遠藤諭のプログラミング+日記 第79回
新型コロナでお世話になり過ぎなので
「インターネット」(The Internet)の語源についてあらためて調べる(前編)
2020年06月16日 09時00分更新
1996年にメールを受信して「ピロン」と鳴ったのか?
小説やマンガの編集者、テレビ番組や映画の関係者からむかしのコンピューターやネット事情について聞かれることがある。ちょっとした時代考証なのだが意外とストーリーに影響のあるような話で、ひょっとしたら「これ間違っているとマズいかも?」みたいな感じで連絡をいただくこともある。
すぐ分かることが多いので答えるようにしているが、社内から人づてにきたのを「はいはいどういうことでしょう?」と引き受けたり、まったく知らない方から連絡をいただくこともある。私の古くからの友人で『磯野家の謎』や『QuickJapan』の編集者の赤田裕一氏から少年マガジンの巻頭図説のイラストが送られてきて「このコンピューターって何か分かる?」みたいなこともあった。
メールをさかのぼってみたところ過去1年半ほどの間にこの種のやりとりを3件ほどやっていたことがわかった。グーグルマップを使ったシーンの妥当性については、グーグルマップの開発にたずさわられていた上田ガクさん(現Mode Inc.)さんに確認してお答えしたり。スティーブ・ジョブズに関することだったり(このあたりはノイズも本当に多くて困ったものだ=ジョブズが亡くなったときに彼がマウスを発明したというとんでもないデタラメを発信した通信社もあった)。
今年になって聞かれたのが1990年代なかばのネットや電子メール事情についてのものだった(了解を得て書いてます)。JPNICの「インターネット歴史年表」を見ているが、実際のユーザーのようすが分からないとのこと(JPNICはドメインの総元締めなのでいちばん信頼にたる情報の1つだと思うが、たとえば「ネットの商用化」と年表に書かれていたとしても翌年からiモードみたいにバンバン市場が立ち上がったわけでもない)。
一般の多くの人たちがインターネットに興味をもって使いだしたのは、1995年11月(米国は8月)にWindows95が発売されてからのことだ。Plus!という別売パッケージにブラウザ(Internet Explorer)が収録(標準搭載は1996年末である)。このときの質問というのは、1994年7~8月頃が前提とのことなので、日本でのWindows95発売の1年半ほど前ということになる。具体的には、次のような内容だ。
・「インターネット」、「eメール」という言葉は使われていたか?
・米国の大学図書館でネットを使って情報を収集していたか?
・日本の地方都市と米国でメールのやとりをしているという設定は無理はないか? メールで画像は送れたか?
まず、インターネットやeメールという言葉だが、1994年にはもちろん使われていた。これ自体は簡単に答えられるのだが、この「インターネット」(the Internet)という言葉の誕生について調べているというのが、今回と次回の全体でお届けするテーマのつもりだったのだが(後述)。
米国の大学図書館での調べものについては、1993年5月にはAOLにMercury Centerというオンライン新聞ができている。それ以前に、我々もよくみていた米国のパソコン通信CompuServeにニュースクリップもあった。もっと個別のテーマであればネットニュース(掲示板システム)もあるし、その情報を持つサーバーへアクセスすることも可能だったはず。図書館に端末があったかは大学によるが、1985年に私が入社したときにアスキー編集部には誰でも使えるUNIX端末が設置されていた。1994年にネットで調べものはおかしくない。
日本の地方都市の一般家庭で米国とメールのやとりについては、日本の当時のネット利用状況という話だ。さきほど触れたように一般の人たちにネットが注目されるようになるのは、Windows95の登場を待たなければならない。ただし、インターネットメールなど目的のはっきりした人は使うことができた。アスキーネットやNifty Serveにインターネットへのゲートウェイが提供されていたからだ。冒頭の画像は、まさに1994年7月にアスキーネットで利用できる状態になっているようすがわかる当時のログである。
このあたりのことは、私の手元にある『月刊アスキー』などのバックナンバーやメールのログ(一部欠けているが1989年あたりから残してある)を見ていけばだいたい分かる。意外に落とし穴なのが、次の2点だった。
・1994年にメールで写真データを送ったりしていたか?
・1996年にメールを受信したときに「ピロン」と音が鳴ったか?
