1990年代――危機感から始まった「はやぶさ」の当初計画
数々のトラブルを乗り越え、地球へ帰還しようとしている「はやぶさ」のプロジェクト開始は1990年代半ばだが、さらにその10年近く前から、プロジェクトへ向けた活動が始まっていた。
MUSES-Cプロジェクトの前段階にあたる「小惑星サンプルリターン小研究会」は、1985年に鶴田浩一郎教授(元宇宙科学研究所所長、JAXA理事)の主催で始まった。
1990年当時の同研究会メンバーは水谷仁氏(現科学雑誌ニュートン編集長)、藤原顕氏(「はやぶさ」前プロジェクトサイエンティスト)、上杉邦憲氏(「はやぶさ」元プロジェクトエグゼクティブ)、川口淳一郎氏(現「はやぶさ」プロジェクトマネージャ)と主要メンバーが顔を揃えていた。当時大学院生であった吉川真氏も参加していたという。
しかし、日本が取り組むプロジェクトがなかなか開始できない。小規模でも野心的な計画が次々とNASAに取られてしまう、そんな危機感があったという。
彗星からのサンプルリターンで先を越された
藤原 僕自身は小惑星の研究をずっとやっていまして、その頃、彗星へフライバイサンプルリターン――着陸しないで通過時に彗星から塵、ダストを捕まえる――という計画が、日米共同であったんですよ。
速いスピードで通り過ぎるときに塵を捕まえるというのは、非常に難しいんですよね。エアロジェルという密度の非常に低い特殊な物質で捕まえるんです。シリコン、シリカと酸素の結合体なんですけど、分子レベルでスカスカなんですよ。そういうものを使って捕まえる。
もしも金属メッシュみたいなものを置いておいて捕まえようとすると、相手は秒速8kmという速過ぎるスピードで近づいてくるので、当たった途端にクレーターが空いてしまう。壊れて蒸発してしまうんです。特に彗星のダストは蒸発しやすい、揮発性が高いものですから。
京都大学にいるころは、素材テストとして弾丸を特殊な銃で撃ち出して、秒速4kmといった超高速で発泡スチロールみたいなものへぶつけるんです。そうすると、せいぜい7ミリくらいのものでも、2mくらいズブズブーっと入っていってしまう。そういったモデル実験をやったりして、将来の実際の探査に向けた開発を行なっていました。
当時、対象となる彗星への相対速度は秒速8~10kmくらいだったかな……。それ以上低速にできないということで、日本国内では研究が沈下してしまったんです。後にアメリカ、NASAでは、対象天体を変更して軌道計算をやり直し、相対速度6km/秒で計画をやり遂げてしまった。それが彗星探査機「スターダスト」です。結局アメリカがやっちゃったんですよね。
「サンプルリターンをやりましょう。これしかない」
藤原 1992年ごろ僕は宇宙研に行って、すぐ次の年に川口さんと上杉さんと一緒にアメリカに出張したのを覚えていますね。これがディスカバリー計画始動のときでした。ディスカバリー計画というのは、惑星探査のような大きなミッションばかりでなく、もっと小ぶりで、時間も短く、使えるものは、オフザシェルフというか既成のものを使ってコストを抑え、スピーディにやってしまおうと、いう計画なんですね。
そのミッションをアメリカ全体から公募で募り、公衆の面前で発表させて評価する。その会議に参加して、全体で30以上あったかな、さすがアメリカだと思いましたけど、たくさんの計画が出てくるんですよ。そしてその第一号が小惑星「エロス」を着陸せずフライバイ探査する「ニア・シューメイカー」ミッションでした。
そのとき、これは我々が計画してた小惑星フライバイ探査と一緒だと。中堅を中心にして検討されていたミッションはアメリカに持って行かれてしまったわけですね。
小惑星探査も、スターダストも持って行かれてしまった。それならもう、僕と、水谷仁さん(現ニュートン編集長)、上杉さん、川口さんと集まって、「小惑星探査、サンプルリターンをやりましょう。これしかないですね!」と。
議論はいろいろあったと思いますが、僕のようにサイエンスの人間もいたことだし、始めましょうということになりました。これが1993年くらい。1995年に予算の概算要求が通って、ここから計画スタートですね。
吉川 僕は大学院生のころから、宇宙研に出入りして、そういった研究会にも顔を出していたんです。
藤原 でもまあ今から思うと、当時としてはよくゴーをかけたと思いますね。サイエンスミッションとしては通らないだろうというので、工学ミッションとして、いくつかの将来に繋がる工学開発目標、確認目標というか基本技術をテストするためのミッションという位置づけでスタートしました。今ならとてもそんなひとつのミッションに、あれもこれも押し込んで欲張った計画、通してくれないかもしれない。
川口 その技術実証も「イオンエンジンがダメなら次の項目を試そう」みたいなわけにはいかなくて、まず向こうの小惑星についてからもう一回帰ってこなくちゃならないというシナリオになっている。
従って、カプセルの再突入というのは、最後に来ちゃうんですよね。こうなると大変点数が付けにくいんですよ。「5つの目標のうち3つできると60点」みたいな話だといいんですけど、ひとつが終わらないと次はできないというわけですからね。自律的な航法といっても、小惑星に到着しない限りそういうわけにいかないんです。
技術実証の仕方としては、悪く言うとあんまり賢い方法じゃないんですよ。
実証としては、並列に、イオンエンジンがうまくいかなくてもカプセルのリエントリーだけはできるとかですね、そういう風に作るべきという人も多分います。純粋に技術だけを開発して実証するなら、それがいいのでしょうね。
ただ面白くないですよね。
やはり打ち上げ前に一番こだわったのは、実際に「小惑星に行く」ですからね。技術実証そのものだけだったら、実際に小惑星には行かなくていいわけですけど、それを行かなくてはいけないという筋書きに、わざわざ意図的に変えてやってるわけです。
だから紙一重なんですよ。これでミッション失敗すると、小惑星にも到着できなかった、という評価になってしまうので、おそらく大変苦しい目に遭うことになる。
それでも、こういうことができる機会も少ないですからね。だからやらなくてはいけないと。そう思って、小惑星に行かせたわけです。
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