演劇×旅行で観光地を活性化!どん底から這い上がり、地域と人をつなぐ仕掛け人に
全国の観光地を舞台に、地元ならではの物語や魅力を演劇で伝えるイマーシブ(没入型)アトラクション「エンタビ®」。その仕掛け人である「プレイング株式会社」の山本知史(ちふみ)さんは代表として奔走するかたわら、脚本・演出を手掛け、時には出演や添乗までをこなしている。高校時代に演劇に恋したことをきっかけに、卒業後は自らの劇団を旗揚げ。劇団主宰と全国各地を駆け巡る添乗員というダブルキャリアを築き上げた。そんななかにおとずれたコロナ禍。すべてが止まったあの時、山本さんは〝演劇〟と〝旅 〟という自らの歩みを重ね、〝自分にできること〟を信じて、再起をかけて動き出した。
すべての画像を見る場合はこちらまったく未経験の旅行業への参画、劇団運営との並行で心身ともに擦り減る日々
1979年生まれの山本知史さんが演劇と出会ったのは中学生の時のこと。憧れの先輩を追いかけるかたちで演劇部に入部し、そして、中・高校と演劇に打ち込む日々を送った。
「特に高校に入ってからは、もうそれは〝恋〟でした。あまりに楽しくてあまりにも夢中で、演劇部に恋をしていたという表現がぴったり。高校演劇連盟のコンクールで、1年生から3年生まで3年連続で個人演技賞を受賞するほどでした」
高校を卒業した山本さんは就職をし、翌1999年に「劇団プレイング」を旗揚げする。2007年からは大阪府の堺市文化団体連絡協議会にも加盟。毎年、堺市内の大きなホールで公演を続け、2019年の20周年記念公演では約1300人を動員した。
「作品はよく〝現実的なファンタジー〟と言われます。ステージには魔法使いやピエロが登場するけれど、物語のテーマはブラック企業だったり会社経営だったり(笑)。私は衣装が大好きなので、かわいい衣装や舞台をつくりたいのですが、本質的にはめちゃくちゃ起業家なんだと思います」
劇団を旗揚げしたことについて山本さんは、「ただ役者になりたい、舞台に立ちたい、目立ちたいという思いでつくったわけではないんです」と語る。
「私が欲しかったのは、〝一緒にひとつのものをつくりあげる仲間〟でした。決して一人でできるものではないんですよね、演劇って。だから仲間と共に働きたい、共に豊かになりたい。そんな思いをずっと抱えていました」
2007年当時、事務職員として勤務していた小学校の教員と結婚した山本さん。それと同時期に、大手旅行会社に勤めていた父親が独立・開業を決意。旅行業界はまったくの未経験だったが、彼女も父親が立ち上げた事業に参画することになる。
「最初は右も左もわかりませんでしたが、営業から手配、清算、添乗まで全部やりました。添乗員として全国300か所以上を巡り、そのなかで本当にたくさんの観光地にある施設を見てきたんです。立派な建物なのに、どうも盛り上がりに欠ける施設、観光地としての魅力が伝わっていない場所。そんなところがあまりにも多くて、『何とかしないと、この先、見るところが減っていくな…』と思っていました」
「よく誤解されるのですが、私にとって演劇は趣味じゃなくて。一番、大好きなのは旅なんです」と語る山本さん(左から2人目)。夫と、仲間と、お客さんと、そして一人でも。時間があれば全国、世界と飛び回っているという
旅行業に携わるという経験を通して、「働くとは?」「稼ぐとは?」を学べたのも大きかったと振り返る山本さん。しかしながら、劇団と旅行業を並行するという多忙な日々が続き、いつしか身も心も疲弊しきっていた。
そんな状況が10年以上続いたころ、山本さんはおろか、世界中のだれもが思いもよらなかった出来事が訪れる。2020年から本格化した新型コロナウィルス感染症の大流行だ。劇団として公演は打てず、旅行もゼロ。すべての動きが止まり、まさに〝何もなくなった〟という状態だった。
「もう、もう、もう本当に!!これまでやってきたのはなんだったのか!!!すべて無駄だったのか!!!!と。なんとも言えないほど落ち込みました。2020年、21年、22年と、ずっと底を這うような状態で…。旅行の仕事はすべて消え、劇団も崩壊してしまいました。
でも、今になって思えば、コロナ禍はすべての問題をただ露呈させただけだったのかもしれません。もともと無理が重なっていて、劇団は崩壊寸前でした。主体的に動ける人材が少なく、方向性の違いを感じるメンバーも多く…。
とてつもない量の負荷を一人で抱えて、私自身がもう耐えきれなくなっていて。劇団内の雰囲気も険悪で、コロナがなくても、もう維持できなかったと思います」
コロナ禍ですべてが止まった…どん底から始まった「エンタビ®」という挑戦
劇団として活動ができないこの時期に、「役者としてスポットライトを浴びたいだけ、ただ目立ちたいだけという人は、まさに蜘蛛の子を散らすように去っていった」という。その一方で、山本さんの〝一緒になにかをつくりたい〟という思いを同じくしていた仲間たちは残ってくれた。
