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遠藤諭のプログラミング+日記 第26回

君もスティーブ・ジョブズになれる!!

中学生たちに「コンピューターはなぜ面白いのか?」というお話をしてきた

2017年09月13日 09時00分更新

文● 遠藤諭(角川アスキー総合研究所)

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 どうも理屈っぽくなってきてしまったので、中学生たちにどんな話をさせてもらったかを紹介させてもらうことにする。

自分たち(人間)に似ているから面白い。面白いとは、ふだんの自分をコントロールしている意識ではなく、本当の自分が躍ることである。

 コンピューターは、何を目指して作られてきたかというと「人工知能」や「ロボット」の世界だろう。18~19世紀にヨーロッパでチェスをする「トルコ人」という自動人形が人間を負かすほど強いと話題になった。ところが、中に人間が入って動かていた偽物だったというのは有名な話だ。しかし、それで話は終わらない。コンピューター以前の1912年に、スペインのレオナルド・トーレス・ケベードという人が、本当に“詰めチェス”をする機械を作ってしまっている。

 人間は、自分たちと同じものを作り出そうとすることで、自分たちのことを知ろうとしている。それは、あらゆる知的好奇心の中でも(誤解を恐れずにいえば)最もエロチックな体験といえる。

「しくみ」が問題を解決するのを考えるのが面白い。数学が得意な子どもが必ずしもプログラミングが得意とは限らない。

 NHKの『新・電子立国』にも出てきた話だが、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ氏は、高校生のときに「三並べ」(いわゆる〇×ゲーム)のプログラムを書いたそうだ。当時の有名な三並べのプログムといえば、(1)乱数でデタラメな手を打つ。(2)負けたらそこまでの手順を記憶。(3)打とうとした手が過去負けたのと同じ手順だったら別な手を試みる。初歩的なプログラムなのに、これを、繰り返しプレイすると人間に負けないようになる。

 プログラムを書くことと、数学の問題を解いたりパズルを解いたりすることは根本的に違う行為である。TRONの坂村健さんと話をしていたら、パズルを解くようなことは「デタミニスティック(deterministic=決定論)的だろう」と言われた。山に登るのはデタミニスティックだが、登山鉄道のしくみを考えるのはプログラミング的だということだ。この違いはとても重要なのだが、子どもにプログラミングを教えるときにも混同しがちである。

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