働き方・仕事についてのお悩み、募集しています!
「こんな働き方はもう嫌だ」「もっとこんな仕事がしたい」。
誰かに聞いてほしい、でも近しい人にこそ言いにくい仕事の悩み。この連載では、そんなお悩みの解決の糸口を一緒に考えていきます。
何か困っていることや考えていることがあれば、こちらまで気軽にメッセージください! 匿名のメッセージも、もちろん大丈夫です。
ASCII読者の皆さん、こんにちは!正能茉優です。
この連載「お仕事悩み、一緒に考えます。」では、今月も、読者の皆さまからいただいたお仕事に関するお悩みについて、一緒に考えていきます。
今回のお悩みは、「悲しい経験をした部下との関わり」について。
流産した部下。自分は子がいる。どうすれば…?
私は、メーカーの人事部門でマネジメントをしている40代の女性です。
前回までの正能さんのご経験に関する連載を拝読し、職場で同じような状況に直面していることもあり、思い切って相談させていただきます。
今回は、部下のことでの相談です。
私のチームの20代後半の女性社員が、最近流産を経験しました。
休みをとって療養して戻ってきたものの、精神的に辛そうに見えることがあります。
一方で本人は「大丈夫です」と言い、仕事もいつも通りこなしています。
私には小学生の子が2人おり、子どもを授かった経験はありますが、流産の経験はなく、どう寄り添えばいいのか分かりません。
下手な言葉で傷つけてしまうのではないかと怖く、距離をとってしまっている自分もいます。
特に、私自身が「子どもがいる上司」という立場であることが、彼女にとって負担や痛みを強めてしまうのではないかと感じています。会話の中で子どもの話題が出るたびに「彼女を傷つけてしまっていないか」と心配になりますし、一方で母親であることを隠すのも不自然で、どう振る舞えばよいのか分からず葛藤しています。
同じチームのメンバーも「触れていいのか分からない」と気を遣っている様子があり、結果的に部下が孤立してしまわないか、そしてその孤独感が傷を深めてしまうのではないか、不安です。
上司としてできることは何なのか、また母親としての立場をどう活かせばよいのか、アドバイスをいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
──匿名希望(40代女性・会社員・子どもあり)
死産で失ったのは、子だけじゃない
ご相談文から、部下の方を思いやるお気持ちが強く伝わってきました。
本人は「大丈夫」と言っているけれど、心の中ではまだ揺れているのではないか。
そう思うと、どう接すればいいのか迷ってしまいますよね。その戸惑い自体、とても自然なことだと思います。
私が死産を経験した時のこと、その後の9ヵ月間を振り返ってみると、さまざまな喪失がありました。
まず何より大きかったのは、もちろん子の存在、そしてその子も含めた4人家族という家族そのもののの喪失です。
ただ、私が実際に経験するまでわかっていなかったのは、「子以外の存在の喪失」でした。
私の場合、死産後に、性格や考え方が激変しました。
最初は、いわゆる産後のホルモンバランスの変化が影響を及ぼしているだけだと考えていたのですが、少し掘り下げてみると、自分は死産という経験を通して、
「確率の低いことはなかなか起きない」「自分はきっと大丈夫」という人生への考え・スタンス- 「気兼ねなく話せる、むしろ気遣いをするべき側の人である」という立場・振る舞い
- 「自分で考え、自分で選ぶ」という仕事・人生に対する考え・スタンス
- 金銭(希少疾患の治療の、医療費負担が大きかったことも関係しているかもしれません)
を失ったんだと思いました。
さらに私の場合、4ヵ月の間、入院していたので、
- 当時1歳になったばかりの第一子との時間の断絶
- その結果、子にとっての愛着(attachment)の優先順位が第一位ではなくなり、子に関するあらゆることを自分以外の人が担わざるを得ない日常生活
- 母乳で育てていた中で、卒乳・断乳を丁寧にしたかったにも関わらず、それができなかった悲しさ・子への申し訳なさ
も重なりました。
こうした出来事が起こる以前の生活においては「持っている」とすら自覚できていなかった、でも自分という存在を当たり前のように支えてきた感覚・考え方を失っていたことにじわじわと気がついたのです。
この感覚・考え方の喪失は、日常生活に大きな影響をもたらしました。
例えば、「確率の低いことはなかなか起きない」という前提が崩れると、日常の何もかもが怖くなります。
あらゆる事故や事件、病気や自然災害について、もしも大切な人や自分が当事者になってしまったらどうしようという気持ちが、必要以上に起きて、日常生活が辛くなることもありました。
ゆえに「そうした心配・懸念を抱かずに、平和そうに生きているように見える周囲の存在」そのものが、痛く感じられることもありました。
「無駄な心配・懸念を抱かずに生きている周囲の存在」の横にいると、「すべてに恐れて、平穏な気持ちで生きていない自分」を自覚してしまい、それがしんどかったように思います。
