「子どもの夢を応援したい!」自宅から生まれた取り組みが全国展開の大規模イベントに成長

文●杉山幸恵

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我が家を子どもたちの遊び場にしたことが事業に発展、「こども万博」を創設するまでに

 2018年に手塚さんは第3子を出産。当時住んでいた東京のマンションが手狭になってきたが、金銭的なことも含めて広い部屋に引っ越すのは難しい。そこで思い切って神戸市の一軒家に移り住むことにした。この出来事がのちの「こども万博」誕生のきっかけになる。

 「東京では毎日のように人が集まる賑やかな家でした。ママ友たちが気軽に子どもを預けたりなんてことも。でも新天地では縁もゆかりもなく、子どもたちも『誰も遊びに来なくて寂しい』とぽつり。

 そこで、子どもたちの同級生に向けて『いつでもおいで』と、我が家を遊び場として開放。学校帰りにみんなが来て、保護者が迎えに来るまで遊ぶような状況になるうち、ただ遊ぶだけじゃなく何かしたいなと思うようになって。週末や長期休暇にはうどん打ちやスライム作り、ロケット作りなど、遊びと学びを交えた時間を過ごすようになったんです」

 この手塚さんの取り組みは口コミで広がっていき、近所や他校の子も集まるように。やがて保護者から「お金を取ってくれた方が気兼ねなく預けられる。いっそこれを仕事にしてはどうか?」と勧められ、兵庫県の起業支援に応募したところ採択。当初は思いもよらぬことだったが、2019年に個人事業主として起業することになった。

 「起業してすぐにコロナ禍となったことで、子どもたちもステイホーム期間に。でも保護者は仕事があります。そこで『自己責任でもよければ』ということで、変わらず子どもたちは我が家に遊びに来ることに。以前に増して子どもたちと長時間過ごすようになり、ある思いが芽生えたんです。

 例えば、『うちの子はあまり積極的ではない』と言われていても、みんなとワイワイしている時にはとても活躍する姿を見せたり、『お父さんお母さんには将来の夢として認めてもらえないけれど、実はこういうものが好き』といった本音を話してくれたり。

 そんな子どもたちが見えないところで頑張っていること、考えていることを親にも知ってほしい。自分が親なら知りたいって思ったんです」

 そう考えた手塚さんは「みんなが頑張っていることややりたいことを発表する場を作ろう」と、今の活動につながる「こども万博」のアイデアを思いつく。2022年5月には、これまでの身近な子どもたちだけに向けた活動から、正式にオープンな事業として展開していくため、「株式会社こどもCandy」を設立。同年9月には神戸で「第1回 こども万博」を開催した。

 「1回目は大きなイベントにするつもりはなく、子どもたちを中心に、その家族や友達など周りの人が楽しんでくれればいいな、という程度の気持ちでした。費用はクラウドファンディングで支援を募り、大きなメディア活用はせずに子どもたちとチラシ配りやポスティングしたほか、地域の飲食店などにチラシを貼ってもらいました。その結果、予想を超える1500人の方にご来場いただけたんです」

 手塚さんが発案、創設したイベント「こども万博」は、〝子どもの夢を応援する一日〟をテーマにしている。実施されるコンテンツは主に3つ。自分の思いを言葉にして自己肯定感を育む「夢スピーチコンテスト」、工夫や挑戦でお客さんを喜ばせる経験をして自己効力感を育む「こども縁日・店長体験」、子どもたちが自信の夢を具現化して自己重要観を育む「こども起業家体験」だ。

 子どもたちは自分の想いに夢中になり、それに共感してくれる大人と出会う。一方で大人たちは「子どもの夢を応援したい」というキーワードで集まり、〝夢を中心にみんなで〟開催していくイベントだ。同年11月には愛知でも開催し、8,000人を動員した。

