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対談・PlanetWay平尾憲映CEO×ジャパン・リンク松本徹三社長 第2回

40代、人生のどん底で学んだこと

2017年09月12日 17時00分更新

文● 盛田諒 ●編集 村野晃一

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 プラネットウェイはグローバルIoT事業を中心に利用できる個人情報プラットフォームを開発している米国、日本、エストニアに拠点を置くグローバルスタートアップだ。電子政府国家エストニアで15年間使われてきた行政インフラを世界で初めて民間転用した企業として、IoT業界や保険業界を中心に注目を集めている。

 同社代表 平尾憲映CEOのビジョンは大きく「世界を変えること」。平尾代表のもとには、壮大なビジョンに魅せられた有力者たちが次々に集まっている。元ソフトバンク副社長で、プラネットウェイの顧問役に就任している松本徹三氏もその1人だ。

 前回「平尾さんの熱意と誠意にほだされたばっかりに、ひどい目にあった」と語った松本氏。しかし、そんな松本氏自身も、今から30年前には自らベンチャーを立ち上げて、そんなものとは比較にならぬほどの壮絶な地獄を見たという。

Speaker:
プラネットウェイ 代表取締役CEO
平尾憲映

1983年生まれ。エンタメ、半導体、IoT分野で3度の起業と1度の会社清算を経験する。学生時代、米国にて宇宙工学、有機化学、マーケティングと多岐にわたる領域を学び、学生ベンチャーとしてハリウッド映画および家庭用ゲーム機向けコンテンツ制作会社の創業に従事。在学時に共同執筆したマーケィングペーパーを国際学会で発表。会社員時代には情報通信、ハードウェアなどの業界で数々の事業開発やデータ解析事業などに従事。

プラネットウェイ アドバイザリーボードメンバー
松本徹三

1940年生まれ。京都大学法学部を卒業後、伊藤忠商事 大阪本社に入社。アメリカ会社エレクトロニクス部長、東京本社の通信事業部長、マルチメディア事業部長、宇宙情報部門長代行などを歴任後、1996年に伊藤忠を退社して独立。コンサルタント業のジャパン・リンクを設立後、米クアルコム社の要請を受けてクアルコムジャパンを1998年に設立し、社長に就任。2005年には、同社会長 兼 米国本社Senior Vice Presidentに就任し、発展途上国向け新サービスの開拓などに取り組む。2006年9月にクアルコムを退社し、同年10月にソフトバンクモバイルの取締役副社長に就任、主として技術戦略、国際戦略などを担当。2011年6月からは取締役特別顧問になり、1年後に退社する。2013年11月に、休眠していたジャパン・リンクを復活させて、現在はソフトバンクを含む国内外の通信関連企業数社とのアドバイザリー契約がある。2013年から2年間、明治大学専門職大学院グローバル・ビジネス研究科の特別招聘教授も務めた。最近の著書に『AIが神になる日』(SBクリエイティブ、2017年7月)がある。

「面白そうなやつ」から「信用できないやつ」への転落

平尾 松本さんの人生でいちばんつらかった経験って、どんなものがありますか?

松本 文字通り地獄を見たことがありますよ。1985年くらいかな。伊藤忠にいたとき、ベンチャービジネスに突っ込んで、ボロ負けして、それまでに営々として積み上げてき信用を一挙に全て失いました。今でこそ当たり前になったけど、その頃はベンチャーというものが始まったばかりで、日本ではまったく理解されていませんでした。

 総合商社って外からは大きい会社のように見えるけど、中小企業の集まりのようなところがあります。そのそれぞれが、市場と技術の変化に合わせ、どんどん新しいビジネスを見つけていかないといけない。しかし、商社には技術がありません。メーカーは途上国向けには商社を使ってくれていましたが、市場がアメリカとなると、全部自分でやってしまいます。ですから、アメリカでベンチャービジネスというものがあると知った時には、ぼくは「コレだ! これしかない」と思ったんです。

 当時のぼくの守備範囲は通信機でした。日本ではやっと電電公社が民営化されたところだったけど、米国ではオフィス用の電話システムなどが自由に売れたので、アメリカに駐在していたぼくは、松下通信工業(現在のパナソニック)の先進的なシステムを担いで、一旗あげたところでした。しかし、仕事が大きくなると、メーカーは当然自社だけでやろうとするし、その一方で、アメリカには、コンピューターの能力をもっと駆使した、より先進的なシステムを求める流れもあったので、ベンチャーを立ち上げるには絶好の分野だとぼくには思えたのです。

