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前田知洋の“マジックとスペックのある人生” 第30回

長時間労働、残業のスペック

2016年10月25日 17時00分更新

文● 前田知洋

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やりがいを感じるなら20時間連続で働けるかもしれないけど、
イヤな仕事なら2時間でも倒れそうになる不思議

 時間の感覚というのは不思議なもので、好きなこと、得意な作業に集中していると、あっという間に時が経つことがあります。一方で、すごいストレスを感じる仕事は、2時間くらいするだけでも倒れそうになる。この差は一体何なのでしょうか。

1週間、過酷に働いてみた

 つい先日、映像制作の打ち合わせで「とりあえず、納期は◯月◯日ということで…」という言葉を聞いて、カレンダーを見ると納期まで1週間しかありません。普段なら「無理」と断るべきでしたが「じゃあ、今から帰って撮影を始めないと…」と打ち合わせを終えました。

 前から温めていた企画だったこともあり、移動中にコンテンツを考え、3日で撮影、3日で編集をして、最後の1日で音入れ。完成したのは納品日の早朝でした。つらいのはスタッフがいるわけでもないので、自分一人の作業であること。睡眠時間がゼロだとミスも多くなるので、数時間おきに30分~1時間くらいソファーで仮眠します。制作、クリエイティブと呼ばれる環境ではありがちな光景かもしれません。

 筆者の仕事だと、1年に1回くらいのペースでこんな時があります。「たくさん働いた自慢」「寝てない自慢」はいけてないと思っていますが、Facebookの更新が数日~1週間ほど止まるので、友人知人にはバレている気もしています。

 一方、長時間労働でもない、数時間の労働で倒れるくらい疲弊することもあります。劣悪な環境だったり、想像と違い作業がうまく進まない、人間関係がうまくいかない、理不尽なクレームを受けるなどです。知人の警察官は「事故や事件で人が亡くなった時、遺族に連絡するのがつらい。何度経験しても慣れない」と言います。

システムなど環境の問題はすぐに解決しない
働く側はストレスや疲れをためないメソッドを持つべき

 企業の雇用の構造的な長時間労働の問題や、上に挙げたような職種による問題は、早急な改善がされにくい。ニュースなどでも知られるように、労災などで認められにくいし、助けや告発を組織内部に求めにくい風潮もあります。

 睡眠時間を削るなど、筆者が多少の無理ができるようになったのは、長時間労働の後での自分自身へのフォローを用意できるようになってからです。たとえば、「休日を確保できるか」「ストレスの後の気分転換がうまくできるか」、「友人や家族がサポートしてくれるか」など。そうしたフォローで仮に自分への評価が下がったとしてもです。

 残念ながら、過労で命を落としてしまいがちな方に新入社員が多いのは、自分の無理や限界がわからず、誰にどう助けを求めていいのか手段を持ちづらいこともあります。もちろん、そうした労働環境の配慮は雇用側にあるべきです。人生相談などの回答にもあるように、「そんなに辛いなら退職すべき」という選択肢ももちろんあります。しかし、「べき論」と「実際」は乖離していることは知っておくことです。そして、長時間労働などで、あまりに疲弊してしまうと、救援や退職などを考える判断が鈍ってしまうのも、この問題を複雑にしています。

長時間働いても平気は個人差

 「会社に寝袋を持ち込んだ」なんて武勇伝も聞きますが、それが盛った話ではなく、事実だとしても、それは個人的な経験談。それぞれの環境も違えば、個人の資質、「社内での評価を落としなくない」「仕事を断るのは苦手」なども違います。創作や研究など、長時間集中することで成果が上がる人もいれば、ストレスで判断力が低下したり、仕事の効率が下がる人もいます。

 それが自分にとって、やりがいのある仕事であれば、肉体的疲労は別にしても充実感や達成感を感じることもでき、長時間労働のストレスは多少緩和されるかもしれません。さらに同僚や上司との相性、作業分担、精神的なサポートなどによって、感じるストレスの度合いは様々です。

 いずれにしても個人の資質「基礎体力」「短時間睡眠での回復力」「栄養補給や自分に合うサプリの有無」「ストレス耐性」などが労働時間と自分へのダメージに大きくかかわってくるのが確かです。つまり「残業〇〇時間なんて平気」という言葉には懐疑的になったほうがいい。

自分を奴隷に追い込まない

 自分を奴隷みたいな環境に追い込んでしまう思考ってある気がしています。自分の思考や普段の言動で自分を縛ってしまう。自分だけではなく、空気感と言っていいかもしれません。

 「逃げたくない」「苦労して入社した企業を辞めたくない」「周囲からの評価や期待を失いたくない」。そうした想いは、自分が許容できる努力の範囲なら原動力になります。と、同時に「自分は逃げない」「自分の会社はステータスがある」「自分は優秀だと評価されている」が前提になっているとも言えなくもありません。本来、そうした想いは長時間労働とは無縁のものです。

 もちろん、長時間労働や過労死など、労働環境に対処すべきなのは企業であったり、業界、上司などの監督者であることは間違いありません。それが出社時や週単位のシステマティックな健康/精神測定の導入なのもしれませんし、それぞれのケースを監督官庁が徹底追及することかもしれません。

 しかし、社会構造を非難したり、誰かが対処してくれることを待つだけでは、自分の健康や命を早急に守れないこともあるはずです。

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