 手塚さんは看護師2年目の時、自身を通わせ続けてくれた学校の理事長にお礼を伝えに行っている。その時、「医療だけがすべてではない。あなたがその時々で『子どもたちのためになる』と思うことを続けてほしい」と言われたという。この言葉は現在も手塚さんにとって「こども万博」の活動の指針になっている。

 「こども万博」では、大人は夢を叶えてあげる役ではなく、子どもが頑張るための環境を整える伴走者。これは、かつて自分に〝学び、そして成長できる環境〟を整えてくれた理事長の支援の形を、次世代に引き継ぐ活動だと、手塚さんは考えている。

 「『こども万博』は、単に〝楽しい一日〟で終わらせず、未来につながる出会いの場にしたいと考えています。『こんな人に会ってみよう』『こんな所に一緒に行ってみよう』と、大人が子どもの背中を押せる環境を整えたい。完成したものを提供する場ではなく、共に成長し、共にサポートし合える場にしていきたいのです」

2025年7月に兵庫県の新温泉町で行われた「こども万博in 上山高原」の様子

 2023年には同イベントを縮小して北海道で実施した「こども万博mini」をはじめ3都市4回、2024年には7都市13回(miniを含む)の「こども万博」を開催。〝子どもの夢を応援する〟目的とはいえ、事業として行うからには収益化も不可欠だ。そのあたりどうなっているのだろうか。

 「実は事業開始当初は収益化を全く考えず、年1回の子どもたちへのプレゼントのつもりで。クラウドファンディングやボランティア参加権の販売、助成金が主な資金源で、自費からの持ち出しもありました。

 継続・拡大に伴い、スポンサーシップという仕組みを知りました。でも、単なる宣伝の場を買ってもらうのではなく、ちゃんと〝子どもを応援したい企業〟とパートナー関係を構築したいなと。お金や物、企画など、それぞれの企業ができる形で支援を受けました」

 とはいえ、スポンサーシップが最初からうまくいったわけではなく、2023年まではほぼ自費運営だったという。アフタースクールとしての事業での収益もあったが、イベントでの出費のほうがはるかに上回っていた。

 「2024年には看護の資格を活かして平日だけ東京で働き、その収入をイベントの運営費に充てる生活も経験しました。転機となったのは同年の中ごろに兵庫県からの受託事業が決まったこと。行政費用と企業支援により事業が安定したほか、2025年には兵庫県から起業版ふるさと納税の指定もいただき、各地での開催が本格的にできるようになりました」

 最初は完全に持ち出しから始まった活動だったが、行政との連携や、パートナー企業との関係構築を通じて、徐々に事業として成立できるまでに発展。しかしながら、ここまで事業を成長させるまでには、〝教育事業特有のジレンマ〟に悩まされたという。

 「収益を増やすためには、最終的には子どもから料金をいただくという結論になりますが、支援をしたいという思いがあるので、それだけはしたくなくて。多くの事業者から『教育事業は儲からないから、別事業をつくり、その収益を子どもの支援に充てるべき』と言われましたが、それでは子どもと深く関われなくなってしまう…と、葛藤しました」

 軌道に乗るまで約3年を費やしたが、「この3年があったからこそ、今のいろいろな展開につながっています」と語る手塚さん。今は行政と企業の支援を組み合わせ、余剰は地域に還元するモデルを構築中。「子どもの夢を応援することが収益にもなる」という仕組みを目指し、持続可能な子ども支援の型を形にしていきたいと考えている。

 「もともと準備万端で起業したわけではないので、動けば失敗の連続(笑)。10の失敗から1つの正解に近づく日々を今も続けています。怒られたり信頼を失ったりもしましたが、『あの時のことがあったから成長したんだね』と言ってもらえるようになりたいなと。

 失敗から学んだ最も大切なことは、失敗を恐れるのではなく、失敗を通して成長し続けることの大切さです。そして、その姿を子どもたちに見せることで、彼らも失敗を恐れずにチャレンジできるようになってもらいたいです」

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