「彼らは、ただ底を這っているだけの私になにを言うでもなく、ただただ待ってくれて、決して見限らなかった。私が舞台を用意しなくても、『山本知史はおもしろいから』と、動き出せるまでそばにいてくれたんです。傷ついていたのは私だけじゃなかったのに、みんなで支え合いながらここまで来ました。本当にありがたくて、感謝しかありません」
そう、ほかでもない、山本さんがのちに「エンタビ®」を立ち上げるきっかけをつくってくれたのが、このそばで支えてくれた仲間のひと言だった。「山本のダブルキャリアはおもしろい」。演劇と旅行というまったく異なる2つの世界を必死に走り続けてきた自身のキャリアが、彼女のなかで一つにつながったのだ。今まで自分がやってきたことを、ただ両方やるんじゃなくて、掛け合わせることはできないかと。
「結果、たどり着いたのが〝演劇×旅行=エンタビ®〟というかたちです。もう、自分にできるのはこれしかないなって。ぐるぐる遠回りしたけれど、やっと自分の場所に戻ってこられた、そんな感覚でした」
こうして生まれた「エンタビ®」は、全国各地にある観光施設、いわゆる〝ハコモノ〟を舞台に、地元の人が演じ手として、その地域ならではの物語を紡ぐドラマアトラクション。展開するのはその土地土地に合わせた、「エンタビ®」によるオリジナルストーリー。さらに観ている観光客も登場人物として参加したり、その行動次第で物語の展開が変わったり。言うなれば施設そのものをイマーシブ(没入型)アトラクションにする、新感覚の観光コンテンツだ。
たとえば2024年に千利休と与謝野晶子の魅力を伝える文化観光施設「さかい利晶の杜」で展開した「和菓子を食べた猫」。この物語では与謝野晶子をモチーフにした恋のおとぎ話が繰り広げられた。「エンタビ®」のメンバーに加え、地元の人も役者として参加。観光客自身も登場人物の一人となり、役者たちと共に館内を巡りながら、物語の中に入り込んでいく。
ちなみに〝ハコモノ〟とは、博物館や記念館、大型施設をはじめ、自治体などが建設・整備した公共性の高い施設のこと。これらの施設は十分に活用されていなかったり、観光地としての魅力が伝えきれていなかったりする現状があるという。
添乗員として各地を巡っていた時にそんな状況を目の当たりしてきた山本さん。そうした場所を、演劇の力で再び〝体験の場〟として息づかせ、訪れる人と地域の人が物語を通してつなげることができたら。そんな思いも「エンタビ®」には込められている。
また、観光施設だけでなく、企業の周年イベントや展示会などで「エンタビ®」を活用したプロモーションのほか、デモンストレーション用の作品制作を請け負うことも。体験型で参加者の印象にも残りやすいため、さまざまな場面での活用が広がっているそうだ。
2024年4月に「プレイング株式会社」として法人化した山本さんだが、もちろん最初から順調だったわけではない。個人事業として始めた当初はまだコロナ禍が続いていたこともあり、手探りしながらのスタートだった。
「2020〜2021年は、ほとんど水面下での活動でした。でも、いくつか表舞台に出る機会をいただいて、現在の「エンタビ®」でやっているようなことを、ごまかしながら続けていたら、それが少しずつ形になっていったんです。
転機となったのは、もともと劇団のお客様だった市議会議員の方からのご紹介。堺市の文化施設『さかい利晶の杜』で実証実験をさせていただいたんです。そこからご縁が広がって、丹青社さんとの『大阪府立大型児童館ビックバン』、乃村工藝社さんとの『兵庫県立兵庫津ミュージアム』など、依頼が増えていきました」
「さらに偶然、事務所の前を通りかかった尼崎信用金庫の方に誘われて『ビジコン大阪』に出場したことが、女性起業家応援プロジェクトの『LED関西』や『グローイングアップビジネスプランコンテスト』にもつながって…。気がつけば、いろんな道が開けていきました。
とは言え、正直、自分から積極的に動いていたわけではないんです。2020年から2024年までは、ただただ、目の前にあることを一つずつクリアしていった感じ。でもその流れが不思議と自然で、『神様がこっちへ行けって言ってるのかも』と思うくらい。『エンタビ®』は、時代に求められていたんだなって、勝手に天啓なんだなって感じています(笑)」
今が一番幸せ。〝仲間とつくりあげていくこと〟こそが「エンタビ®」の原動力
現在の「プレイング株式会社」は、山本さんのひとり社長。劇団幹部のメンバーが3人、そして常時10人ほどの役者・スタッフがボランティアとして関わっている。「みんな必死でついて来てくれていて…本当にありがたい。私には彼らを幸せにする責任がある」と語る彼女は、「エンタビ®」のすべての演出を手掛けるほか、脚本やデザインも担当。スタッフが足りなければ、添乗から役者、そして営業までも担う。
