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塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤” 第1回

塩澤一洋の“Creating Reed, Creative Mass.──大公開時代の羅針盤”

表現する人、表現する社会

2008年05月25日 15時00分更新

文● 塩澤一洋 イラスト●たかぎ*のぶこ

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インターネットがもたらす新世界 みんなが主役の「大公開時代」を生きる


01

 21世紀。「大公開時代」の幕は開けた。人々が思い思いの情報を世界に向けて公開する時代の到来だ。ブログを筆頭に、mixiやGREEなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、Flickrをはじめとした写真共有サイトといったウェブサービスを通じて、個人の表現を社会に対して公開する時代だ。同様に企業や公共団体などもさまざまな情報をオンラインに載せる。個人も団体も一斉に自己の存在をアピールし始めたのだ。

 20世紀の終わりに一般化したインターネットは当初、多くの人にとっては主として「情報を得るための媒体」だった。「ネットサーフィン」と呼ばれ、インターネットという大海原をサーフボードならぬキーボードとマウスでたくみに渡り歩いたものだ。しかし考えてみれば、それらの情報は常に「誰か」によって表現され、公開されたもの。誰かが公開してくれたからこそ、情報はそこにある。従ってインターネットは元来、「情報を得る媒体」である以前に「情報を公開する媒体」なのである。

 見方を変えると、インターネットへの情報の公開は社会貢献にほかならない。どんな情報でもそれに対するニーズが潜在するはずだ。自分の公開した情報が、それを必要とする人に届けば、公開という行為そのものが大いに感謝される。基本的に公開は善なのである。

 そもそも日本は「謙虚」と「遠慮」が美徳、「和をもって貴しとなす」社会だ。「出過ぎた真似」は疎まれる。「出る杭」は打たれ、「出過ぎた杭」は抜かれる。そのため人々は、和を乱さず出過ぎないように遠慮しながら生きている。「みんな」と同じでいるのが安心。「みんないっしょ」の文化。だから、自分の考えや人との違いをあえて明確にすることは差し控えがちだ。いきおい平準化や均質化が進み、社会が画一化していく。

 しかしそこにSNSやブログが登場して状況は変わってきた。メールを書く感覚で、自分の表現を簡単にオンラインに公開できる環境が整ってきたのだ。これによって、自己表現したい人から社会貢献したい人まで、さまざまな気持ちを持った人々が手軽に情報を公開できるようになった。ウェブが「みんな」の表現媒体になったのだ。ここに「みんなもすなるブログといふものを自分もしてみむ」とする素地が整ったのである。


(次ページに続く)

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