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松村太郎の「ケータイが語る、ミクロな魅力」 第97回

ケータイが支える、マイクロ化と遍在化するメディア

2009年11月30日 12時00分更新

文● 松村太郎/慶應義塾大学SFC研究所 上席所員

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モビリティとソーシャルメディア

 さて僕がこのニュースを知ったのはテレビからではなく、自分のTwitterのタイムラインからだった。「銀座線が日本橋駅を止まらずに通過した」「駅でアナウンスがあった」「改札前にホワイトボードが立っている」などとして、その状況をいろいろな人がつぶやいていて、状況をつかんでテレビをつけた。

 その中で放送された映像もまた、印象的だった。

 記者は、紙の束や手帳ではなくケータイの画面をちらちら見ながらリポートしていた。そもそも原稿を印刷する時間はないだろうが、ケータイで原稿をまとめたり、送られてきた情報をコピペして編集し、それを読んでしまった方が早い。ここでも普段皆が使っているケータイをポジティブに生かす様子が見られた。

 リアルタイムの情報の流れ方、知り方、メディアの役割というものが変化していることに改めて気づいただけでなく、情報を伝える側もケータイをフル活用しながら、迅速な情報伝達を実現しつつある。そんな気づきがあった瞬間であった。もはやケータイがオモチャだ、とは言えなくなっている。

 一方、僕がニュースを知る手段となったTwitterもまた、モバイル対応が進み、リアルタイムに現場から情報が伝えられるマイクロメディアを形成している。テレビのリポーターはケータイに書いた原稿をケータイの電波として映像で、ニュース番組内で伝えてきたが、Twitterユーザーは枠やタイミングに関係なくタイムラインに情報を送り出す。

 おそらく編集やクオリティの担保という点でメディアの役割や価値は依然として強く、Twitterで情報を知ってテレビをつける、という行動があったわけだが、情報の量とスピードはTwitterの方が圧倒的に早い。おそらくTwitterもモバイルで利用できなければ、ここまでメディアとしての価値が光らなかったのではないか、と推測する。

 Twitterの活発化が、iPhoneやネットブック市場の立ち上がりと連動している点も興味深い。

 「Tsudaる」という言葉(関連記事)は、津田大介さんがイベントの模様をTwitterでテキスト中継する様子に敬意を表して作られた。正確かつ高速なタイピングに加えて、話をリアルタイムに要約する技術が必要なため、ケータイやiPhoneでは難しく、イー・モバイルなどのデータカードとノートPCがあってこそ成立した形と言えるだろう。

今週の1枚

tricken氏のpostによって行なわれた「tsudaる」の定義

 最近、金曜日になると、非常にたくさんの勉強会や講演会などの興味深いイベントが各所で開催されていて、主催者や参加者が中継をしてくれる。そもそもそういうイベントがあることを中継できることもあるし、どうしても参加できないイベントの様子を垣間見える点はとてもうれしい。

 Tsudaるは、Twitterなどのソーシャルメディアの1つの文化になりつつある。これも、どこからでもパソコンがウェブにつながり、キーボードからアップデートできるからこそ。Wi-Fiの整備を待たずに実現できるのは、ケータイのインフラがあればこそだ。

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