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週替わりギークス 第331回

お仕事悩み、一緒に考えます。#56

死産後、うれしかった言葉 しんどかった言葉

2025年09月13日 07時00分更新

文● 正能茉優

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10人に1人が経験する「ペリネイタルロス」

 ASCII読者の皆さん、こんにちは!正能茉優です。

 希少疾患にかかって死産に至るまでの経緯と、復職に至るまでの気持ちについて書かせていただいた前回に続き、今回は「死産後、周囲からかけられた言葉」について、正直な気持ちを綴ってみたいと思います。

 この度私が経験した死産を含む「ペリネイタルロス(周産期喪失)」は、決して珍しい出来事ではありません。

 妊娠全体の約15%は流産に終わるとされており、世界的には、流産・死産・新生児死亡を含むペリネイタルロス(妊娠22週以降の死産・出生後28日以内の乳児死亡を含む)を経験する割合は、一般的には妊娠確認のあるもののうち約10〜15%程度という報告もあります。

 にもかかわらず、それについて語る場はほとんどなく、「なかったこと」のように扱われてしまいがちです。

 周囲とのやりとりの絶対数が少ないからこそ、ペリネイタルロスに関する周囲の言葉は、想像以上に当事者の心を支え、時に深く刺さることがあるのだと思います。

 だからこそ、どんな言葉をかけるか、かけないか、という選択にも、実は大きな意味があるのではないでしょうか。

 この連載では、「何が“正解”か」を決めることが目的ではありません。でも、少なくとも私はこう考えた・感じたという一つの経験を、次に共有してみたいと思います。

死産後、かけられてうれしかった・しんどかった言葉

 周産期にかかわらず、誰かが大きな喪失を経験したときに、「うっかり傷つける言葉をかけないように」と気をつけようということは、世の中でもよく言われていることです。

 例えば、今回私が経験したペリネイタルロス(周産期の死産や新生児死)の当事者に向けては、「どんな言葉が傷つけるか」を丁寧にまとめたガイドも複数存在します。

 実際、私自身も死産経験後にいくつか読みましたし、ありがたい言葉・傷つける言葉を集めた冊子などは、本当に当事者にとって力になるものだと感じました。

 と同時に、経験者としては、実は「これは言ってはいけない」「こう言ってくれたらうれしい」と、言葉そのものを並べて整理するアプローチには、限界もあると思いました。

 なぜなら、傷つくかどうかは、言葉の意味だけで決まるものではなく、その言葉を「誰が」「どんなトーンで」「どんなタイミングで」「どんな関係性で」言ったかによって、まったく変わるからです。

 例えば「次があるよ」という言葉は、初対面の人に唐突に言われたら突き放されたように感じるし、仲の良い友人から泣きながら言われたら願いのように受け取れることもある。

 だからこそ、もう一段解像度を上げて、自分の経験談をもとに、これがうれしかった・しんどかったを話してみたくなりました。

感情の模範演技への戸惑い

 死産後、まず戸惑ったのは、入院していた病院での対応でした。

 助産師さんや看護師さんたちは「後悔が残らないように」と、私の気持ちに寄り添おうとしてくれていたのだと思います。

 (ペリネイタルロスにおいても正しいとされている対応ですし、私の命を助けて、その後の回復を支えてくれた病院にはとても感謝しています)

 けれど、例えば毎朝、「今日は、赤ちゃんに会いに行かなくて大丈夫ですか?」と聞かれることには、強い違和感がありました。

 「もうなくなった命なのに、霊安室に行ってもな……」と思いつつも、それを言ったらいけない気がして、同じことを聞いてもらっては、「大丈夫です」と言い続ける毎日。

 そこには、「悲しむ」というあるべき儀式に乗り切れない自分への戸惑いがありました。

 そしてもう一つ戸惑ったのは、報告をした周囲の人の一部に「実はうちも、流産/死産を経験して」と涙を流してくれたり、寄り添ってくれたりする人がいたことです。

 気持ちを寄せてもらえるのはもちろんありがたいことだったと思うのですが、当時の私は、自分自身の感情がまだ全くの宙ぶらりんで、悲しいとか寂しいとかいう以前に、「自分が死ななくてよかった」「生きて家に帰れそうでうれしい」という状態でした。