死産の報告をした時には、中には「実はうちも…」と自身のつらい経験を伝えてくれた人もいて、「周囲に言わずとも、つらい思いをして暮らしている人の存在」を知ったはずなのに、それでもやはり、私が未熟なこともあるとは思うのですが、「平穏そうに見える周囲」を感じるだけで、変わってしまった自分の性格や考え方を繰り返し自覚し、それがとてもつらかったです。
そんな私の経験を踏まえると、後輩さんは、相談者さんの存在を身たり思い出したりするだけでも辛いということもあり得るなと思いました。
喪失した人に、これ以上何かを失わせない
このように、死産や流産を経験すると、「子を失った」という一点にとどまらず、自分が当たり前に持っていた感覚や拠り所までごっそり奪われてしまうことがあるのだと思います。
私自身も、死産を経験したあとに気づいたのは、子どもだけでなく、「自分は大丈夫だと思える根拠なき安心感」や「未来への見通し」といった心の支えを一緒に失っていた、ということでした。
その喪失感は、周囲から見れば小さなことに思えるかもしれません。
例えば、「友人との、日常の何気ないやりとりが刺さる」「刺さる経験を複数回すると、友人と連絡をとるのを避けるようになる。SNSへの投稿を避けるようになる」といったこと。
たかがSNS投稿であり、たかが友人との日常的なLINEですが、当事者にとっては「昨日まで普通にできていたことが、もうできない」という悲しみであり、自分の当たり前が奪われていくような苦しみです。
だからこそ、周りの人が意識してできる大切なことは「これ以上、何かを失わせない」ことです。
子を亡くした人への気遣いが難しいことは百も承知の上ですが、“そっとしておく”ばかりで仕事の輪やその周囲にある人付き合いの輪から外してしまったりすると、本人は「また一つ、自分の居場所を失った」と感じてしまいます。
上司としてできるのは、負担をすべて取り除くことではありません。
むしろ「あなたの居場所は変わらずここにある」「あなたのできること・やるべきことは変わらずここにある」と示すこと。
それと同時に、「気にかけているよ」という、何気ない声かけです。
例えば、同じアサイン変更という状況でも、「体調が第一だから業務負荷の高いアサインは、一旦外しておくね」と言われたら、新たな喪失感を覚えます。
でも、「今の心身の状態に合ったアサイン先を一緒に考えようね」と伝えてもらえたら安心するし、「この経験が将来きっと大切に思えるアサインをしたい」と言ってもらえたら“過去の喪失が自分の力になるのかもしれない”と感じられ、前に進む勇気が湧きます。
「元気?」と聞かれるとしんどい時もあるけれど、「変わりない?」と聞かれると答えられたりします。
友人よりも、上司の方が話せる不思議
「子どもがいる上司」という立場が、相手を傷つけるのではないか。
その葛藤はとても自然です。けれど、母親である自分を隠す必要はありません。完全に避けると逆に不自然になり、かえって距離をつくってしまうこともあります。
大切なのは、
「余計なことを言わず、それ以外はこれまで通り話す」こと。
周囲の言動にモヤモヤするたび、「自分はどんな言動を周囲に求めているのだろう?」と繰り返し考えてきた私の感覚では、「火事で自宅が全焼した相手に、言っていいこと・言うべきではないこと」という温度感に近いかもしれません。
火事で自宅が全焼した人に、わざわざ「新しい家を建てたんだ」とも「最近リフォームした洗面台がとても良くて……」とも、ましてや「この間全焼した家を建てた時、壁紙ってどうやって選んだの?」とも話しませんよね。
でも、家や火事に関すること以外はもちろん話すし、家や火事に関する話でも「マンションの消火設備の点検で、オンライン会議中に迷惑をかけてしまうかもしれない」と業務に関係する話はする。こんな感じの温度感なのではないでしょうか。
この業務に関係するところまで話さない状況をつくってしまうと、本人はまた一つ失ったと感じてしまう可能性があります。
そしてもう一つ意外だったのは、親しい友人や家族よりも、上司の方がむしろ自分の心身の現在地を話しやすいことがあった、という点です。
親しい人対して出来事を話すには、否が応でも感情が絡むので、「心配させたくない」「話すことにより感情が加速して、自分も苦しくなりそう」と思う一方で、上司との間には「事実ベースで話そうとする姿勢」「冷静であろうとする基本の人間関係」があります。
その冷静さがあるからこそ、「今の自分はこういう状態です」と安心して伝えられる面がありました。
またそれらの会話の中で、自分自身の心身の状態の解像度がグッと高まることもありました。
これらの経験を踏まえ、悲しい経験をした部下にとって、上司の存在は、部下にとって大きな支えになり得ると私は考えています。
感情を全部受け止めなくても、淡々と事実を共有し合える関係がある。
それだけで本人は「ここに居場所がある」と感じられるのではないでしょうか。
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