大学生になって初めて、自分のPCを持つという人も多いのではないでしょうか? 初めてのマイPCにMacを選んだ理由や、どのように活用しているのかを、現役大学生に取材しました。
女子ラクロス部AS班はMacBookをこう使っている
訪れたのは、立教大学体育会女子ラクロス部「ULTIMATES」。全国大会常連の強豪チームですが、ここにはAS(アナライジングスタッフ)班と呼ばれる、データ分析でチームを支えるメンバーがいます。3年生で副主将を務める神子知菜さんもその1人。
サテライトチームにプレイヤーとして参加しつつ、AS班としてチームの試合を数値化、データ化して分析し、戦術の構築やプレーの改善に貢献しています。この分析に活用されているのが、神子さんのMacBook Air。大学生になるにあたって、お父さんが購入を勧めてくれたものだそうです。
「ずっとiPhoneを使っていたので、なんとなくMacがいいなと思っていたんですが、父が勧めてくれたので……」と神子さん。専攻する心理学のレポートや統計分析など、大学の授業ではもちろん、副主将として部内のマネジメント全般を取りまとめる立場から、AS班としてのデータ分析のほかにも、部関連の申請書類の作成などにフル活用していると言います。
神子さんによれば、現在17名いるAS班のメンバーのうち、半数ほどがMacを使っているとのこと。たとえば、部のマネージャーも務める経済学部2年生の梅田花歩さんは、高校からMacBook Airを使っています。「高校3年生のときに卒論を書くのに必要で買ってもらいました。Macにしたのはデザインが好きだったのと、やはりiPhoneを使っていたというのが大きな理由です。大学ではリモート授業やレポートのほか、プレゼンテーション用のスライドを作ったり……。とにかく毎日持ち歩いています」と話してくれました。
2人ともMacBook Airを使い始めてから、それまでiPhoneでやっていた動画視聴やウェブサイトのチェックなども、「画面が大きくてバッテリー持ちが良い、Macでやることが増えた」そう。iCloudを通じてiPhoneと様々な情報を簡単に共有できるところや、練習グラウンドに持ち込むこともあるため、「頑丈なところも、気に入っています」と話していました。
なぜ負けたかを可視化するために独自の分析手法を導入
立教大学体育会女子ラクロス部では以前から、「SPLYZA Teams」というサービスを使用して試合の記録や分析をしていましたが、2023年の第14回ラクロス全日本大学選手権大会をきっかけに、Microsoft Excelを用いた独自の分析手法を取り入れています。この大会で決勝まで進んだ立教大学は、決勝戦の3Qまでリードしていましたが、4Qに日本体育大学に逆転を許し、悔しい準優勝となりました。
「なぜ負けたのか?」という疑問から、試合の流れを細かく数値化して記録する、独自の分析手法が生まれたといいます。コーチが作ったベースをもとに、チームで話し合いながらブラッシュアップし、現在の形になったと神子さんが説明してくれました。
試合ではAS班はフィールドの外からチームをサポート。2人1組となって、1人が試合や選手の細かな状況を伝え、もう1人がそのデータをExcelのシートに入力して数値化していきます。たとえば、同じファールでも通常のファールなのかアンラッキーなファールなのかで、入力される数値が変わってくるのだそうです。
取材当日の練習でも、実戦形式のプレーを見ながら、神子さんが伝える内容をもとに、梅田さんが自分のMacBook Airにデータを入力していました。同時に別のメンバーがiPhoneで動画を記録。その動画をAirDropで梅田さんのMacBook Airに取り込み、SPLYZA TeamsやSNSで共有するという流れです。
動画はiPhoneで撮ることが多いので、AirDropで簡単に取り込めるところも「Macを使っていて便利に感じるところ」だと2人。「やっぱり、エアドロが使えるのは大きいです」と、口を揃えていました。
記録されたデータはグラフ化され、チームの誰もが見やすいように、クローズドなSNSで共有しているとのこと。後日のミーティングでは動画を見ながらデータを使用して、個々の動きや戦術を確認していくそうです。
この独自のデータ分析手法を取り入れてから、「なぜ負けたのかわからない負けが減った」と神子さん。もし同点だったとしても、データを見れば優勢だったのが劣勢だったのか、要因は何かが可視化されると話します。
もともとデータ分析に興味があったこともあり、「AS班としての活動が、とにかく楽しい」という梅田さん。自分のものを持つまでは、PCの必要性をあまり感じておらず、iPhoneがあれば良いと思っていたそうですが、今では「授業だけでなく部活動でもMacが欠かせません」と話していました。


















