この連載は江渡浩一郎、落合陽一、きゅんくん、坂巻匡彦が週替わりでそれぞれの領域について語っていく。今回は落合陽一が、マレーシアで開催する初の大規模個展を解説する。
2016年12月11日から、マレーシア・クアラルンプールの伊勢丹で落合陽一の初の大規模個展となる「Image and Matter - Cyber Arts and Science Towards Digital Nature」 by Yoichi Ochiai が開催中だ。期間は2017年1月14日まで。会場は広く、メディアアート20作品の展示がある。今回は、その展示の様子を報告したい。
マレーシア・クアラルンプールという場所は非常におもしろい場所だ。
マレー系、中華系、アジア系、ヨーロッパ系、中東系などの人々が集まる場所で経済成長率も高く、非常に街に活気がある。宗教上も多彩な文化が見られ、東南アジアの文化的交差点として機能している。
その中でもクアラルンプールという街は中東からアジアの観光客への露店や観光資源が多く、個展を開くには非常におもしろいプロジェクトになりそうな場所だと感じた。企画の打診を受けた際に二つ返事でOKしたのを覚えている。日本が冬の時期に暖かい場所で設営というのもありがたい。のちにSIGGRAPH Asiaと重なっていたことに気づき、日程的に大変だったが、いい思い出だ。
メディアアートについてほかの視点を探る
日本におけるメディアアートの存在というのはやや奇妙な立ち位置である。
欧米では、アーティストは日本におけるメディアアート的な作品を作るということをあまり特別視しない。アーティストが表現素材としてミクストメディアを用いるという形で、一部に気負いなく使うことが多い。
これはつまり、メディアアートという立ち位置が存在するわけではなく、一般的なアート表現の手法のひとつとして電気電子的なメディアを用いるということだ。
対して、日本ではいわゆるメディアアート的なものとファインアート的なものの断絶が根深い。これは多くの人々が納得することだと思う。そのため、一度断絶からフラットな場所でほかの視点を探してみるのも我々にとって有用な知見となるだろう。
今回のクアラルンプール展も、違った文化の交流地点でメディアアートの大規模展をやるという意味があった。感触としては、作品に対して非常にフラットな目線でとらえられているのを感じた。初日のギャラリーツアーでは、200人ほどが集まり大盛況であった。映像と物質、メディアと人間の中で、表現媒体自体を表現していく探究活動について関心を持って傾聴していただいたように感じた。新しい表現をしていく文化的基盤としての東南アジアという場所に、ある種の手応えを感じた瞬間だった。
今回の個展は伊勢丹さんと東京都さん、東京観光財団さん、大日本印刷さんと一緒にやらせていただいた。施工のジセカイ・鶴田さん、阿部さん、池川さん並びに、各事業者の方々に大変お世話になった。この場を借りてお礼を述べたい。
では、各展示のセクションについてなぞっていこうと思う。
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