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古田雄介の“顔の見えるインターネット” 第89回

ネットは「使う側」に立つのが面白い――IT戦士のスタンス

2011年03月08日 12時00分更新

文● 古田雄介(@yskfuruta

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とくにやりたいこともなかった。けど、ネットが好きだった


―― まずは岡田さんのバックグランドから聞かせてください。現在までの活動はアイティメディアに入ってからだと思いますが、それまではどんなことに興味を持っていたんですか?

岡田 小学生の頃までさかのぼると、アニメやゲームですかね。小さい頃に家庭でマンガとゲームが禁止されていて、あるとき解禁されたのをきっかけに突き進んでしまいました。「ふしぎの海のナディア」や「らんま1/2」を見て声優さんのファンになったり、「ドラゴンクエストIV」の絵を描きまくったり(笑)。

 ネットに親しむ下地みたいなものも、割と早くから整っていたと思います。叔父が詳しかったこともあり、小学生の頃から家にパソコンがあったんです。最初はゲームだけでしたが、高校では英語塾の先生から「パソコン通信の楽しみ方」的な本を借りて読んだり。Yahoo! JAPANが出てきたのも高校時代でしたね。パソコン通信からインターネットの時代になった頃、叔父が家に来てつないでくれたんだと思います。


―― では、かなり黎明期の頃からインターネットにハマっていたんですね。

岡田 高校までは漠然と「ネットって便利だな」と感じていて、友人が家に来るたびに「Yahoo! JAPAN」を見せたりしてました。大学入試も別にIT系の学科を選ぶわけでもなく、なんとなく「不況だし、いい大学入りたいな」くらいの気持ちでしたし、将来こういう仕事をするとは思ってもみませんでした。

 私一浪しているんですが、当時、予備校講師の評価を共有するサイトがあったんです。そこを穴の空くほど見て、講師を選んだりしていました。大学の頃には掲示板サービスを使ってクラスの掲示板を作ったり。人見知りなんですが、文章だと話しかけやすかったんですよね。毎日大学のメディアセンターに通って掲示板に書き込んだり、友人とメールでやりとりしてました。

 あと、大学3年の頃にアメリカに語学留学したんですが、そのときにネットで日本のYahoo!が見られたことに衝撃を受けたり。海外にいるのに心は日本にいるみたいな、意味分からないけど、確かに日本のYahoo!が表示されているんですよ。そういう経験の積み重ねが大きいですね。

IT戦士・岡田有花さん。10代の頃は甲子園球場から徒歩10分の家でアニメやゲームに浸る生活をしていたが、高校時代から「もしかして私って痛いんじゃ?」と考えるようになり、大学の頃にはリア充を目指すようになったという


―― そこからアイティメディアに入るきっかけとなったのは何だったのですか?

岡田 うーん。本当に就活するまで、何がやりたいというのは自分のなかでも固まってなかったんですよ。正直、とくにやりたいこともなかったといいますか。それでも就職氷河期と言われた時代ですし、何とかしたいと思って、就活中に自己分析的なことをノートにまとめていたんです。そこでようやく出てきたのが「ネットが好き」「ネットで情報発信できたらいいな」という気持ちでした。それでリクナビで検索してヒットしたのが、ソフトバンク・メディア・アンド・マーケティングだったんです。「出版」というカテゴリながらそれほど倍率が高くなったので、「ここなら潜り込めるかも」と(笑)。


―― 第一のキーワードとして、インターネットがあったわけですね。

岡田 そうですね。当時は意識していませんでしたが、いま思えばネットの口コミ的な面白さに惹かれていたんだと思います。

 昔ぴあが「ランキングルメ」という雑誌を出していて、それがすごく好きだったんですよ。読者からの投票でレストランの人気ランキングを作って紹介するという、まさに口コミが主軸にある雑誌でした。みんなが本音で語る口コミは、雑誌が商業的に出す情報よりも面白いと当時から思っていたんです。ネットはそいういう面白さが生まれやすい。その流れでネットがずっと好きだったというのが根底にありますね。

引っ越しの準備中にみつけたという、就活時代の自己分析ノート。面接での失敗などをもとに自分を見つめ直した結果が今につながっている

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