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ライダーの聖地でリセット旅。消耗した心に栄養を与えるべく北インドの秘境・ラダックへ

文●杉山幸恵

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 会社員として働きながら、初のコミックエッセイ「女ひとり、インドのヒマラヤでバイクに乗る。」を出版した、はるか180cmこと里中はるかさん。メンタルの不調に加え、キャリアの不安やライフイベントの重圧で日々、心を擦り減らしていた彼女が、何かにすがりたいと思い立ったのが〝ライダーの聖地〟での冒険だった。インド最北部のヒマラヤ山脈西端、標高3500mを超える世界中のライダーにとって憧れの地・ラダックへ。そのチャレンジングなバイク旅が、彼女を漫画制作へと突き動かしていく。

はるか180cmこと里中はるかさん。インドには学生時代にもバックパッカーとして訪れた経験がある

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休職と復職を経て、自身のメンタルと向き合い心理学を学ぶために通信大学に編入学

 幼いころからものづくりや絵を描くことが大好きだったという里中はるかさん。小学生のころ、少女漫画誌に4コマ漫画を投稿したことがあるとか。さらに自身が見聞きして、おもしろいと思ったり興味をもったりしたことを人に伝えることも好きで、中学校で手描きの学校新聞を作ったり、大学では受験生向けのフリーペーパーやWEBサイトを立ち上げたりという経験も。しかしながら美大に行くほどの自信がなかったということで、総合大学への進学を決める。

小学生の時に書いた社会のレポートと、少女コミック誌「りぼん」に投稿した漫画。漫画は2回投稿するも最下位クラスで心が折れ、大人になるまで漫画を描かなかったそう

はるかさんが中学生の時に作っていた手書きの学校新聞。見聞きしたことをまとめて人に伝えるのが好きだったという

 「憧れの会社を目指して就職活動を行ったのですが、準備不足で…。就職留年を決意し、OB訪問を100人以上こなすなど、就活の鬼となりました(笑)」

30歳を過ぎてから再び漫画を描き始めたはるかさん。漫画のプロを目指す短期集中プログラムに参加したことも

 時はリーマンショック後の就職氷河期にあたるころだったが、努力の甲斐あって無事、希望する会社に就職。張り切って働き始めたはるかさんだったが、心と体に不調をきたし、入社1年目の冬から3年目の秋まで約2年間休職することに。

 「もともと心身の波があるタイプでしたが、大きな環境の変化に加え、過労と睡眠不足など無理がたたってしまい…。憧れの会社に入社し、認められたいという思いが強かったんだと思います。仕事を抱えすぎて睡眠不足になり、ミスが増え、負のスパイラルに陥りました。自分からメンタル不調や休むことを相談する勇気もなく、結局、何度も通っていた会社の医務室の判断で休職することに」

 「このままキャリアが終わってしまう」という不安や、「同僚に迷惑をかけてしまう」という申し訳なさ、「心が弱いと思われるかも」という恐怖、「同期に置いていかれる」という焦り。いろいろな思いや感情に心が支配され、葛藤しつつも、心と体が限界だったはるかさんは一度、立ち止まらざるを得なくなった。

 「休職直後は実家に戻り、ただただ死んだように寝る日々が続き…。その当時のことはあまり記憶にないのですが、とにかく顔色も悪く、痩せていたと、あとになって母が教えてくれました。それでも、休職しているのに、会社のことばかりが気になってしまい…。ある日、そんな空っぽの自分に愕然として、乾いた心に水をあげなければと思ったんです」

 「会社がすべてだと自分が折れてしまう」。そう考えた彼女は、心と体が動く時は好きだったことや興味のあったことに少しずつ挑戦することにする。「入社してからずっと〝モーレツ企業戦士〟のような働き方だった」というはるかさんは、思いがけずできた時間で水彩画や似顔絵教室に通うほか、主治医に相談のうえ、車やバイクの免許も取得。さらに友人と共作で少女漫画を4本描き、雑誌に投稿もした。体調に波があり、なかなか復職OKの診断が出ず悶々としながらも、徐々に自分を取り戻していく。

似顔絵教室に通い、上野公園などで似顔絵を描いて過ごした

休職中に初めて少女漫画を描き、雑誌に投稿した

 「最終的に2年弱かけて復職できました。会社の配慮で、残業の多いクライアントワークの部署ではなく、残業が少ないバックオフィスの部署に異動しました。長期休職や部署の差配をしてくれた会社にはとても感謝しています。ただ、新しい部署はもともと苦手としていた細かな書類作成をする部署で、せっかく休ませてもらって復職したのに、うまくこなすことができなくて。6年くらいの間は、会社の中での自分の〝居所〟を模索する毎日でした」

