デジタルで伝わる感覚と伝わらない感覚
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4年ほど前のこと。私のゼミの学生たちが「Lexis Nexis」(レクシス ネクシス)という法律情報データベースの利用講習会を受講した。講師から機能や操作に関する説明をひと通り受けたあと、さっそく実際の裁判例を検索する練習に移った。私が「○○の裁判例を探してみようか」と課題を出すと、ほどなく30名ほどの学生全員がその英国の裁判例原文を探し出すことができた。そこで検索した画面を閉じてもらったうえ、さらに私は問いかけた。「今の裁判例、いつ頃出されたものだった?」
ひとりも答えられなかった。ほんの短い時間しかそのページを開いていなかったから、この質問に答えるのは無理なのか。いや、そうではない。デジタル情報を扱う際の意識の問題なのだ。
すぐに学生たちは先ほどの裁判例のページを再度たどってみて、それが1853年のものだと気づいた。150年も昔の判例だったのだ。そこで考えるべきことは、この判例をデータベースではなく従来の冊子体の判例集を図書館で探し出すシチュエーションとの比較である。
19世紀中盤の資料であるから、冊子の紙は黄ばみ始めているだろう。古い紙はざらざらしているだろうし、参照する人が少なければほこりをかぶっているかもしれない。ちょっとカビ臭いにおいもしそうだ。そもそも図書館では、19世紀の洋書資料であれば、一般の開架書架ではなく書庫に所蔵されている場合も多く、その請求には何らかの手続きが伴う可能性が高い。
つまり、もし冊子体の資料で同じ裁判例を調べていたなら、判決年月日を目で読み取る以前に、すでにその「古さ」を体感しているはずなのだ。だから「だいたいいつ頃の裁判例か」という情報は、文字言語以外の手段で知らず知らずのうちに感じ取っていて、私の質問に対しても少なくとも「結構古い裁判例だと思う」という程度の答えは出せるはずなのだ。
(次ページに続く)