 そんな中で周囲から、模範演技を見せられたような気がして、「私もちゃんと悲しまなきゃいけないのか?」と考えたことを覚えています。

 と同時に、「死産した自分は、フォローされる側だ」と思い込んでいた自分にも、気づかされました。

 周囲には見せていないけれど、深い悲しみを抱えて、でもそれを見せずに生きている人の多さに驚き、そんなことを夢にも思わずに生きてきた自分を、恥ずかしく思いました。

確かに“あった”と認めてもらえる安心感

 逆に、私がとても救われたのは、会社・仕事関係の人たちとのやりとりでした。

「今のあなただからこそできることが、あると思っている」

「悲しい経験をしたからこその、社会や人に対する視点もあるよね」

「プラスな出来事とは絶対言わない。でもネガティブな気持ちに溺れそうになった時に、これがあるって思える何かを仕事でもつくっていこう」

 そんなふうに、死産に対する解釈や感情には一切触れずに、でも出来事としてはあったと認めた上で声をかけてもらえたことで、「私は『失った』んじゃなくて、『悲しい経験を得た』んだ」と、気持ちが、少しずつほどけていきました。

 会社の人とは、ある程度の距離があるからこそ、直接的な共感よりも、「出来事を認める・踏まえる」というコミュニケーションが、逆に心に残ったのかもしれません。

 ここに、ペリネイタルロスの人との向き合い方のヒントがあるかもしれないと思いました。

取説をつくって、自分も相手も守る

 ただ一方で、死産やペリネイタルロスの話題は、相手にとても気を遣わせてしまうのも事実だと思います。

 特に、連絡がしばらく途絶えていた仕事関係の方々に対しては、何を話したらいいのか分からずに戸惑うだろうな、逆の立場だったら絶対に戸惑うなという気持ちがありました。

 そこで私は、自分から“取扱説明書”のようなものを送ることにしました。

 「こんなことがありました。今はこう思っています。だから、こんなふうに関わってもらえると助かります」と、簡潔に、でも正直に。

 「こう言われるとありがたい」まで提示しておくことで、相手も“地雷を踏まないで済む安心感”が生まれたのか、思っていたよりもスムーズに会話が再開されたように思います。

 もちろん、本当の意味での対話や、人間関係の回復には、まだ時間がかかるのかもしれません。

 でも、まず社会復帰の“入り口”に立つところまでは、なんとか来ることができた。

 その意味で、会社という一定の距離感のある“人間関係”に救われたことは驚きでありました。

その他

 死産については、気遣っていただける機会が有難いことに多く、ただ気遣い方も難しいだろうなと客観的に感じるところもありましたので、現状での自分の気持ち?と、接していただく中でうれしいこともまとめてみました。

 まず私の今回の出来事の受け止め方としては、

 ①悲しい・悔しい気持ちはなく、「難しい状況の中親子共々よくやった...またどこかで!」という比較的さっぱりした気持ちです。(「生まれ変わるなら、我が家よりお金持ちとか、大谷さんちのデコピンの子もおすすめ」と本人に伝えたくらいの温度感です)

 ②何より「自分の命が助かったこと」への有難さが強く、人生観が変わる出来事でした。

 今後接してもらえる中でうれしいこととしては、

 1.「よく頑張った、お疲れ様」とめてもらえるのがうれしいです(母体が優先されたために麻酔が使えず、第1子より産むの大変でした...)

 2.入院中は特に夜明けの体調が辛く、その時に支えになったのが他の病室から漏れ聞こえる赤ちゃんの声でした。それもあってか、赤ちゃんや子どもの話題は結構うれしいので避けていただかず問題ありません。

 ③一方で癌・抗癌剤には正直不安があり、嫌なドキドキをうっすらと感じながら、日々を過ごしています。気持ちが落ちている様子が見受けられる時がもしあれば、何もないことを一緒に願っていただけるとうれしいです。

