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塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤” 第2回

塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”

「show and tell」の文化

2008年06月01日 15時00分更新

文● 塩澤一洋 イラスト●たかぎ*のぶこ

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 米国で教育を受けた英語の教員の中には、実際にショウ・アンド・テルを日本の英語教育に取り入れている人もいる。「言語は表現するための道具」という基本に立てば、国語教育も外国語教育もおのずと表現教育になるはずだから、ショウ・アンド・テルは絶好のメソッドだ。しかし「言語は情報を獲得するための道具」ととらえていると、限られた授業時間の中でひとりひとりのショウ・アンド・テルに時間を取るなどという発想は浮かばない。「英文読解」のテキストに比べて「英文表現」の参考書が少ないことを見ても、英語教育の重点はまだまだ読解にあるようだ。

 米国において、人前で表現するための練習は、形を変えて続いていく。たとえば将来大学教員になるためのPh.Dコースに在籍する大学院生に対しては、いかにして効果的な講義をするかがさまざまな形で教育される。日本だとティーチング・アシスタント(TA)の大学院生にはレポートの採点や資料の作成などを任せたりするが、米国のTAは小さなサブクラスを実際に担当して、教育手法を実践的に身につけていくことが多い。小集団相手の研鑽によって、講義のスタイルが確立していく。

 このようにして訓練された教員が行う講義に出席する学生たちは、自然とさまざまな「お手本」を目の当たりにする。そして学生自身が人前で発表するときにも、それらのお手本の中から気に入った手法をマネしながら、自己表現の試行錯誤を続ける。工夫しながら次第にその人らしい表現スタイルを身につけていくのだ。

 教育の過程を通じて自己表現の訓練を重ねた人々が社会に出ると、ビジネスマンとしても雄弁だ。自分を売り込んで職を見つけ、自分のアイデアを売り込んで投資を募り、自社製品を売り込んで顧客を集め、自社を売り込んでさらに資金を調達する。ビジネスは自己表現によって人を引きつけ、相手の納得を得ることの繰り返しなのだ。このような自己表現を、大人の世界では「プレゼンテーション(プレゼン)」と呼ぶ。その訓練は、幼少時のショウ・アンド・テルに始まっているのである。


(次ページに続く)

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