奨学金をもらうもバークリーに行かず
ヤサシイオモチ(プログレ) by M.Kitasono―― 音源を上げる以前はどうされていたかを教えてください。
M.Kitasono 専門学校にいたんですけど、そこでコントラバスを習っていました。在学中からジャズベーシストとして、卒業後もその活動で食べていけたらと思って、しばらくミュージシャンとしての活動とアルバイトの生活を続けていました。それから留学の話も決まったりして。アメリカの音楽の学校なんですが。
―― もしやバークリーでは?
M.Kitasono あ、そうですね。それで奨学金を頂いたんですけど、行かなかったんです。
―― なんでまた。
M.Kitasono 音楽をやりたくなかったんです、そのときは。そのころ私は70年代のジャズに傾倒していたんですけど、周囲のミュージジャンはビバップとか、そっちの世代だったんです。いつも40代前後の方と共演していたんですが、そういう方から「君のプレイは70年代過ぎる」と、奏法に関しても音質に関しても。そういうこともあって、私のやりたいことはできないかもしれないなと思ったんです。
―― でも学校に行けば違ったかもしれないですよ。
M.Kitasono けど、もう音楽をやりたくないという状況でした。今考えるととても不思議なんですけど、すべて投げ出してしまいたい気分だったかもしれない。僕はそんなに暗い人間ではないので、そこまで深刻ではないんですけど。見ている世界が狭かったんですね。
60年代、70年代の音が心地良い
Dorothy (70's AOR Pop) by M.Kitasono―― それにしてもKitasonoさんの年齢で、プレイする音が70年代って面白いですよね。
M.Kitasono ルーツは60年代、70年代に集中しているので。そういうものが非常に心地良いというか、自分の幼少期を思い浮かべる材料になっている。ちょっと変な答えですが。
―― インターネット時代になって時間が圧縮されたとはいえ、どうしてそうなっちゃったんですか?
M.Kitasono 母親がビートルズのアルバムを3枚くらい。すべてベスト盤なんですけど。あとはオールディーズのコンピレーションを1枚。すべてはそれを聴いてからでしたね。小学生の頃ですが。
―― Kitasonoさんが小学生の頃というと、日本ではCDバブルの絶頂期で、ラジオ・テレビからは似たような音楽が繰り返し流れていたはずですが、そういう音楽に影響はされませんでした?
M.Kitasono あえて聴かないスタンスでした。
―― 楽器はいつ始めたんですか?
M.Kitasono 小学校1年生の時に引っ越した中古住宅にエレクトーンがあったので。それをこだわりなく弾いていました。それで中学に入ってからでしたね。まずベースを1人で弾き始めるという活動を。
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ミュージック・イズ・マイ・サンクチュアリ(聖域) |
―― 最初はバンドなんですか?
M.Kitasono 多重録音が最初で、小学生の頃にちょっとMIDIを。フレーズを貼り付けると誰でも曲が作れるっていう、ローランドのDoReMiXというソフトで。元ネタにはものすごくマニアックなものも含まれていたんです。たとえばゲイリー・バーツの「ミュージック・イズ・マイ・サンクチュアリ」というアルバムの、「スイング・シング」という曲の冒頭で、彼がサックスでとったソロやフレーズとか。もちろんその時は分からなかったんですが。
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