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CEDEC 2015:第1回人狼知能大会レポート

嘘を見抜ける人工知能が衝撃的すぎる

2015年08月29日 12時00分更新

文● 盛田 諒(Ryo Morita)

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人工知能が「仮説」を立てる日は来るのか

 たとえば、もし人狼が実在する出来事だとしたら、自分が生き残るために友だちを裏切ろうと考えるか。一晩経ったとき「まだ生きていられた」と感じたときの安堵感や緊張感が面白味である人狼を、はたして人工知能は理解できるのか。

 また人狼においては議論をリード(あるいはミスリード)することで、一定の結論に導こうとするリーダー役の人間がいる。人工知能は議論の場をうまくリードし、相手を自分の思いどおりに動かす立場になれるのだろうか。

 そして娯楽芸術につきものの「あのときの言葉が伏線となり、最後の行動につながっている」「ふとした行動だったが、いま振りかえってみればすべてはあのとき始まっていたのだ」といった演出も、人工知能が作るのは難しい。

 そして人工知能がもっとも苦手としているのは、問題設定だ。

 ある人物がこんなことを言ったのはなぜなのか。推理の裏には「実はこうだったからなのではないか」という仮説がある。人工知能はパラメーターをつくって状況判断をくだすことはできても、自分で解くべき問題をつくることはできない。

 つまるところ人間と人工知能の間には好奇心の壁がある。もし人工知能が「これはなぜだろう」と考え、答えを見つけようとするプロセスをつくれたとしたら、そのときこそ人間は「最後の審判」に立たされるのかもしれない。

 “人狼知能”の最終目標は、TLPTの舞台に人工知能を出演させることだ。

 おもしろいことに、実際に人工知能と人間が人狼をすると「共闘する」と感じる瞬間があるそうだ。「自分もそう思っていたのだ」と、まるで心が通じあったように感じるという。もし、舞台でそれを人工知能が理解してくれたら。

 人間と人工知能が“心”を通わせ、人々を笑顔にすることはできるのか。究極の疑心暗鬼ともいえる「人狼ゲーム」の先には、シンギュラリティという言葉では語りつくせない、本当の未来が待っているような気がする。


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