 メンタルの不調を抱え、仕事のうえで成功体験がほぼないまま20代を過ごしたはるかさん。躁と鬱の波も付き合い続ける必要があった。会社での自分の存在価値について思い悩みながら過ごす日々が続く一方で、仕事の後や週末に絵を描いたり旅をしたりすることで、自分自身のバランスを保っていた。次第に会社でもプライベートでも、絵や漫画の依頼が増えていく。

南フランスでの旅の思い出を水彩で描いた

 「送別会の似顔絵やマニュアルをわかりやすく伝える漫画など、社内でも好きなことを通じて喜んでもらえるようになり、とても嬉しかったです。仕事と生活のメリハリが付き、絵がコミュニケーションにもひと役買って、本来の業務も徐々にスムーズにできるようになりました。ただ当然ですが、絵は会社の主業務ではないので、このまま趣味で絵や漫画を続けるのか、思い切って転職や独立をするべきか、長年悩んでいました」

身近で送別会や結婚式が催されるたびに、似顔絵を頼まれるように

 より漫画に力を入れてみようと考えたはるかさんは、30歳になった2019年にマンガの学校の門戸を叩く。半年かけて講義やワークショップで漫画を学び、毎日SNSに漫画を投稿する、実践型の講座だ。改めて「自分の描きたいテーマ」を深掘りする過程で、ある考えにたどりつく。2020年、心理学や発達障害を学ぶために通信大学に3年次編入学したのだ。

 「自分自身のメンタルヘルスにもっと向き合いたかったのと、〝メンタル不調や発達の偏りがあっても大丈夫〟と思える社会をつくりたいという理由からでした。さらに臨床心理士や公認心理師になることも視野に入れていました。自分の悩んできた経験を昇華して、同じように悩む人の力になる。そんな風に生きていけたらと思ったんです。

 通信大学では土・日曜がメインのスクーリングに加えて膨大な量のレポートがあり…。平日の夜と週末にレポートを書き、毎月郵便局に駆け込むみたいな生活をしていました(笑)。でも、会社とは全く異なる業種の同級生と一緒に学ぶのは、とても新鮮で楽しかったです。たまたま入学のタイミングで人事の担当になり、心理学の学びも活かして若手社員の成長支援ができたらと、さらに身が入りました」

大学の枠を越え、カウンセリングや発達障害を学びに行った

2年間で80本以上のレポートを書いた。卒論のテーマは「メンタル不調による休職」

 スクーリングだけでは飽き足らず、興味を抱いた臨床心理士の沢哲司先生のもとに突撃。発達障害やカウンセリングを実践的にも学ぶことで、これまでの自分の中で点だった経験が星座のようにつながる感覚を覚えたという。さらに大学在学中には、会社内でメンタルヘルスチームを自主的に立ち上げ、社員の有志と共に活動をスタート。不調経験のある社員やその周囲の人が、メンタルヘルスについて率直に語れる場を提供するほか、専門家を招いてセミナーなども開催。この活動は現在も続いている。

 脱落する人が多いと言われている通信大学だが、学生同士が情報交換できるコミュニティを作り、支え合いながら学びを深めていったことで、無事卒業したはるかさん。卒業論文は「メンタル不調による休職」をテーマに書いた。そして、このまま充実した毎日を送っていくかと思えたが…。

 「いつも、いろいろと頑張った結果、〝元気の前借り〟をしすぎて燃え尽きてしまうんです。この時は仕事と授業、卒論との両立で無理をしすぎてしまい。臨床心理士や公認心理師になるにはさらに大学院に行く必要がありますが、また2年休職する必要があったので、一旦保留に。恩師のゼミでの心理学の学びや会社での取り組みは続けていたものの、この先どうすればよいかわからなくなってしまいました。

 さらに当時33歳という年齢も重なり、年相応のスキルや経験がない不安に加え、周囲の結婚・ライフステージの変化と比べて自分だけが停滞しているように感じ、深く落ち込んでいました。そんな30代という年代だからこそのプレッシャーもあり、不調の波に飲み込まれていたのかもしれません」

通信大学を卒業後、コロナ禍も閉塞感が増していったという。漫画は「女ひとり、インドのヒマラヤでバイクに乗る。」より

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