写真データのメール添付だが、カシオのデジカメ「QV-10」(一般ユーザー向けでは最初の製品)の発売が1995年である。ということもあり、1994年7~8月には、写真の画像データというもの自体が一般的ではなかった。当時のことでよく覚えているのは「東京ふーどページ」という英語のレストランガイドサイトがあったのだが、寿司のネタの説明がいまなら気軽にデジカメ画像を貼っているところ。それが、ちょうど色見本みたいな長方形でトロやイカや玉子焼きなどを色だけで説明していた。
1995年6月に月刊アスキー編集部で「Weekly ASCII on INTERNET」というニュースサービスを開始したのだが、担当者は画像で苦労していたと思う。ちなみに、その時点で新聞・雑誌系のサイトといえば『4×4 Magazine』と『SAPIO』があった。「YOMIURI ONLINE」がほぼ同時、まもなく朝日新聞の「Asahi.com」が開始、明けて2月に「INTERNET Watch」が創刊というタイミングである。
つまり、1994年夏頃にインターネットメールで写真画像を送ってきたというのは少々無理があるということだ。実際に、私の古いメールを見ていっても、1997年にニューヨーク在住の知り合いから届いた年賀メールがかなり早いデジカメ画像添付のメールである(ファイルサイズは30Kバイト)。ワードやエクセルのファイルは頻繁に添付しているのに、仕事関係でも写真添付をほとんどしていない。
なお、カシオのQV-10と同じく写真画像の世界を大きく変えたきっかけといえるエプソンのインクジェットプリンタ「PM-700C」の発売は1996年11月である。
そして、1994年7~8月の出来事の後日談的なシーンで、1996年夏にメールを受信して「ピロン」と鳴るのはおかしくないかだ。映画『ユーガッタメール』(1998年)では、AOLお得意のメール着信を声で知らせるという趣向がそのまま映画タイトルになっていた。ところが、1996年夏となるとこれが案外と判断がむずかしい。
「Microsoft Exchange」はメール受信を音で知らせたが、当時は、インターネットメールではなく社内LANなどを想定したものだった。いまでもGmailを起動するとメールの読み込みにいくのを見てもわかるとおり、メールは、サーバー上のメールボックスに取りに行くものだからだ。ケータイやスマホのメッセージやメールのようにプッシュで送ってきたり通知してきたりしない。
だとすると、「ピロン」はなかったのか? どうも鳴っていたような気がして知り合いにも聞いてみたのだが「鳴っていましたよ」という声が多い。調べてみると1995年の『InfoWorld』の記事で、EudoraのE-mail notification utilityというのを使えば音とフラグで知らせてくれるとあった。Eudoraは、日本でも人気の(ちょっと上級者向けの)メーラーで旗が立ったのも思いだされた。同じような機能はほかのメーラーにもあったということだろう。1996年のネット事情については「週刊パソコン丼 1996年09月08日放送分」で特集しているのでどこかで見ることができれば参考になるかもしれない。
ネットの古いことを調べていたらもう少し知りたくなった
いただいた質問に対しては「たぶんこれでOK」というレベルの答えをお返ししたつもりなのだが(とはいえお気づきの点のある方はお知らせいただきたい)、メールやログをひっくり返しているうちに楽しいものが出てきたので最後にオマケ的に紹介したい。現物もすぐに出てきたのが「LOMO LC-A Minitar-1」とフィルム、冊子のセット。オーストリアのロモグラフィック協会のサイトから買ったもので包みに1997年8月とある。「すぐに本体が緩むのでそしたらネジ締めてあげてね」という説明付きで精密ドライバーもついてきた。
いまや地球ぐるみの楽しい写真のネットワークとなった感のあるロモグラフィーの世界。私も、いまは日本のお店でいろいろ購入させてもらっている(最近だとチェキの正方形フィルムが使えるLomo'Instant Square Glass)。1990年代のネットは、このオーストリア発のプロジェクトのその後を見てもわかるとおり可能性に満ちていた。そして、ネットはいまも変わらないはずだがめちゃくちゃワクワクするものだったのだ。
インターネットの歴史といえば、『Quora 世界最大級の知識共有プラットフォーム ビジネスと人生の課題をすべて解決する』(角川アスキー総合研究所、KADOKAWA発売)に「インターネットの情報取得の歴史」という年表が掲載されている。ネットワーカーのばるぼら氏によりもので、書店のビジネス向けムックのコーナーでぜひ手にとってみていただきたい。
ところで、この原稿のタイトルになっている「インターネット」(英語ではThe Internet)という言葉の語源についてはどうなのか?
もちろん、私だって「《インターネットワーク》(internetwork=ネットワークのネットワーク)という言葉がもともとあって……」というインターネットという言葉の発祥に関する教科書的な説明は知っている。しかし、この説明はなんとなくまる暗記っぽくて誰もそこから踏み込んで考えていない感じがしていたのだ。新型コロナで自宅で過ごす時間が長くなっていたり、企業がなんとかリモートワークなどの取り組みで事業を継続しようとしている。それをかなりの部分で救ってくれているのが「ネット」なのにだ。
それは、インターネット考古学といってもよいような世界にすでに突入している。つまり、ネットの地面を掘り返さないと分からないことがたくさんあるということだ。ということで、私なりにこのことについて取り組んでいるのだが、次回はその本題に入らせてもらいます。
遠藤諭(えんどうさとし)
株式会社角川アスキー総合研究所 主席研究員。プログラマを経て1985年に株式会社アスキー入社。月刊アスキー編集長などを経て、2013年より現職。角川アスキー総研では、スマートフォンとネットの時代の人々のライフスタイルに関して、調査・コンサルティングを行っている。「AMSCLS」(LHAで全面的に使われている)や「親指ぴゅん」(親指シフトキーボードエミュレーター)などフリーソフトウェアの作者でもある。趣味は、カレーと錯視と文具作り。「Animation Floating Pen」が、2012年にドイツデザイン会議よりAsia Design Excellenceを受賞、2018、2019年に日本基礎心理学会の「錯視・錯聴コンテスト」で2年連続入賞している。著書に、『計算機屋かく戦えり』(アスキー)、『頭のいい人が変えた10の世界 NHK ITホワイトボックス』(共著、講談社)など。
Twitter:@hortense667Facebook:https://www.facebook.com/satoshi.endo.773
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