「営業に関しては、代表取締役としてのメインの仕事だと感じています。今、『エンタビ®』にとっての大きな課題は、〝新規案件の獲得〟です。ようやくそこに本格的に乗り出すぞ、という気持ちになってきました。ただ、『エンタビ®』は、まだ多くの人にとって見たことも聞いたこともないコンテンツ。だからこそ、知ってもらうこと自体に、私たちみんなで頭をひねっています」
どうやったら伝わるのか、スタッフの知恵も借りつつ、どう「エンタビ®」の魅力を伝えるか試行錯誤している山本さん。それでも、「2019年までのことに比べたら、今の苦労なんて微塵も感じないのが本音です」と笑う。
「いや、まあ、お金や販路開拓など大変なことはありますが、みんなで頑張れるし、その先に希望がある。だから、そんなに苦労だとはあまり思っていません。楽しいですし、むしろ〝楽しすぎて働いてる感がない〟のが、唯一の悩みかもしれません(笑)。
結局のところ、人を育てるのが一番大変なのかなと。どんな会社でもそうでしょうけど…。自立して、積極的に事業に関わってくれる人材を育てるのには、20年かかりました。でも、私の場合、その苦労はコロナ前の2019年に終わらせています。そこはうちの会社の何よりも強みではないでしょうか」
そう語る山本さんにとって、仕事とは〝他人がやりたくないことを代わりにやって、お金をいただくこと〟という持論がある。
「仕事は〝好きなこと〟〝やりたいこと〟を探せって、よく言うじゃないですか。あれ、私間違っていると思っているんです。自分の〝好き〟や〝やりたい〟は二の次。だからこそ自分の〝得意なこと〟が大事で、それが人の役に立つなら、どんどん振りかざせばいい。
私の場合、それがたまたま演劇でした。スキルとして〝創劇〟ができて、旅にも詳しかった。だからこそ、演劇と旅をかけ合わせた『エンタビ®』のアイデアが生まれたんです。
そして、みんなが『おもしろいね』と言ってくれるアイデアが生まれてしまったら、やらないわけにはいかない。必要とされたらから始めた。それが、私の起業のスタート。さらにせっかくいいアイデアなんだからと、最近ようやく『エンタビ®、営業するかー』となってきたんです(笑)」
今まさに、もっと先への未来へと、まっすぐに前を見て突き進んでいる山本さんだが、現在の仕事のなかでもっとも大切にしていることは何かを聞いてみた。
「自立、成長、参加、共創、世界観の完成、持続可能な観光地の構築ですね。自立と成長は、劇団時代からずっと大切にしてきた基本姿勢です。参加と共創は、私たちだけで完結せず、地元の人や企業、施設の方々も巻き込んでいくということ。完成された世界観は、演出家としての私自身が目指すところです。
そして、持続可能な観光地の構築こそ、日本を永続的に豊かにし続けるものと考えています。最終的には〝ニッポン丸ごとテーマパーク〟にするのが夢ですね!」
「プレイング株式会社」の直近の目標として、「エンタビ®」の全国30か所同時開催を掲げているとか。各地域の観光資源や物語を、地元の人たちと共に「エンタビ®」化していくことで、日本全国を舞台にした没入型観光体験をつくっていく。こんな壮大な夢もきっと、彼女ならかなえられるに違いない。
「決して一人では成しえない商売ですからね。みんなと一緒にご飯を食べたり、旅に出たりがなによりの幸せ。今が人生で一番幸せだと思います。そしてきっと、これからもそう思い続けられる気がしています」
「仲間と共にあること、お客様と一緒にいられること」が、ライフシフトをして手に入れた最大の幸せだと語る山本さん。彼女がつくりあげた「エンタビ®」は、まさにその〝共にある〟という価値そのものなのかもしれない。
かつて自身の大切にしてきたものすべてを失いかけ、悩み苦しんだ経験もある。一時は底を這っていたが、仲間の支えでここまで来れた。絶望も希望も経験した山本さんだからこそ、あえて聞いてみた。今、ライフシフトに向けて最後の一歩を踏み出せない、そんな人が今すべきことはなんだろう。
「『踏み出せない』と感じるのなら、無理に踏み出す必要はないかもしれません。焦らず、踏み出せるタイミングが来るまでじっくり考えればいいんです。そのときが来れば、人って踏み出さざるをえなくなりますから。
ビジネスって『やりたいからやる』ものじゃないと思っています。周囲から『それ、いいね!』と言われるようなアイデアができてしまった時、もうそれは〝はじまっちゃう〟のかなと。
だから、どこかにはあなたの〝得意〟を求めている人がいるはず。その時まで、〝得意〟を磨きに磨いておけばいいのではないでしょうか。いつかきっと、その力を使わずにはいられなくなる瞬間が訪れますよ!」
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