愛をテーマにしているが、単純な恋愛だけではない
麻倉 つぎにアルバムについて伺いましょう。まず『ロマンス』という切り口で集めた今回の選曲についてですが。
寺下 愛をテーマにしています。私自身が恋に落ちた曲もありますし、映画という作品が示す愛のかたちがあるとは思います。いずれにせよ、そういう心の触れ合いがある曲を選んでいます。シューマンの3つのロマンスも奥さんのクララに捧げた曲ですし、何かしら愛にちなんだ曲です。
麻倉 曲順もご自身で決めたとおっしゃっていました。
寺下 1曲目のブラームスは、私自身、本当に好きな曲で、演奏会でもよく取り上げています。曲想はブラームスにしては、爽やかなものなのですが、私が恋に落ちているというか、すごく好きな曲です。長く弾いていると、この曲とは少し距離を置こうと思う場合もあるのですが、この曲は本当に長い期間弾き続けています。
麻倉 しかしあえて1枚目のアルバムには入れなかった。
寺下 もちろん考えたのですが、「もっとうまく弾けるようになってから」という気持ちがありました。曲に対する畏敬の念があったのかもしれません。
麻倉 2曲目はクライスラーの編曲した、ファリアの「はかなき人生」ですね。
寺下 これもまた好きな曲ですね!! ヴィルトゥオーゾ(超絶技巧)というか、1曲目とは対照的な性格ですが。ソロでカスタネットを入れる人もいるぐらいですが、ヴァイオリンとスペインの音楽は相性がいいと思っています。
麻倉 3曲目はニュー・シネマ・パラダイスでより深く情感豊かです。4曲目はヘスの「ラベンダーの咲く庭で」です。
寺下 恋愛映画なので、恋愛感情を表現した曲ではないかと思います。本当にラベンダーが咲いている景色が思い浮かぶような広がりのある美しい曲ですね。ロマンスというテーマにピッタリだと思います。
麻倉 私は「長い旋律線が豊かで、ロマンティックな情感を湛えている」と聴きました。5曲目はショパンの「ノクターン 嬰ハ短調(遺作)」。
寺下 ショパンはピアノの作曲家なのですが、編曲したミルシテイン自身の録音がすきだったので入れました。でもこういう編曲ものは難しいですね。もともとの動きがピアノ的でヴァイオリンで弾くのは、とても難しいです。ピアノはとなり同士の音を順次進行していくのが自然に弾けますが、ヴァイオリンは違います。逆にファリアは派手さがあって技巧的ですが、ヴァイオリン的には動きやすくて弾きやすかったりします。
麻倉 私は「ロマンティックの極致のようなノクターン。ピアノ演奏とは違う、濃密な感情。ヴィブラートと寺下ならではの音移動のスムーズさが、この曲の潤いをさらにスウィートにしている」と聴きました。6曲目のシューマン「3つのロマンス」は、おっしゃられていたように奥さんへの愛ですね。7曲目のラフマニノフ「ヴォカリーズ」は音楽への愛という感じがしました。
寺下 ヴォカリーズも難しい曲でした。この曲を弾いてほしいというリクエストがあり収録した曲になります。」
麻倉 感情の濃さが細かな指使いで伝わってくる名演奏でしたよ。ヴァイオリンや声はピアノと違って、引いた後に音を大きくしたり、音程も微妙に変えられたりしますからね。メモには「感情が濃いことが、アーティキュレーションで分かる。後半の盛り上がりも素晴らしい」とあります。ヘンリー・マンシーニの『ひまわり』はどうでしょう。
寺下 心から離れない作品です。ロマンスというテーマを聞いて、最初に思い浮かんだ曲です。とても悲劇的なのに、知り合いや友達に聞くと、このひまわりの演奏が一番よかったという意見が多くありました。
麻倉 ある年代には響く曲ですね。聞いてみましょうか。
(DSD版を聞く)
寺下 ……なんか悲しくなってきました。
麻倉 伝わってきますね。編曲の妙かもしれないですね。高音が来て、低音が来て、ピアノが出てと、引きずり込まれる感じです。悲しみが二重、三重に迫ってくるようです。
寺下 編曲は深川甫さんですが、前作CD「AVE MARIA」からのお付き合いで、私の意図をよく理解してくれているんですね。そう言う意味で、私がこの曲に持っている感情をうまく表現していただけたように思います。ちなみに、この曲を聴いて涙が出たと仰ってくれた方もいました。
麻倉 号泣するのも分かる。演奏者の感情が伝わってくるもの。
寺下 実は元の曲はもっとさっぱりしているんですけどね。
麻倉 ハイレゾの感情伝達力の強さを意識させられる。
寺下 実は私自身もハイレゾ版は、いまここで初めて聴いたんですが、聴いてくださる方に、私自身の感情がよりストレートに伝わるのかもしれないなって思いました。
麻倉 寺下さんの感情があり、ハイレゾのニュアンスが加わって、聴いている我々にとどくような感じがしますね。もちろんもともとのコンテンツに感情を喚起させる要素がないとだめです。曲に対する思いと言い換えてもいいです。私のメモには「叙情と哀愁がヴァイオリンの音の間から聞こえる。感情が濃い」とあります。9曲目はアザラシヴィリの『無言歌』ということですが。
寺下 アザラシヴィリはジョージアの作曲家です。前作ではシンディングの『古風な様式の組曲』を取り上げていますが、隠れた名曲として入れています。親しみやすい旋律だと思います。
麻倉 私は「情熱的なルフランが、心に直接訴求する。悠々たる旋律の説得力は大きい」と聴きました。そしてカッチーニの「アヴェ・マリア」、ストラヴィンスキーの「イタリア組曲」へと続いていきます。
寺下 ストラヴィンスキーはのこの曲は新古典主義の時代の作品ですが、この前の時代の前衛的な曲からここまで変わるのかという驚きもありますね。『春の祭典』と同じ作曲家が作ったとは思えない! そこがブラームスとの違いです。実は昨年少し落ち込んでいて、変わりたいなと思っていたタイミングがありました。この曲を聴くと、ひとりの人がここまで変われるんだと思えて勇気づけられた。旧ソ連、またはロシアの作曲家の特徴かもしれません。自由にできない、そして自由になりたいという想い。どんなことがあっても生きるという想い。それがパワーになりました。新古典主義なので原点回帰もしているし、変わりたいという人生のタイミングとマッチしています。
麻倉 私の手元にCDのリーフレットがあります。これを見ると見開きの左側には感情的な曲が多く並び、ここで一度、アクセントというか古典的なものに変わる。うまくバランスを取っていますよね。そして最後の最後にポンセの「エストレリータ(小さな星)」がきて、ロマンスの世界に戻っていく。
寺下 最後はこれで終わりたかった。夢見心地でロマンスを終えたかったのです。
麻倉 そしてハイフェッツの編曲で始まり、ハイフェッツの編曲で終わる。
寺下 そう。私も今気づきました!!
麻倉 ハイフェッツは、ヴィルトウォーゾですが、小曲がうまい。エストレリアータはギターでもよく演奏されていて、その良さもあります。しかし、この曲もヴァイオリンならではの持ち味が出ています。最後に聴きながら、夢見るようなロマンティックな気分に浸りながら、楽しかった取材を終えましょう!!