows 95の登場とともにPC/AT互換機(DOS/Vマシン)、そしてインターネットが大きく広がった。アキバをはじめとした日本各地の電脳街に数多くのパーツショップが登場したころ。およそ20年前の話だ。
自作パーツはその後もリニアな進化を遂げている。しかし店頭をにぎわせるブランドも大きく変わってしまった。過去を知ることは、最新パーツのルーツや本質を知る上でも重要だ。歴史を作った新製品を“識って”作るのは、ただ“作る”のとはまた違った楽しみがあると信じたい。
そんな群雄割拠のパーツ市場を目の当たりにしてきたショップ店員の“生の声”を聞いてみよう。1984年に最初のパソコン(MSX)が自宅にやってきてから、かれこれ35年以上パソコンを使ってきた筆者もぜひ混じりたい。そこで、座談会にまぎれこんでみた。懐かしのPCやパーツに「思いをはせるのもよし」、かつての名機を中古製品として「改めて収集してみるのもよし」といった感じで、あっという間の2時間が過ぎた。
それではPC自作の思い出話、聞いてみましょう!(座談会の模様は、11月7日のDospara Expressにも掲載予定、合わせて読むと二度おいしい?)
AMDで自作の道に入った人多いよね?
── それでは始めましょう! いやあ昔のパソコンの話は楽しそうだな~。まずは皆さん、どのぐらい前からパソコンを使い始めていますか?
クマさん 私のパソコン歴は34年ですね。最初にMSXを手に入れました。パソコンとの最初の出会いはそれよりも前の1981年。無印のPC-8801からですが。
すーさん 最初に触ったのは中学のころ。PC-9801シリーズですね。そのあと時間が経って、PC-9821でWindows 3.1を動かしたりしていました。最初の自作で使ったCPUはK6-2、グラボは3D RAGE、マザボはASUSで、Windows 98 Second Editionを動かしていました。ドスパラに入ったのはPentium IIIやPentium 4の時代、22~3歳ごろです。そこで自作の楽しさを知り、いまに至るという感じです。
フジヤン 私は5インチFDDを搭載したPC-9801VMが最初(笑)。1980年代の終わりぐらいですね。ドットプリンターの紙が良く詰まっていたなと。DOS/V機に初めて触ったのは1996年ごろです。初自作はK6-2、そしてMillennium G200の構成でした。2000年ごろのPalomino(Athlon XP)1800+が印象に残っています。
── なんかAMD派が多いっすね? ちなみに私は最初の自作が1997年。初代のK6、中古で箱がボロボロのMillenniumを手に入れて、ギガバイトのマザーで自作しました。 同世代なので親近感があります。まっちゃんもそんな感じ?
まっちゃん いやいや(笑)。私はこのメンバーと世代が違いますから! 正直なにを言ってるのか分からないっす! 自作を始めたのはドスパラに入ってから。2007年ですよ。よく覚えているけど、CPUはAthlon X2 5200+です。あ、でもそういえば、2000年ぐらいにK6かK6-2で友達が作った自作PCをもらったかもしれないな……。歴史上の話ですよ。
── なるほど。2007年なんてすげえ最近な気分ですが。
まっちゃん なので、役どころとしては若手自作派の代弁役。ツッコミ役とも言います。
── 今回は“自作が熱かった時代”を中心に話していきたいです。日本で自作が流行りだしたのは、Windows 95以降、1996~7年ごろからかな。このへんから始めましょうか。いまとプレーヤーも異なるし、AMD派が多いことから分かるように、互換CPUが続々と出てきた時期でもありますね。AMDはいまでも残っていますが、2000年前後にかけて、Cyrix、VIA、WinChip、モバイルだとトランスメタ……いっぱいありましたよね。
フジヤン まあ、いま自分で自作するなら定番のインテルってことになりますけどね。
クマさん えっ!? 私はパソコンもタブレットもAMD。そしてスマホはモトローラ―です。
── クマさんはMSX買ってしまった時点で、マイナー路線の道、確定ですね。私もそうですが、ファミコンが買ってもらえずに、MSX使っていたクチでしょう?
一同 (爆笑)
クマさん ここにアマチュア無線が加わると、役満ですね。