 ですから、この分野で次々に出てきたベンチャー企業に投資もしたし、それだけではあきたらず、伊藤忠が資金を出してくれそうなのをいいことに、世界最新鋭のシステムを自分で設計して、日本のメーカーに作ってもらって、自分で売ろうという野心を持ったのです。

 ところが、蓋を開けてみると、どれもこれもが大失敗です。ぼくだけでなく、同じようなことを考えていた連中は、すべて手痛くやられました。

 考えてみると、その理由は簡単明瞭でした。コンピューターというものの本質を理解しないままに、それまでの電話システムや家電製品を作る感覚で、決め打ちで作った(従って簡単には改変できない)ソフトを組み込んだ製品を、愚かにも作ってしまったということです。通信機や家電とコンピューターとの融合ということは、みんなが言っていたことですが、もともとの基本的な技術思想が違っていたので、そんなに簡単なことではなかったのです。

 それから、アメリカの会社でも、電話システムを売り込む相手の総務部は、コンピューター製品を売り込む相手の情報システム部とは大違いで、新しいものにはなかなか飛びついてくれないということ。これも、みんなが見落としていたことでした。

 製造を依頼したのはシャープさんでしたが、担当は家電をやってきた人たちでしたから、安く作ってはくれたものの、はじめから大量の引き取りを求めてきます。一方、期待していた販売チャンネルはというと、最初から細かい改良要求がどんどん出てきて、直してくれたら考えましょうというところばかり、瞬く間に在庫の山となり、途方にくれる事態となりました。

 失敗の原因はすぐにわかりましたが、あとの祭りで、「そんなことも考えずに猪突猛進したのか」と、自分を責めるばかりです。とても良い雰囲気だった社内の空気も、みんなが「会社が危ない」と感じ始めると一挙に険悪になり、「あんたはいいよな。日本に帰れるから」と言われて、社長のぼくは針のムシロです。この頃のことは今でも夢に見ますよ。

 しかし、それはまだ序の口。目の前が真っ暗になったのは、後輩の日本の課長から、「もうこれ以上金は出せませんが、伊藤忠の名前があるので、売ってしまったものについてはアフターサービスをせねばなりません。机一つと電話一本、それに少しだけ予算をつけますから、松本さん一人でこれを引き受けてくれますか」と言われた時です。全部を捨てて一から出直すぐらいのことなら、すでに覚悟はできていましたが、これでは牢屋に入れられるようなものです。しかし、会社の信用を傷つけるような無責任なことはできないので、逃げ出すわけにもいきません。

 幸いなことに、必死にあがいたおかげで、在庫と従業員を引き取ってくれるアメリカの会社が西海岸で見つかり、やっとのことで虎口を脱することができました。心身ともにボロボロになって日本に帰ってきましたが、「変なことを言っているが面白そうなやつ」という評価から「変なやつであまり信用できない」という評価に変わってしまっていたので、これを挽回するには相当の時間を要しました。

平尾 うわあ、そんなに大変な目にあわれたことがあったんですね。今は余裕しゃくしゃくのように見えますけど。

松本 いやいや、本当に地獄でしたよ。正直言って、平尾さんにはあんな思いはさせたくありません。だから「絶対にそんなことにはならないぞ」という気持ちを強く持って、調子に乗らず、一つ一つ丁寧に、注意深く仕事を進めて欲しいのです。

 当時に比べると、今は世の中はずいぶん良くなっています。少しは失敗を許すようにもなってきているしね。リスクを恐れるようではろくな仕事はできないから、現在の風潮を追い風にして、どんどんチャッレンジして欲しい。でも、「致命的な失敗をしたら、そこですべては終わる」という覚悟はしておいた方がいいですよ。

平尾 こういう話を聞けただけでも、松本さんにアドバイザーになってもらってよかったです。

松本 では、最後にもう一つアドバイス。少し調子が出てくると、みんながちやほやするから気をつけてね。「平尾さん、さすがですね」とか何とか言われたら、ついつい気分が良くなるけど、そういう時は、自分で自分の太もものあたりを強くつねってください。痛いので少し顔がゆがむでしょう? そうすると丁度良いバランスになります。調子がいい時にちやほやしてくれる人は、苦しくなるとスーッといなくなりますよ。最後の最後まで気を抜かないこと。一瞬先は闇ですからね。

平尾 よくわかりますし、肝に銘じます。実は、プラネットウェイも1年前は地獄のようでした。

つづく

(提供:プラネットウェイ)

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