実は戸惑った、妊娠中の知人・友人とのやりとり

 意外にも、最も戸惑いが多かったのは妊娠中の知人や友人とのやりとりでした。

 妊娠中の彼女たちから、

「出産が不安で……」

「妊娠中、何を着ればいいかな?」

「新生児グッズは何が必要?」といった話題を振られるたびに、私は心の中でこう思っていました。

 「……今の私に、その話、するんだ?」「自分が逆の立場だったら、触れるのも怖くなると思うのに……」

 普段から人への配慮に長けた友人たちだっただけに、最初は驚きが強く、その違和感に戸惑いました。

 ただ、こうしたやりとりが一度や二度でなかったため、次第に「なぜこんなことが起きるのだろう?」と興味に変わり、調べてみたのです。

 すると、妊娠中の人が喪失に触れたくないのは、悪意ではなく、本能的な防衛反応によるものであることがわかりました。

・強い喪失に直面すると「自分も壊れてしまう」と感じる回避や否認

・「自分には起こらない」と思いたい楽観バイアス

・命を育むためにポジティブさが必要な進化的適応反応

 これらを知ったとき、あのときの友人たちはやっぱり変わらず聡明で、やさしい人たちのままだったのだと、ようやく納得できました。

 とはいえ、そのときに自分が戸惑ったことも、また事実として残っています。

 だからこそ、私はこれから、誰かの「信じたい希望」と「悲しい現実」が交差する場面に出会ったら、その両方に目を向けられる人でいたいです。

 ちなみに我が家では、そうした連絡が届いたときには、鰻を食べるという謎ルールができ、「このLINEは、鰻○匹分」と夫と擦り合わせることで、毎度気持ちを前向きに着地させています。

 (このルールの起源は、死産3時間後にICUで夫と食べた鰻重。「この味を思い出すことが供養になるね」と言い合った、我が家なりのささやかな儀式です)

言葉にすることで、感情に輪郭ができる

 今回、私は死産という経験を通して、たくさんの言葉に救われたり、戸惑ったりしながら、「喪失の後に人とつながる」ということの難しさと、あたたかさの両方を感じました。

 うれしかった言葉、しんどかった言葉。

 スルーに傷ついたこともあれば、うまく言葉にならないまま寄り添ってもらった沈黙に、救われたこともありました。

 「こう言えば正解」というマニュアルは、やはりきっと存在しません。

 けれど、人との対話を通して、自分の感情の輪郭がはっきりしていく感覚はそこにありました。

 そして今、思うのです。

 喪失の経験って、本当は“自分ひとりの出来事”ではないのかもしれない、と。

 当事者はもちろん、まわりの人も、誰かの死や別れに触れたとき、それぞれの痛みや記憶を揺さぶられながら、関わり方を手探りで探している。

 その手探りの中で、当事者も、自分の感情に気づけたり、ちょっとだけ心がほぐれたりすることもあるのだと思います。

 だからこそ、私は、この超個人的経験と感情を、言葉にして残しておきたいと思いました。

 誰かにとっての「私もそうだった」になるかもしれないし、「私はちょっと違った」になるかもしれない。

 どちらであれ、そこに小さな対話が生まれたら、それだけで意味があるように思います。

 喪失は、きっとこれからも折に触れて思い出され、揺れ動くものです。

 でも、少しずつその輪郭を描き直しながら、これからも、自分の感情に正直でいられる日々を重ねていきたいと思います。

 

筆者紹介──正能茉優

ハピキラFACTORY 代表取締役
パーソルキャリア 企画職

1991年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部 卒業。
大学在学中に始めたハピキラFACTORYの代表取締役を務める傍ら、2014年博報堂に入社。会社員としてはその後ソニーを経て、現在はパーソルキャリアにて、HR領域における新規事業の事業責任者を務める。ベンチャー社長・会社員として事業を生み出す傍ら2018年度より現在に至るまで、内閣官房「まち・ひと・しごと創生会議」「デジタル田園都市国家構想実現会議」などの内閣の最年少委員を歴任し、上場企業を含む数社の社外取締役としても、地域や若者といったテーマの事業に携わる。
また、それらの現場で接した「組織における感情」に強い興味を持ち、事業の傍ら、慶應義塾大学大学院にて「組織における感情や涙が、組織に与える影響」について研究。専門は経営学で、2023年慶應義塾大学院 修士課程修了。

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