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渡辺由美子の「誰がためにアニメは生まれる」 第10回

その1:「人類の敵らしいもの」との対話

機動戦士ガンダム00と、2つの「対話」 【前編】

2010年12月04日 12時00分更新

文● 渡辺由美子(@watanabe_yumiko

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通じない愛も「敵」になりかねない

水島 エルスは、自分たちが情報の伝達に使っている「脳量子波」というものを、同じように使う者に対して、接触して情報を与えることで相互理解をしようとしている。情報を与えるのが好意の証なんですよ。

 でも、その情報量が多すぎて、相手がオーバーキャパ(容量を超す)で死んでしまう。この時点でのエルスには人間の活動停止を「死」と考えられないから、罪の意識はないんです。

 実は、エルスは人類に「愛」で接していた。でも、コミュニケーションの方法を1つしか知らなかったから、人類側に被害が及んだ。被害を被った人類は、エルスの意図が分からず、パニックになる。議会は紛糾し、市民も動揺する。そして「相手の目的が分からない」という不安が、エルスを攻撃対象にさせていく。

―― 相互に誤解しているわけですね。

水島 主人公の刹那は、そこでエルスとの「対話」を試みます。それは刹那が人生の中で、人と人が戦って命を奪い合うことの虚しさに直面してきたからです。戦いをやめさせたいという願いを、ガンダムを使って武力介入という形で果たして来た、矛盾を認めつつ、国家間の戦争の抑止力として戦ってきた。

 必要悪だと言っても良いと思います。

 劇場版では、そんな彼が、エルスのようにコミュニケーションが困難な相手とでも、対話できないかと試みたんですね。

 「ダブルオークアンタ」という機体は、「トランザムバースト」という高濃度のGN粒子を大量散布させる能力があり、その影響下にある人々や生命体同士の意識を刹那の「イノベイター」としての能力で、脳量子波によって共有させることができる。でも、意識を繋げられたからといって、必ずし戦闘が止まるとは限らない。だからクアンタは、武器も実装しているんです。

 実際に、刹那は一度、エルスを攻撃しているんですね。やむを得ずですが、あれは刹那の迷いでもあるんです。武装があるということは、100%戦わないわけではない。

―― 戦いをやめさせるための対話を図りたいのに、武器を持っているわけですね。

水島 はい。それは矛盾なんですよ。平和主義者である(劇中の)大統領が「他者を傷つけても生き残る」と言うのも、矛盾のひとつですね。

 大統領は、もともと融和政策を進めている、他者との対話を成立させて平和に物事を運びたい代表だったわけです。でも、エルスが来襲して人類の危機に陥ったときには、世界の代表として、理想よりも国家元首として国民を守るために現実に向き合わざるを得ない。

 平和主義者でありつつ、自分たちに危機が及ぶのならば、他者を傷つけても生き残ることを選択する。大統領の抱える矛盾は、僕の本音でもありました。異なる立場の者との対話を成立させなきゃいけないという理想は持っているけれども、実際に自分が危うくなってしまったら、たぶん武器を持つだろうな、と。人間である限り、誰でもそうだと思うから。

 相手に対して武器を用いるかどうかも含めて、すべて対話、コミュニケーションの形だと思うんですね。

―― 武器を持つことを決めるのも「対話」だと?

水島 はい。僕は「対話」って、相手と対峙した上で、自分たちが何を導き出すかを決めるということなんだと思っているので。自分の命を守りたいという根源的な欲求がある。だから武器は持つぞと。だけど一方、「人間は知性があって対話をしようと思える」ことを、同じくらいのウエイトで描きたかった。

 もし、双方に知性があって、相互理解ということができれば、互いを滅ぼさずに、分かり合うことは可能なはずだなと。刹那は人類の代表として母星まで対話をしに行き、エルスと完全に融合することで対話を成立させました。

 ただ、エルスの影響を受けた人々の中にも、個々自分の身体の中で共生を果たした人もいます。スメラギ号の艦長は作中でエルスに襲われた女の子ですから。

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