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池田信夫の「サイバーリバタリアン」 第91回

キャリア官僚が起業を決意するとき

2009年11月04日 16時00分更新

文● 池田信夫/経済学者

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エリートほど起業しにくい日本の労働市場

 こういう状況で、ITベンチャーの起業を決意したキャリア官僚がいた。湯崎英彦氏。東大法学部を卒業して1990年に通産省に入り、スタンフォード大学でMBA(経営学修士)を取得したエリートだ。こういう留学組によくあるように、アメリカの自由な雰囲気になじむと、日本の息苦しい役所が嫌になって、転職か起業を考えるようになる。彼がDSL(デジタル加入者線)のベンチャー「アッカ・ネットワークス」を設立する経緯が、先月出版された『巨大通信ベンチャーの軌跡』(日経BP社)に書かれている。

 湯崎氏がもっとも悩むのは、起業がハイリスクであるのに対して、公務員が絶対安全で高収入だということだ。キャリア官僚の生涯収入は、年金・退職金や天下り先の給与を入れると最大8億円。さらに官舎や医療費などの付加給付を入れると10億円近いといわれる。これは上場企業のホワイトカラー(約5億円)のほぼ2倍だ。これに対して、大成功した場合の生涯収入が10億円だとしても、その成功確率を考えると3~4億円がいいところだろう。つまり合理的に考えると起業は愚かな選択であり、友人も家族もみんな反対する。

 しかし湯崎氏の世代では、もう天下りは保障されていない。50を過ぎて「肩たたき」を受けて退職しても、官庁の後ろ盾なしでは再就職できない。起業を考えた当時、34歳だった彼にとっては、残された時間はあまりないように思われた。その結果、起業したアッカは成功するが、他社との競合や光ファイバーの普及で経営が行き詰まり、今年イー・アクセスに買収された。湯崎氏はNTTドコモと提携してWiMAXによる無線ベンチャーに挑戦したが、2.5GHz帯の「出来レース」(関連記事)に阻まれた。

 こうしたアップダウンは起業につきものだが、湯崎氏のケースで印象的なのは、起業を阻む最大の要因は、事業としてのリスクよりも、公務員や大企業のローリスク・ハイリターンの人生だということだ。絶対安全なサラリーマンの生涯収入が起業が成功した場合とほぼ同じであれば、起業するのは不合理な選択だ。つまり日本の労働市場は、正社員の既得権を強固に守る雇用規制のために、優秀な(成功確率の高い)エリートほど起業しにくい構造になっているのだ。

 しかしこの構造も、湯崎氏が気づいたように崩れ始めている。民主党政権は天下りの禁止を打ち出し、大企業も数万人規模で希望退職を行なっている。こういう場合、40を過ぎて会社にしがみついていた社員には転職のチャンスはまずないが、起業は可能だ。実は、起業家の平均年齢は40代なのである。そして民主党が本気で「成長戦略」を考えるなら、必要なのは雇用規制の強化ではなく、解雇規制を緩和してサラリーマンの過剰保護をやめることだ。

筆者紹介──池田信夫


1953年京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。1993年退職後。国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は上武大学大学院経営管理研究科教授。学術博士(慶應義塾大学)。著書に「なぜ世界は不況に陥ったのか 」(池尾和人氏との共著、日経BP社)、「ハイエク 知識社会の自由主義 」(PHP新書)、「電波利権 」(新潮新書)、「ウェブは資本主義を超える 」(日経BP社)など。自身のブログは「池田信夫blog」。

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