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四本淑三の「ミュージック・ギークス!」 第106回

冨田勲「イーハトーヴ交響曲」世界初演公演インタビュー

電子音は自然の音だし、僕たちも自然現象なわけでしょう

2012年11月17日 18時00分更新

文● 四本淑三

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初音ミクとの共演で話題の冨田勲「イーハトーヴ交響曲」初演は、いよいよ来週23日(金)。コンサートの総指揮に当たっている冨田さんご本人に、軽井沢の別荘で3時間にわたるロングインタビューを敢行しました。「初音ミクと宮沢賢治に共通するもの」とセットでお読みください。

日本初のシンセサイザー音楽から「初音ミク」に至るまで

 冨田勲といえば、まず日本のシンセサイザーの第一人者である。70年代に多重録音で制作された数々のアルバムは、どれも強烈な印象が残っているし、ジャンルを問わず、世界中の様々なミュージシャンから尊敬を集めてきた。

 ただ、初音ミクを聴く若い世代には、当時のムードも含め、そのイメージはつかみにくいかもしれない。そこで、音楽家として活動を始めた頃から、現在に至るまでの歴史を、長年のファンならおなじみのエピソードも交えながら、ざっと振り返っていただいた。

Image from Amazon.co.jp
イーハトーヴ交響曲(予約)

 冨田さんは1932年4月生まれ、今年80歳。慶応大学文学部在籍中から作曲活動を始め、NHKの大河ドラマやドキュメンタリー番組の音楽を担当。「リボンの騎士」「ジャングル大帝」といった手塚アニメや、「キャプテンウルトラ」「マイティジャック」のような特撮モノの主題歌も手がけている。

 その後、1971年にモジュラー式のモーグ・シンセサイザー「III-C」を日本で初めて輸入し、シンセサイザーの多重録音だけで制作されたドビュッシーの「月の光」を1974年に発表。その大ヒットから「世界のTOMITA」として知られることになったのだ。


オーケストラからシンセサイザーへ

―― 今回のイーハトーヴ交響曲はオーケストラの生演奏ですけど、シンセサイザーの録音は制作されないんですか?

冨田 僕はモーグ・シンセサイザーを使って、今までクラシックのアレンジをしてきました。オーケストラには名演奏があるので、それを別な角度から描いてみようという気持ちがあって。だから僕のオリジナルの曲でシンセサイザーというのは、ないか、あってもほんのわずかです。大きなものを書きたいと思うときは、必ずオーケストラです。『源氏物語幻想交響絵巻』がそうだったですけれども。

冨田勲さん。軽井沢の別荘で

―― なるほど。シンセサイザーとオーケストラは、冨田さんの中ではそういう関係になっているんですね。

冨田 僕がシンセサイザーの世界へ行ったのは、まずNHKの立体音楽堂※1という番組があって。ハタチそこそこの若造でもフル編成のオーケストラの譜面を書くことができるというので、夢中になってそれをやったんです。ラジオの第一放送と第二放送を使ってステレオで放送するという。まだFMのない時代だから。

―― ラジオを2台用意して聴くという伝説の番組ですね。

冨田 僕はずいぶんそれをやったんです。もちろん何人かの作曲家で持ち回りですけど。それで相当オーケストラに関する技術は覚えたんですよ。そんな機会、ないですからね。それで評判を得て、大河ドラマなんかの作曲も依頼されたりしたんだけど。でもオーケストラは、フルート、オーボエ、ファゴット、トランペット、そういう風に音のキャラクターが決まっちゃってるわけです。モーツァルトからワーグナーに至るまでの百年というのは、楽器は相当進歩したんだけれども、それ以降はしていないんですね。

 それで自分の書いたこの譜面というのは、誰かがもうすでにやっているんじゃないかなって。楽器の音色が決まっていることに対して、行き詰まりを感じたんですね。そこへモーグ・シンセサイザーという、扱う人間のアイディア次第で、どんな音のキャラクターでもできるものが現れた。それは飛びつきますよね。

 シンセサイザーがなければ、もっと追求したんだろうけど。その頃ね、アヴァンギャルドの新しい作曲家っていうのが、訳の分からないオーケストラの曲を書き始めて、結局新しいものを追求するってこういうことなの? って。僕はね、観衆もやる方も、気持ちがシンクロしていくのが音楽だと思っているんです。たとえばストラヴィンスキーの春の祭典のような。でもその後に出てきたのは、理屈のほうが先に立っていて、それに音を当てはめたみたいな。能書きと方眼紙で説明だけ置いておけばいいのに。

制作環境は「NUENDO 3」。オーディオデバイスは「NUENDO AUDIOLINK 96」、音源モジュールはヤマハ「MU2000」

―― あははは。それでますますシンセサイザーに。

冨田 それで、とりあえず真似からいこうというので、鐘の音を色々倍音を重ねて作るわけですけれども。一音は一音にあらず、と。いくつものオシレーターを倍音で積み重ねて、いろんな音の積み重ねが、一音になっていくんだということを知ったのが、やっぱりモーグ・シンセサイザーで。

 「祇園精舎の鐘の声」も、良く読むと、この倍音のことを言っているんですよ。僕は延暦寺の鐘を叩かせてもらったことがあるんですけど、叩いた瞬間はすごく上の倍音まで鳴っているんだけれども、だんだん倍音が減っていって、最後には1つか2つくらいの音が残って、消えていく。その時間の変化によって倍音が減ってゆくことを描いているんですよ。そんなことを千年も昔の日本人に、気付いていた人間がいたんだなと思ってね。平清盛の生き様のように、だんだん倍音が減っていって、最後にはわずかなものしか残らない。

―― へえーっ。あの鐘の音というのはそういう意味だったんですね。

冨田 そんな具合にシンセサイザーの方に入っていったんだけれども、それも浅はかだったなと思うんです。オーケストラの良さというものを本当に知り尽くしていなくて。30代の半ばあたりって、良くそういうことがありますよね。そう思うようになったのは、オーケストラの魅力というか重みというか、再びオーケストラの譜面を書くようになってから。

※1 立体音楽堂 : 1954年からほぼ毎週放送されていた音楽番組。FMのステレオ放送が始まるのは1963年。

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