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“JAXAの真田ぁ~ず”に総力インタビュー! ― 第4回

祝帰還!「はやぶさ」7年50億kmのミッション完全解説【その4】

「はやぶさ」の危機に、真田ぁ~ず「こんなこともあろうかとッ!!」

2010年06月15日 12時00分更新

文● 秋山文野 撮影●小林伸ほか イラスト●shigezoh 協力●JAXA/ジャンプトゥスペース

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2005年9月19日の第一回タッチダウンでイトカワ表面に着陸した「はやぶさ」の想像図(クレジット:池下章裕)

■前回までのあらすじ

 小惑星「イトカワ」到達。打ち上げから2年強、プロジェクトマネージャ 川口氏が「一番嬉しかった」と振り返る「はやぶさ」ミッションのポイントでもあった。このとき行なわれた観測をもとに執筆された論文は、科学雑誌「Science」に特集として掲載されている。そして、いよいよイトカワへのタッチダウンフェーズが開始された。


第一回タッチダウン「はやぶさはどこだ!?」――2005年11月20日

 2005年11月19日、21時から開始されたイトカワへの降下では、地上の運用室で「はやぶさ」の動作がわからなくなる緊急事態が起きた。後に得られた記録では、「はやぶさ」は障害物を検知して試料採取シーケンスを停止し、20日7時ごろ、地上からの指示で離脱を開始するまでイトカワ表面にバウンドして2回到達したことがわかっている。

 しかし当時リアルタイムで得られたデータは速度計のみ。延々と降下を続ける(ように見える)「はやぶさ」の動作に対し、「まさかイトカワ表面が柔らか過ぎて、ずぶずぶと潜り込んでいるのでは!?」「イトカワ表面を回り込んで探査機が失われてしまうのでは」といった懸念で運用室は緊迫した空気に包まれたという。最終的に、試料採取はならなかったものの、「はやぶさ」は小惑星から離陸した初の宇宙機となった。


プロジェクトサイエンティスト 吉川真准教授

吉川 非常に重要なときだったので、アメリカのアンテナも借りて、アメリカの担当者もこちらにいて24時間監視していました。

 ただ、リアルタイムで監視できるのは速度だけなので、最初のうちは予定の振る舞いをしていたのに、いつまでたっても上昇しないものだから、何が起こったのかまったく、まったくわかりませんでした。まさか着陸しているとは誰も思っていなかった。

 さすがにイトカワに潜ってしまった、というのは冗談でしたけど、あり得たのはイトカワにぶつからず通り過ぎてしまう、ということですよね。「イトカワ星人が引っ張ってたんじゃないか」という冗談まで出ました。

 後になってデータを降ろしてやっとわかったのは、実は着陸していた。接近し続けているように見えたのは、イトカワも自転していますから、その速度が見えていたんだと。

 何が起きているかわからない状態ではありましたけど、ひとつ確信を持って言えたのは、「電波は出続けている。探査機は生きている」ということです。その点は安心していました。


「判断ミスしたら、僕が最後のスーパーバイザーになってしまう」

矢野 7年間、スーパーバイザーを担当して一番強烈に印象に残っていて、厳しかったのはこのとき。何が起きているのかわからなかった。わからないけど判断はしなくてはいけなくて、しかもその判断が間違っていたら、僕が「はやぶさ」の最後のスーパーバイザーになってしまうのが明々白々だった。

 まるで探査機が地下に潜っていくように見える状況で、でもそんなことあるわけない。じゃあこれは一体なんなんだ、そして次の一手はどうするんだ、早くしないと通信できなくなってしまうという状況で、川口先生から「ちょっとひとりで考えてみて」と言われたんです。

 絶対時間としてはそんなに長くなかったと思います。10~15分くらいだったかもしれませんが、僕にとってはとても長い時間に感じられました。僕は理学の人間ですから、ネジ一本まで探査機を知り尽くしているわけではない。だけど、トレーニングの甲斐もあって、宇宙機を扱うすべてのシステムについて大枠は知っていて、自分はどこまでがわからなくて、わからないことは誰に聞けばいいのかはわかっている。

サンプラーホーン開発担当 矢野創准教授

 そして状況はわからないけど、「はやぶさ」に何が起きていると考えられるだろう、そのケースに沿って「はやぶさ」を救うとしたら何をすればいい、と僕なりに考えて出した答えは、川口先生と同意見でした。

 最終決断をするのは川口先生と、探査機を熟知しているNECのシステム担当の方。どちらも考えはまとまっていて、川口先生は僕の答えを聞いて、「そうだよね。じゃあ、やろうか」と。最大能力で緊急離脱。持てる力で、とにかく地球側にジャンプさせようと。

 その次は、大急ぎで探査機の捕捉です。なにしろ全速力で小惑星から遠ざかっているわけですから、一生懸命止めないと一週間後のタッチダウンに間に合わなくなってしまう。やっと止めたときは100kmくらい離れてました。それでもとにかく探査機は生きていたし、地球との通信も回復した。健康状態もそんなに悪いわけじゃないことがわかった。

 あのときはなんと表現すればいいのか……スポーツの試合中、決定的な場面で『次はどう動くべきか』と考える瞬間が延々続いているような状態でした。終わった後、振り返ってみてやっと『これは絶対、一生忘れない日だな』と思いました。次につなげられてよかった。


近赤外分光器開発担当 安部正真准教授

安部 スーパーバイザー担当ではありませんが、タッチダウンのときには運用室にいました。航法誘導や姿勢系のチームがスラスタを吹くタイミングを決定するんです。降りていくと小惑星の重力に引っ張られるのですが、それがあまり速いスピードだとぶつかってしまうので、ほどよく逆噴射、上昇するためにスラスタを吹いて降下速度を下げる。

 私は噴射量を聞いて、タイミングを合わせてミネルバをリリースするとか、そうした分担のなかに入っていました。「次、吹かないと降下が速すぎる」「あまり吹かすと上がっちゃう」とか、ワンコマンドごとの指示を出すために必要な情報を揃えて「今こういうことが予想されます」とやりとりして。非常に緊張感を持って関わったことが思い出されます。

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